悪魔に寄り添うエンジェライト(5)
【(このニオイ……どこかで……?)】
「ウワッ⁉︎ なんだよ、ジェームズ……」
【キュゥン……ハフハフ(イマはキにしなくて、いいか)……】
ドーベルマンの身ながらも、幸せの空間をしっかりと演出せねばと……新郎の愛犬・ジェームズは招待客にも、愛想を振りまいていたが。ちょっとした腐れ縁で改めてご近所さんになった少年から、明らかな要注意人物の匂いがするものだから、鼻先を荒げずにもいられない。しかし……こんな状況で、例のなんちゃって警視をわざわざ思い出す必要もないかと、アッサリと追及を引っ込める。
「……どうしたんだよ。何か、気になるのかい?」
【あぁ、キにしないでくれ。……ジェームズのカンチガいみたいだ】
「そ、そっか……」
少年も目の前のドーベルマンが特殊な存在であることは説明されているし、彼の保護者も含め、主役でもある新郎と新婦もそちら側であることも教えてもらっていた。そして……自分がそれに近しい存在にされかけている事も知らされてはいるが、彼にはその実感はあまりない。目の前でヒソヒソと人の言葉を話すドーベルマンにも、未だに現実味を持てないでいる。
「あっ、ジェームズ。バルドールさん達が呼んでいるよ?」
【ハッ? ハゥゥン(あっ、イマイく)!】
部外者の前では喋らないルールを徹底しながらも、結局は犬としての本能が勝るらしいジェームズを見送る少年。彼を呼んだバルドールはジェームズのガールフレンド・ディアブロの飼い主であり、ドッグトレーナーだと言う。その隣で一緒に嬉しそうに顔を赤らめているのは、メーニックで酒場などを経営しているブルースという大男だった。そんな彼の足元ではドーベルマンではなく、ヒースフォート・シェパードがお利口な様子で主人を見守っている。
「ジェームズも食え食え! いやぁ〜、ラウール君は気が利くなぁ。きっちりお犬様にもご馳走を用意してくれるんだから、気前がいい」
「酒も美味いし、料理も絶品。こいつは食わないと損だぞ! ほら、デルガドもきちんと食っとけよ〜」
【アォン(いただきます)!】
彼らがジェームズを呼んだのは他でもない、愛犬達にも滅多にないご馳走をたっぷり与えるためらしい。しっかりと招待客に含まれていた犬2頭+新郎の愛犬1頭がいずれも大型犬のため、3頭が肩を寄せ合う姿はなかなかに迫力がある光景だが。それでも、それぞれにきっちりと躾がされている事もあり、ガーデンパーティにも難なく溶け込んでいた。
「調子はどうだ、サム。突然、こんな所に引っ張り出されて、びっくりしちゃったかな?」
「うん……大丈夫だよ、ヴァン兄。まぁ、お腹の方はかなりびっくりしているけど。僕、こんなご馳走を食べた事もなければ、見た事もなかったから……」
「そっか……そうだよな。でも……普段はこんなご馳走、そうそうありつけるもんじゃないぞ。ここはしっかりと頂いておこうな」
「そうだね……」
つい最近までは毎日を生きるのにも精一杯で、その日暮らしだった少年にとって……この世界はそれこそ、別世界。突然こちら側に仲間入りした所で、すぐに馴染めるはずもなし。そんな少年を保護者は殊更、心配しているらしい。常に彼の所在に気を配っては、寂しい思いをさせないようにと適度に話しかけてくる。
「結婚式って……意外となんでもアリなんだね。僕、ずっと座っていないといけないとか……もっと、静かにしていないといけないんだと思ってた」
「あぁ、教会と役所の方はそうだろうな」
「……そうなの?」
「うん。基本的に結婚の儀式を済ませた後は、フリースタイルだからね。お堅いのもそこまでさ。ガーデンパーティ自体はみんなで楽しんで、盛り上がって、幸せな2人をお祝いするのが普通なんだよ。……とは言え、流石は王子様の結婚パーティは色々と迫力があるなぁ。超売れっ子のオペラ歌手を呼び出すのも凄いけど……その会場がまさかのロンバルディア城だし、しかもブランネル大公が普通に出歩いていたし……。これ、どこまで普通で片付けていいんだろう?」
そうして、う〜むと首を傾げる保護者の様子に、悪戯っぽく笑いながら……同時に、少年は疲れたようにため息をつく。
特別に作られたステージの上では、綺麗な女の人が綺麗な声で歌っている。そして、澄んだ美声に誰よりもうっとりしているのは新婦その人らしく、新郎に腰を抱かれながらステージの前に張り付いていた。そんなウェディングドレス姿の背中に……いつかの時に、財布を擦ろうとした事を申し訳なく思いつつ。かつての惨めな自分を思い出すついでに、さっき出会った草臥れたおじさんにも思いを馳せる。
(……おじさん、無事にお城の外に出られたかな……。あの様子だと、きっと……)
たくさん苦労しているんだろうな……。
豪快にお腹を鳴らしていたおじさんを心底心配しながら、渡すのなら前菜じゃなくて、パンの方が良かったかな……なんて、今更ながらに考え込んでしまう。
空腹と不安と一緒に、骨張った膝を抱えて母親の帰りを待ちながら、どれだけの夕焼けを見つめてきたっけ。毎日、毎日、ちっとも変わらないし、ちっとも良くならない日常。たった13年の歳月の中でさえ、人生というものを諦めていたというのに。本当に運命というものは、気まぐれで悪戯好きなものらしい。きっかけなんて心当たりもなければ、変わり目は何の気なしに突然、舞い降りてきた。
「……ヴァン兄」
「うん? 何かな、サム」
「……あの、さ。僕を拾い上げてくれて、ありがとう。だから……僕、ヴァン兄の役に立てるように、お手伝いも頑張るよ。約束する」
「……うん、期待しているからね。大丈夫さ。僕達は上手くやっていけると思うし。それに……」
来月はヴァカンスにも出かけよう、なんて飛びっきりの笑顔を見せる保護者。なんでも、ご近所さん達と一緒にキャンプに出かける予定なのだそうだ。
「きっと、楽しいぞ。川下りに釣りも楽しめるって、聞いたし。だけど、それはまだまだ序の口。これからは一緒に目一杯、楽しもうな。人生ってヤツを」
「うん……!」
そんな話をしていれば、いつの間にか綺麗な歌声が途切れている。そして、今度は何かを宣言する甲高い声が響いてくるが……。声高らかにマイクで朗々とイベントの説明をしているのは、恐れ多くも、新郎の母親代理と名乗るロンバルディア騎士団長だった。
「はい! 会場の皆々様、ご注目遊ばせ! 今からお待ちかね……ヴィクトワール・プレゼンツ! ジャルティエールを開催いたしますわ! さぁ……さぁさぁさぁさぁ! 最っ高にキュートな花嫁のガーターをゲットするプレイボーイは、どの殿方かしら? まずは……」
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺は断りましたよね、ジャルティエール! それはしなくていいです! ……あっ、キャロル! そっちに行っちゃダメです! ヴィクトワール様にとって食われたいんですか⁉︎」
「大丈夫ですよ、あなた。ふふふふ……ヴァカンスの旅費はしっかり稼いでみせます!」
「あなた……? あぁ、なんていい響き……って、そうじゃない! 旅費なんて、稼がなくていいですッ! ダメったら、ダメ!」
(ラウール兄さんも、慌てることがあるんだ……。うわぁ……)
新郎の懇願も虚しく、新婦のガーターを賭けた男女対抗戦の幕が切って落とされようとしていた。そうして、哀れな新郎は気配り上手な愛犬に寄り添われながらも、これ以上の抵抗は無駄とばかりにガクリと肩を落とす。
「さて……と。僕達も行ってみようか?」
「でも、いいのかな……? ラウール兄さん、反対しているみたいだけど……」
「大丈夫さ。現に……ほら!」
保護者が示す方には、参加する気満々のご親戚の姿が見える。しかも新郎の兄を差し置いて、女性陣2名は既にボルテージも最高潮と鼻息も荒々しい。
「イノセント、キャロルちゃんのガーターを守り抜きますよ! 準備はいいですね!」
「望む所だ、ソーニャ! 何せ……クフフフフ! さっき、ブランネルからお小遣いを巻き上げておいたのだ〜! 今の私に、守れぬものはないぞ!」
「……あの、2人とも……ほどほどにね? まぁ……女性が手を挙げる分にはいいか……」
どうも、一大イベントに乗り気でないのは新郎だけらしい。そうして会場中が白熱した空気に包まれれば、少年も楽しんだ方がいいと思い直す。今日はおめでたい結婚式。楽しまねばソンソン、踊らねばソンソン。そんな日にわざわざ、悲しいことを思い出すのはナンセンスである。




