悪魔に寄り添うエンジェライト(2)
ご馳走を分けて貰おうと、軽々しく行動を起こしてしまったが。考えてみれば、結婚式の新郎はモーリスの弟である。会場にはそのモーリスがいるのは当然のこと、チラホラとかつての同僚の顔も紛れていた。上等な酒で既に上機嫌のホルムズ警部の横には、何故か……いつぞやの時に無理を通した、鑑識課のコルソまで揃っている。
(そう言えば……例の紅蓮舞姫は結局、火傷が原因で死んでいたっけ……。だから、ウィリアムは殺人罪に問われていたなぁ……)
コルソの姿に、かつて自分の手にあった権威に思いを馳せるが。いやいや、今はそんな事を思い出している場合ではない。目の前に広がる穏やかな光景がどこまでも不都合であることに、集中しなければ。
そうして、どうやって誰にも気づかれずに食事にありつこうかと、茂みで様子を窺っていると……そんなトマに気づいたらしい少年が、ご親切にも声をかけてくれるではないか。
「おじさん、大丈夫? どこか、具合でも悪いの?」
「……あぁ、大丈夫。ちょっと、立ちくらみがしてね……(キュルルルル……)」
立ちくらみと言いつつ、すぐ先でいい匂いと存在感を撒き散らしているご馳走を前にしては、腹が反応しない方がおかしい。そんな貴族らしからぬ生理現象に、今度は情けなくて俯くトマ。一方で、少年はトマの窮状に同情したのだろう。少し待っていてと言い残し、その場を離れていったかと思うと……律儀にすぐ戻ってくる。
「はい。よければ、これを食べて。僕も少し前まで、いつもお腹を空かせていたから……おじさんの辛さ、よく分かるよ。でも……ダメだよ、こんな所まで入ってきちゃ。今日はラウール兄さんの結婚式なんだから。物乞いなら、外でしないと」
「も、物乞い⁉︎」
どうやら、目の前の少年はきちんと招待客ではあるらしい。その言からするに、少し前までは空腹を抱えた日常を送っていたようだが……彼はトマとは対照的なまでに、きちんとした身なりをしている。サックスブルーの爽やかなシャツに、ちょっぴり背伸びした感じの蝶ネクタイ。そして、程よく凝った織り目のサスペンダーはきっと、卸したてなのだろう。無駄に伸びた部分もなく、少年のネイビー色の半ズボンをしっかりと支えていた。
「べ、別に物乞いじゃないぞ、私は」
「そうなの? それじゃぁ……」
「おーい、サム? サム⁉︎ どこに行った〜?」
「あっ、ヴァン兄さんが呼んでる。……ごめんね、おじさん。僕、もう行かなきゃ。で……悪いことは言わないから、見つからないうちにお城から出た方がいいよ。騎士団の人もいっぱいいるみたいだから。捕まったら、大変だ」
「そ、そうか……」
少年が持ってきてくれたトレトゥールの盛り合わせをありがたく受け取りながら、彼の背中を見送るものの……。こんな前菜程度では腹の足しにもならないと、物乞いと言われた屈辱を噛み締めると同時に、腹を立てるトマ。だが、純白の皿に何気なく添えられたフォークに……とある好都合を見出す。
(このフォーク……もしかして、シルバーか?)
曇り1つない、磨き抜かれた鮮烈な輝き。その上、持ち手には精巧な天使の彫刻がされており、明らかな高級感を漂わせている。流石はブランネル公の孫の結婚式、ということなのだろうが……これ1本でどのくらいの金額になるのだろうと、トマは内心で舌なめずりしながら、更なる悪巧みを思いつく。
(あの小僧……騎士団の人間もいっぱいいるって、言っていたな。確かに……ふむ。ヴィクトワールに……あそこにいるのはアンドレイだったか? それと……あっちの小さいのも軍人なんだろうか……?)
言われてみれば確かに、白い式典用の軍服に身を包んだ関係者らしき姿も多いように見える。そんな中、何かの余興なのか……珍しい白黒な毛色の馬に跨っては、曲芸を披露している少女がいたりするが……。彼女もピシリと軍服を着ているのを見るに、騎士団の関係者ではあるのだろう。
「ふふふふ……アァーハッハッハ! やはり、レユールは乗り心地も抜群だな! 戦友は疾いだけではなく、芸にも明るいのが、ますます良い!」
【ヴァフォッ、プルル(このクライ、トウゼン)!】
「あぁ、あぁ、ロゼッタ様。そんなに暴れたら、制服が汚れてしまいますよ?」
「構わんぞ、女将ッ! 軍服はそもそも、汚れるためにあるのだッ! 汚れを気にしていたら、敵とは戦えん!」
いや……選りに選って、めでたい席で戦闘を意識しなくても良いだろうに……。しかし、どうも彼女は小柄な見た目の割には、相当に凶暴な相手らしい。場違いかつ、血気盛んなお言葉からしても、筋金入りの軍人のようだ。そうして、相当数の騎士団員が集結しているのは却って好都合と胸算しながら、その場を後退りするトマ。
(主要な人間はここに集まっているみたいだな……。だとすると……城の方は手薄だということか。であれば……)
それこそ、使用人のフリをして厨房に入り込めば、シルバーの食器がもっと見つかるかもしれない。そうして、フォークはしっかりとベストのポケットに押し込みながら。戦利品を汚すのもよろしくないと……誰も見ていないのを良いことに、手掴みで前菜を流し込む。しかし……その姿には既に、貴族としての矜持も品位もないことまでには、やはり彼は気づけないらしい。




