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シンセティック・カプリッチョ(15)

「ただいま……」

「どこに行っていたの、サム。稼ぎは?」

「あの、ママ……」


 後悔しながら、見慣れたくもないローサン街の道を行けば。その一角に少年が家だと思っている荒ら屋が、いつもと変わらない様子で建っている。組まれた煉瓦はボロボロ、壁紙はそもそも貼られていたのかさえも分からない。雨風を凌ぐくらいのことは最低限、できるものの。ただその場にあるだけの建物に、サムの居場所はあまりない。


「……で、()()に失敗して捕まったんだけど……」


 草臥れた椅子に腰掛けながら、()()()()()を伏せて母親に事情を説明するサム。運悪く捕まってしまったが、自力で逃げ出したのだと報告すれば。いつもならピリピリと額を気にするはずの稼ぎがないことも責め立てずに、穏やかな様子で母親がサムを慰める。


「そう。お前が無事なら、とりあえずはヨシとしましょうか。何せ……ふふ。ほら、見なさいよ、これ。とうとう、私が本物として認められる日が来たわ……!」

「本物として……? ……ごめん、ママ。僕には、ここに書いてあること、あまり分からないよ……」


 あぁ、それもそうね……と、字が読めないサムの指摘に気分を害さないところを見るに、彼女はそれなりに機嫌がいいらしい。普段もサムに手を挙げることこそしなかったが。しかし、最低限の食事さえもサムの稼ぎに頼っている時点で、彼女に母親の自覚があるのかは訝しい。


“お熱いご招待を頂けば、この泥棒めも参加せずにはいられません。

次の満月の夜、愛しい相棒と一緒に素敵なショーに参加致しましょう。

なお、皆様には余興へのご協力を願います。

相棒はちょっとした力試しをしたいと申しておりますので……

我こそはという方は、是非にオーディションに参加をば。


相棒に負けない程の素敵なレディには、素敵な素敵な思い出を差し上げましょう。


                       グリード”


 母親が記事を読み上げるのを、大人しく聞きながら……上機嫌の理由は予告状だったのだと、()()する。しかし、オーディションとやらに参加するにはお金がいるって言っていたではないかと、口を尖らせては指摘するサム。


「そうね。ちょっと前にあった雑誌のオーディションはお流れになっちゃったけど。でも、今回だけは逃すわけにはいかないわ。だから……ね。サム。ママにちょっと協力して欲しいの」

「……掏摸は嫌だよ? 僕……もう、捕まりたくない……」

「いいえ、違うわ。……このままだと、私もあなたも貧乏なままですもの。だけど、あなただけでもきちんと生活できるようにしないといけないと思って。……少し寂しいけど、別の場所で暮らしてもらうことにしたの」

「えっ……? ママ、それ……どういうこと……?」

「ふふ。所謂、養子縁組ってやつよ?」

「養子縁組?」

「そう。大切に育ててくれるって、貴族様があなたを引き取ってくれるそうよ。だから……さ、行きましょ?」

「……僕、別にお金持ちにならなくてもいいんだけど……。ただ、ママと……」


 一緒にいられれば、それでいい……と、言いかけたところでキュッと口を噤む。

 確かにこのままでは、自分も母親も貧乏なままだ。さっきは勢いで()()()()()()を断ってきてしまったが、本当はきちんとした仕事で生活を立て直した方がいいと、子供のサムにも分かっている。だけど……だとしたら、本当の事を言った方がいいのだろうかと、今度は母親のために悩み始める。何せ……。


(……顔は隠れていたけど、クリムゾンはとっても美人だったと思う……。ママには絶対に勝てっこない……)


 母親にはグリードとクリムゾンに会ったことは、敢えて話していない。特に隠す理由もないのだろうが、何故かその時のサムには……彼らとの邂逅は、秘密にした方がいいだろうと感じられたのだ。そして……彼らのあまりの整いすぎた姿を目の当たりにすれば。グリードの予告状は明らかに、クリムゾンの()()を募集しているようにも思えて。ますます母親が惨めに見えてくる。


「あの、ママ……」

「まぁ! わざわざ、こんな所にお越しになったのですか? あら、嫌だ。……こんな荒ら屋でお恥ずかしい……」

「いいえ、お気になさらず。それで……あなたがサム君?」

「えっ? はい、そうですけど……」


 先方はどうやら、相当に待ちくたびれていたらしい。こちらが向かう前から、気づけば立派な身なりをした淑女が立っているではないか。しかし……彼女の瞳の色に、違和感を覚えては警戒心を募らせるサム。上手く説明できないが、目の前の淑女は顔は微笑んでいても、目が笑っていないように思える。


「僕、行きたくない……」

「何を言っているの、サム。こちらのレディについて行けば、素敵な暮らしが待っているわよ。ほら、行きなさいな」

「でも……」

「怖がらなくても、大丈夫。私達はただ、あなたを()()()()から救いたいだけなのですよ。さ、ついていらっしゃい」


 やっぱり口元だけで器用にニッコリ微笑んでは、サムの手を半ば強引に引く淑女。その背後で、淑女のお連れ様から母親が金を受け取っているのを感じるに……サムはようやく、自分の置かれている立場を理解する。……これは多分、養子縁組じゃない。所謂、人身売買だろう。だけど……やっぱり嫌だと言いたくて振り返った時に、彼は何よりも見たくない光景を目の当たりにして、瞬時に全てを諦めた。

 彼が()()()の最後に見たもの。それは……何よりも醜く歪んだ、息子を売った母親の醜悪な笑顔だった。

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