シンセティック・カプリッチョ(14)
ここはどこ? 昨日は捕まって、それで……。
(パパに助けてもらって……あぁ、でも。本当のパパじゃないんだったっけ……)
そうして、昨晩は彼に抱っこされたまま、眠ってしまったような。
まだまだ状況が整理できない状態で、ぼやけた景色を見渡しても。少年……サムには自身が置かれている状況の手がかりは何1つ、見つけられなかった。それでも、部屋の外からいい匂いがするものだから……キュルルとぐずり始める腹を諌めるように、堪らずベッドを抜け出す。
「……あのぅ……」
「おや、目覚めたかい? おはよう、サム」
「お、おはようございます……。えっと……」
「うんうん、何も言わなくていいから。とりあえず、朝飯にしよう? ほら、座った座った」
サムの鼻をくすぐったいい匂いの正体は、何故か少年の名前を知っている彼が準備していた朝食の香りらしかった。そうして、朝食を少年の目の前に並べては、柔らかく微笑む彼を改めて窺えば。シルエットはスラリと長身で、琥珀色の髪は無造作に整えられている。瞳はスミレ色とバター色を混ぜたような、不思議な色合いをしていて……どこまでも穏やかな視線を宿していた。
「これ……食べていいの?」
「もちろん。さ、冷めないうちにどうぞ。それで……ふむ。どうしようかな? まずはママに会う方が先だよね」
「あの……」
「あぁ、ごめんよ。自己紹介がまだだったね。僕はヴァン。ま、気軽にヴァン兄って呼んでくれて構わないよ。君のことは、大泥棒さんの知り合いの知り合いからお願いされていてね。丁度、僕も助手が欲しいと思っていたし、良ければ仕事を手伝ってくれると嬉しいな」
「……!」
ヴァンと名乗ったお兄さんは、グリードご本人ではなさそうだが。それでも、うっすらと残っている記憶の中に、それらしい会話があった事も思い出しては、これからは怯えながら仕事をしなくて済みそうだと……サムは安心すると同時に、泣いてしまいそうになる。
「僕も……きちんと、働いてみたい……です」
「そう。うんうん、だったら僕の方も歓迎するよ。とにかく、それを食べ終わったらママにもきちんとお話ししないとね。ところで、サムはどの辺に住んでいるんだい?」
「……ローサンに住んでます……」
「ローサン? えっと……どの辺だろう?」
引っ越してきたばかりのヴァンには、まだまだロンバルディアの土地勘は無きに等しい。そして……そのローサンが訳あり者が住んでいる、やや治安の悪い区域としてそれなりに有名な地域でもあることも、当然ながら知る由もない。しかして……一方のサムには、ヴァンの無知加減が新鮮かつ、嫌味っぽく感じられた。
「そっか。ヴァン兄さんはローサンを知らなくて済む人なんだね。……僕とは住んでいる世界が違うのかも……」
「えっ? それ、どういう意味? どちらかと言うと……僕がそのローサンの場所が分からないのは、引っ越してきたばかりだからだと思うんだけど……」
「そうなの?」
「うん、そうさ。僕がロンバルディアにやってきたのは、ここ1週間前くらいだし。元々はオルヌカンって所に住んでいたんだけど……僕のお爺さんがこっちの病院に入院する事になってね。それで、世話も兼ねて引っ越してきたんだよ」
「……そう。でも……どっちにしても、僕達とは違う人な気がする。……病院なんて、行きたくても行けないし」
やっぱり、結局はお金持ちって事じゃないか。病院で診てもらえるだけでも夢のまた夢なのに、入院だなんて。有り難く朝食をいただきながらも、不貞腐れたように考えては……今度は自身の境遇に泣きたくなってくる。
ローサン然り、メーニック然り。まともな仕事にありつけず、社会の外側に放り出された者が行き着く先は大抵、決まっている。メーニックの方は経営者階級になれば、話は変わってくるだろうが。労働者側の扱いは、ローサンと大して変わらない。違いがあるとすれば、野心があるかないか……くらいだろう。
メーニックには野心と野望を忘れられない人間が押し寄せてくるが、ローサンには活力も気力も失った人間がなすがままに流れてくる。だが、いずれも最終的な行き先は一緒。川の流れに逆らっても、負かされても。支配者階級にいいように釣り上げられては、血抜きされ、煮るなり焼くなりと、美味い部分だけをしゃぶり尽くされるのが関の山。……最後に残された骨には哀悼の言葉さえ、かけてもらえない。
「……僕、1人でママの所に帰るよ。……ヴァン兄さんとは、上手くやってけない気がする」
「いや、そんなにすぐに決めなくてもいいだろう? 別に、僕だってお金持ちってわけじゃ……」
「そういうのが、嫌だって言ってるんだよ! ……とにかく、ご馳走様でした……」
ちょっと待って……と、ヴァンが引き止めるのさえも聞かずに。朝食のお礼を述べながらも、警戒心を思い出したサムが悔しそうに店を出て行く。彼の萎れた様子に……なんて言ってやれば良かったのだろうかと、残されたヴァンは考えるものの。無意識の高級感というものは、卑屈な環境で生きてきた人間には殊の外、鼻につく。そして……その境遇の違いは、特殊過ぎる人生を歩んできたヴァンには、理解し得ない要素でしかなかった。




