シンセティック・カプリッチョ(11)
青々と茂る新緑。吹き抜ける薄荷色のそよ風。程よく鼻腔をくすぐるのは、太陽をたっぷり浴びたライム果樹園の香り。
普段はビター系のフレーバーをこよなく愛するラウールではあるが、何よりも信頼を寄せるクロツバメレーベルのブレンドともなれば、飲まず嫌いはあり得ない。普段は食指も動かない酸味も強いフルーティ系ブレンドは、爽快感も格別とコーヒーマニアのラウールをも唸らせる逸品。特に煎りたてということもあるのだろう、脳天に突き抜けるアフターフレーバーの鮮烈な香りは見事というより他にない。
「あぁぁぁぁ……なんて、素晴らしい香味なのでしょう……! 普段のブレンドもドッシリと強いボディに安定感がありますが……こいつは、なかなかにマニアックにブレンドされているようですね。立体感のある柑橘系の香りに、ほのかに残る甘みが最高です……!」
「そ、そうですか……。お店の方がアイスコーヒーがオススメだと教えてくださったので、そうしてみたのですけど……」
ラウールに有り余る感動をもたらしている同じ1杯を、キャロルとイノセントも頂いてみるものの。彼程にはコーヒーにこだわりもないせいか、いつもよりちょっぴり酸っぱいと感じる以外は、よく分からない。……ラウールのおっしゃる「立体感のある香り」が何たるかを、彼女達が理解する瞬間はきっと永遠にやって来ないだろう。
「ラウールはコーヒーを飲んでいる時だけは、幸せそうなのがよく分かるな。ただ……」
「ただ?」
「やっぱり、変な顔しかできないんだな。いつもの笑顔よりはマシかも知れないが、今度は弛みきっていて、間抜け面になっているぞ?」
【そうイってやるなよ、イノセント。ラウール、ちゃんとしたカオでヨロコべないのは、イマにハジまったコトじゃない】
「……間抜け面の上に、ちゃんとした顔で喜べなくて、悪かったですね」
折角の爽快感を娘もどきと愛犬に茶化されては、ムスッといつもの仏頂面に戻るラウール。そうして、苦い思いと一緒にキャロルの用件を思い出しては、お話をお伺いしようと向き直る。
「……ところで、キャロル。俺に話したいことって、なんでしょうか……?」
「ラウールさん……」
「う、うん……?」
「ラウールさんって、隠し子とかいたりしませんよね?」
「へっ? 隠し子……ですか?」
無論、キャロルもラウールにそんな大胆な真似ができないのは、重々理解している。今はどこかでお説教をされている少年が13歳程の時点で、彼の父親がグリードではないのも明らか。それでも、キャロルがこうして少年の狂言を擬似餌に使ったのは……カマをかけて、別の隠し事を釣り上げるためだ。
「一体、何を言い出すのです! 俺にはそんな相手もいなければ、子供なんて……いませんよ?」
「本当ですか?」
「大体、キャロルだって知っているではありませんか。俺が一般人に肌を晒せない体である事くらい。ですから、キャロル相手以外には……えぇと……」
そこで恥ずかしがらなくてもいいだろうに。先程まで惜しむようにチビチビと啜っていたコーヒーをゴクリと飲み干しながら、何かを紛らわせるように「お代わり」をお願いしてみるものの。当然ながら、キャロルの猜疑心という名の牙城は門を破るどころか、門前払いとばかりにラウールが付け入る隙もない。
「……ラウールさん、何を隠しているんですか? 最近……様子がとってもおかしいですし、私にもの凄く遠慮していますよね?」
「い、いや……そんな事はありませんよ? 別に、隠し事だなんて……」
「……分かりました。もう、いいです。私は信用できないから、本当の事を教えてくれないんですよね? そういう事でしたら、白髭様の所にお邪魔していようかな……。それでなくても、ラウールさんは本当に面倒臭いですし。その上、平気で嘘もつくし、隠し事もするし。……流石に愛想も尽きそうです」
「ちょ、ちょっと待ってください! 本当に隠し事なんかしていませんよ! 浮気もしていませんし、キャロルには嘘もついていませんし……」
どうも仮面がなければ、向こう側の豪胆な気質や機転の良さを発揮することもできないらしい。焦りに焦るラウールを他所に、お代わりはありませんとグラスを下げつつ、キャロルがプイとそっぽを向けば。ラウールには、どうすればいいのか、分からない。そんな情けない甥っ子を見つめながら……やれやれとジェームズが助け舟を出す。これだから、奥手なシャイボーイは不器用過ぎて見ていられないと、出るものはため息ばかりかな。
【キャロル、そうじゃない。……ジツはラウール、ケッコンユビワをヨウイしててな。キャロル、ラウールにヘンジしてない。だから、ラウールはアセってるし、キャロルにキラわれたくなくて、エンリョしてる】
「えっ? ……そうだったのですか?」
もちろん、隠し事の本筋は別のところにあるものの。ジェームズのフォローもあながち間違ってはいない。ラウールが結婚指輪を用意していたのは事実だし、プロポーズを受け入れてもらえなくて歯痒い思いをしているのは、紛れもない現実だ。
「……この間も指輪を眺めて、気色悪い顔をしていたな。1人でニヤニヤしているから、不気味で仕方ないぞ」
「ヴっ……別に、いいじゃないですか。互いに身につけているのを想像するくらいは……許してください」
ジェームズのナイスアシストに乗っかる形で、ラウールを罵りつつイノセントが現実味を嵩増しさせる証言を吐き出せば。その互いの間抜け加減に、キャロルは笑わずにはいられない。そうして、グラスを引っ込めるだけではなく、お代わりをご用意しますと……キッチンへ入っていく。そんな彼女の背中を見送りつつ……ここは素直にジェームズに感謝した方が良さそうだと、ラウールはコソコソと愛犬の尖った耳に礼を述べる。
(ジェームズ、助かりました。……謝礼はしっかり、弾みますよ)
【(ウム、ゼヒにカポコッロをタノむ)】
(ここでカポコッロとは……ジェームズは相変わらず、塩分は度外視なのですね……。まぁ、いいか。俺も頂いてみたいですし。今度、奮発して買ってみましょうかね)
(私も食べてみたいぞ)
カポコッロは生ハムの一種ではあるが、製造過程にスパイスを混ぜ込んでいるため、やや犬の舌には刺激的な気もする。それでも、気配り上手の愛犬にはご褒美も必要だろうと、高級品の購入もあっさり決断するのだから、ラウールも相当にお調子者である。
(しかし、キャロルはどうして俺に隠し子がいるかなんて、聞いてきたんでしょうね? ……何か、あったのでしょうか?)




