シンセティック・カプリッチョ(9)
ラウールがルセデス達の背中を羨ましげに見送っている、その頃。キャロルはイノセントとジェームズを連れて、サントル・コメルシィアルに遊びに来ていた。なんでも、ツバメコーヒーのアーリーサマーブレンドが売り出されているとかで、買って来て欲しいとの事だったが……。
(やっぱり、怪しい……)
さもありなん。ラウールの挙動不審に気づけない程、キャロルは鈍感でもない。相変わらず、添い寝の可否を伺ってくる貪欲さはあるものの。何かを隠しているのか、キャロルが疑り深い顔をして見せると、途端にお熱を引っ込めるのだから……ラウール検定(仮称)マスター級保持者としては、裏があると勘繰るのも、当然である。
「どうした、キャロル?」
「えぇ……最近のラウールさん、様子がおかしいと思いませんか? 何かを隠しているというか、誤魔化しているというか……。妙によそよそしい気がして……」
計画の仕掛け人は、ラウールその人だったが。しかして、ご本人様が隠し通すのに向いていないのだから、世話が焼ける。
「えっと……そうか? 私には、そんな風には思えないが。気のせいじゃないか?」
【ハゥン、アゥン(そうそう、キのせい、キのせい)!】
「そ、そうかしら……」
そんな事を話しているうちに、目的地に辿り着きつつあるのだろう。目的の店へ続く角を曲がる前から、香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。どこかビターでありながら、油分の温かみも感じさせる芳醇でまろやかな匂い。深呼吸しなければ損だと言わんばかりの芳香に包まれては、仕方なしにキャロルも疑念を一旦は引っ込めるが。角を曲がろうとした瞬間に誰かが後ろからぶつかってくるものだから、疑念は引っ込めても声が出てしまう。
「キャッ⁉︎」
「キャロル、大丈夫か?」
「え、えぇ、大丈夫……って、あら? お財布がないかも……!」
「えっ⁉︎」
鮮やかにポシェットから財布が抜かれたのに気付いて慌てて顔を上げると、混雑具合を味方にしながら、あっという間に走り去っていく掏摸の小さな背中が雑踏に溶け込んでいくではないか。しかし……この場合はご愁傷様と言うか、相手が悪いと言うか。素早く緊急事態に気づいたジェームズが頼まれるまでもなく、すぐさま犯人確保に自慢の俊足を走らせる。
【ガルルルルッ‼︎】
「う、うわっ! な、なんだ、この犬め! は、放せよ……放せったら!」
【グルルルルルル……!】
「ギャっ⁉︎」
あっという間に犯人に追いつくと、聞き分けのない悪い子にはお仕置きが必要でしょうと、ジェームズが小さな尻に牙を立てる。かなり手加減しているとは言え……見るも禍々しいドーベルマンの制裁は、大胆不敵な掏摸の蛮勇を縮み上がらせるのに、効果も覿面。そうして年端もいかない少年掏摸が、いかにも自分の方が被害者ですとアピールするように泣き出した。
「い、痛いッ……! グスッ……!」
「ジェームズ、大丈夫ですか……って、あぁ。大丈夫じゃないのは、彼の方みたいですね……。坊や、大丈夫?」
「別に、心配してやる必要はないんじゃないか? キャロルの財布を盗む方が悪い」
「それはそうですけど……」
鮮やかな手口からしても、この子が普段から掏摸に精を出しているのは明らかだろう。しかし、彼の粗末な身なりを見れば見るほど、どこか身につまされるものを感じては……キャロルは怒る気にもなれない。
継ぎ接ぎだらけの草臥れた半ズボンに、伸び切ったサスペンダー。誰かのお下がりとしか思えない程に、ブカブカなキャスケット。そしてサイズも合っていないのだろう、ヨレヨレのシャツは明らかに生地も薄くなっている上に、襟元がだらしなくはだけている。しかして……はだけた襟元から見える鎖骨の浮き加減に、彼はまともな食事にさえありつけていないのだろうと想像しては、キャロルはいよいよ居た堪れない気分になってしまう。
「とりあえず、お財布は返してくれますか?」
「い、嫌だ……これがないと、ママが困る……」
「ママ?」
「パパが帰ってくるようにするには、お金が要るんだ……だから……」
しかし……事情を掘り下げようとしたところで、誰かがお節介にも呼んでくれたらしい警備員が少年を後ろ手に拘束し始める。何も、大の大人2人がかりでそこまでしなくてもいいだろうに……と思っていた矢先に、その厚遇具合を弁明し始める警備員達。どうやら、少年はこの辺ではちょっとした有名人でもあったらしい。
「あぁ、お嬢様方、大丈夫でしたか?」
「え、えぇ……私達は大丈夫です。ジェームズがこの子を捕まえてくれましたから……」
【ワォン!】
「これはこれは、とても立派なドーベルマンですね。そうでしたか、いやぁ……でしたら、こちらのワンちゃんに感謝状を送らないといけませんか。実は……こいつはここらでは常習犯の掏摸でして。なかなかに素早い上に、この混み具合ですから、今まで手を焼いていたのですけど。ですが、こうして捕まえることができて一安心です。余罪も調べ上げなければなりませんし……まずは、警察に突き出すのが先ですかね。と、言うことで……さ、立つんだ!」
「い、嫌だ! これをママに届けないと……」
「この期に及んで、何を寝ぼけたことを! この財布は、こちらのレディの物だろう!」
「違うやい! これは僕の戦利品なんだ! だから、僕の物さ! それに……僕にこんな事をしていいのか⁉︎ 僕は……僕は、あの怪盗紳士の息子だぞッ!」
「……えっ?」
少年の痛々しい弁明にも動じない警備員経由で、強制的に返還された財布を受け取りつつも……最後の最後で少年が暴露した内容に、凍りつかずにはいられないキャロル。見たところ、12、3歳程の少年の父親がキャロルの知るグリードだった場合、明らかに計算が合わない気がする。何せ……。
(ラウールさんは今度の夏で27歳……でしたよね? えぇと……?)
それでなくても、当のラウールはついこの間まで、所謂チェリーボーイだったはず。そんな彼がこんなに大きな隠し子を作っていたとは、あまりに考えにくい。だとすると、少年の言っていることは嘘か、或いは……。
(彼のお母さんが嘘を教えている、かしら……?)
複雑な事情を抱えているらしい彼の話をお伺いしようにも、その余裕さえも与えられずに、警備員に引きずられてトボトボとその場を後にする少年。そんなどこか苦しげで、悲しげな背中を見送っては……キャロルは尚も同情を募らせていた。




