エメラルドの卵(29)
「もう、いいでしょう? ……レディ・ニュアジュ。こうしてフランシス様は保護されたのですから、僕達も自由にしていただいても」
「この程度で解放されると思っているのかしら? あなたには、もっとお仕事をしていただかないと。それで……ご主人様から新しい命令よ。あなたにはすぐにでも、ロンバルディアへ越していただきます」
「……なるほど。次の監視対象は王子様……ですか?」
「まさか。金緑石ナンバー3はこの際、どうでもいいわ。彼らの中に、規格外の大物が混ざっていたでしょう?」
上品でありながらも、薄気味悪く微笑む、不思議な虹彩の瞳の淑女の底が知れないと……ヴァンは人知れず身震いをする。贋作師としての技術も、ヴランヴェルトの宝石鑑定事情の情報も。それらは確かに、目の前のレディ・ニュアジュがもたらした、ヴァンにとっての生きる術でもあったが……その代償はあまりに大きい。
「……いつになったら、首輪を外してもらえるのでしょうね、僕は。確かにあの時はフランシス様を助けるためにあなたに助力を求めましたし、技術も知識も非常に役にも立ちました。だけど……僕は純粋に、彼らとはこれからも家族でいたいのです。……裏切るような真似はしたくない」
「だったら、緑柱石ナンバー2と鋼玉ナンバー73とは、そのままの関係を続けなさいな。それに、緑柱石ナンバー2のお見舞いで、こちらにも来るのでしょう? ますます、ロンバルディアへの移住は理に適っているではなくて?」
「……」
言われれば確かに、その通りかも知れない。フランシスの入院先は、彼女も出入りしているヴランヴェルトの研究機関だ。それにイザベルもお世話になる可能性がある以上、ロンバルディアでの生活拠点を整えるのは、ヴァンとしても好都合である。だが……。
(次のターゲットは、数々の鋼玉を生み出したコランダムの来訪者の1人、純潔の彗星……か。確かに彼女は……まさに覇王を目指すご主人様にしてみれば、何がなんでも手に入れたい相手だろうな……)
彼の飼い主は非常に野心家で、暴虐的。表面は穏和な顔をしていても、内に燻る支配欲は他の追随を許さない。その本性を知った時……ヴァンは縋る相手を間違えたのだと、未だに悔やんでは、頭と首根っこを痛めていた。おそらく、SOSを発する相手がヴランヴェルトの領主であったのなら、事態はここまで悪化もしなかったろう。そして彼の関係者であれば、一律助けてくれると思ってもいたのだ。しかし……まさか、その側近に危険な相手が混ざっているなんて。死に物狂いだったヴァンには、想像もできないことであった。
「分かりましたよ。向こうでも店を用意してくれるのなら、喜んで引っ越しましょう? それに、彼女は当店の大切なお客様ですからね。……渡しそびれていた香水を手土産に、接触してみましょう」
「えぇ、そうして頂戴。店はきちんと用意しておきますから、できるだけ早く引っ越しをお願いしますよ。まぁ、相手は子供みたいですし、そこまで手こずることもないでしょう」
「……」
彼女は確かに見た目は子供だし、言動も子供っぽい。しかし、性能はメンバーの中で最も凶暴だと、例の王子様も言っていたではないか。彼女がそんなに生易しい相手ではない事くらい、ヴァンは本能で理解しては警戒している。それでなくても……。
(僕としては、やっぱり王子様が1番危険だと思うんだよね……)
イザベルの分かりづらい誘導にも関わらず、しっかりとフランシスの元まで辿り着いた彼の勘の鋭さは、間違いなく非常に厄介な性能だろう。それに……金緑石ナンバー3と言えば、究極の完成品と名高いアレキサンドライトのカケラである事くらい、ヴァンだって聞き及んでいる。その今更ながらの自己紹介に、改めて身震いすると同時に、間違いなく危険なことに巻き込まれたと……ヴァンは遅すぎる後悔をせずにはいられないのだった。
【おまけ・エメラルドについて】
あまりに有名すぎて作者の出る幕、皆無だと思いつつ……これまた、一応の様式美で呟かせていただきますと。
モース硬度は大凡8。この数値だけ見れば、非常に硬い宝石にも思えますけれど……。
天然のエメラルドは傷を内包していない方が珍しく、職人泣かせとまで言われる程に脆い宝石でして。
例外的にオイル処理等の化学処理を施してもあまり価値が下がらないばかりか、多少の傷物でも宝石として珍重されたりと、何かと特別扱いされる宝石でもあります。
その歴史は非常に古く、クレオパトラが偏愛したことでも有名ですね。
また、ローマ皇帝・ネロもエメラルド製の片眼鏡を持っていたなんて伝承も残っていたりします。
……にしても、エメラルドと眼鏡、ですか。
この組み合わせでオズの魔法使いを思い出すのは、作者だけですかね……。
登場するのが歴史でも、童話でも。登場シーンがどんな場所であろうとも。
今も昔も、類稀なる緑色の輝きは、人を魅了して止まない事だけは間違いなさそうです。
【参考作品】
『ドラキュラ(フランシス・コッポラ監督)』
主に登場人物の名前を拝借していますです。
吸血鬼的な要素はあまりないです。




