エメラルドの卵(28)
「……ところで、最後まで腑に落ちないことがあるのだが」
「おや、イノセント。何がですか?」
特急の窓際でしっかりとおやつを頬張りながら、イノセントが不服そうに呟く。そんな彼女の疑念は、たった1つ。歯車がどうして木製だったのか、という事らしい。
「……全く、イノセントは勘が鈍いのですから。フランシス様も言っていたでしょ? ……オルヌカン領主はカケラ達にも墓を用意してくれた、と。あの歯車はおそらく……サンザシでできていたのでしょう」
「サンザシ? あぁ、デビルハンターが杭に使っていた素材だったか?」
「えぇ、そうですよ。……キリスト教圏でサンザシというのは、特別な意味を持つ樹木でして。キリストが処刑された際に被っていたのがサンザシの冠だとされていますが、その逸話からか、魔除けとして重用されて来たのです」
「ふ〜ん……で? それがどうして、歯車になったりするんだ?」
【イノセントはホントウにカンがニブい。……サンザシはオルヌカンだけではなく、ロンバルディアでもシシャをトムラうのにツカわれる。タブンだが、あのトビラジタイがエリザベートのボヒョウだったんじゃないか?】
ジェームズにまで勘が鈍いと言われて、自称・デビルハンター(もどき)が更にプゥっと頬を膨らませる。その様子があまりにおかしいものだから、キャロルもクスクスと笑っては、イノセントに優しく説明し始めた。
「木製にもかかわらず、扉は防火扉の内側に作られていたでしょう? しかも、あれだけ煤だらけのお部屋の割には、とっても綺麗でした。ですので、この場合は燃えずに残っていたと言うよりは、後から付け加えられた扉だったのだと思いますよ。扉が作られたのは、エリザベートさんが亡くなられた後だったのではないかと」
「そうですね。あの扉は神聖な墓標であると同時に、封印でもあるのです。……きっと、フランシス様が忠誠を誓ったオルヌカン領主は、カケラがどんな存在かを知ってもいたのでしょう。その上で、エリザベート様を伴侶としたのですから、秘密を隠し通す覚悟もできていたのだと思います」
カケラと人間が一緒に暮らすには、様々な困難が付き纏う。外観は人間と一緒でも、寿命の差に始まり、精神的な不安に呑み込まれたらば化け物に変容したりと……彼らの存在をしっかりと受け止められない限り、普通の人間が一緒に暮らしていくのは、並大抵のことではない。
だからこそ、フランシスは当時のオルヌカン領主に惚れ込んでもいたのだろう。エリザベートを受け入れる覚悟をした挙句、最期まで寄り添おうとした彼を、フランシスは終生の主人として定めてもいたのだ。
(オルヌカンのご領主様も、ある意味で馬鹿な人だったのかも知れませんね。……普通に添い遂げられないはずの、カケラを伴侶に選んだのですから……)
まるで、継父みたいだ。
勢いでテオを思い出してしまっては、ラウールは妙に居た堪れない気分になってしまうが。今はセンチメンタルに浸っている場合ではないかと、気分転換がてら、イノセントとの会話に戻る。
「……あぁ、そうそう。言い忘れていましたが。オルヌカンは昔から、時計工房が多いことでも有名でして。ほら、イノセントもしっかりと職業体験、したでしょ? ……あの歯車の複雑かつ、美しい噛み合わせはオルヌカンの高い技術の賜物なのですよ」
「うむ……確かに、私も歯車の魅力に取り憑かれてしまいそうなくらいに、ピタリと嵌ったな。……ちょっと、癖になりそうだ」
フランシスは妹の墓を守ると同時に、領主から託されたオルヌカンならではの鍵も一緒に預かっていたのだろう。しかし、皮肉なことに……妹が最期を迎えた部屋を、自分も使う局面に陥ってしまった。その原因は未だに、はっきりとはしないが。彼は自分がオルヌカンを損なう元凶になってはいけないと、墓穴に引き籠った後はヴァンに扉を封印するように伝えたのだ。一方で……歯車の方はイザベルにお守りとして時計と一緒に渡すように指示を出したのだろうと、ラウールは推測する。
(きっと、フランシス様はイザベルさんを心配していたのでしょうね。サンザシは聖なる魔除け。その鍵を時計ごと譲渡することで、天国から彼を見守るつもりでいたのかも知れません)
何せ、自分がスーパーノヴァを起こしたら、木製の扉など跡形もなく焼き尽くされるに違いない。だからこそ、その前に最も重要なピースを安定しているヴァンではなく、どこか不安定なイザベルに時計ごと遺すことで、家族としての記憶も残そうとしていた。しかし、だとすると……。
(これは……もしかして、俺達はフランシス様の美しい配慮を台無しにしたことになるんでしょうか?)
それでも……やっぱり、これで良かったのだとラウールは珍しく機嫌を自前で上向かせては、穏やかな新緑の車窓を今一度、眺める。ちょっぴり台無しにはしても、丸ごと木っ端微塵にはしていない。こうして家族と一緒にいられるのが幸せなのは、彼らとて同じこと。であれば、その手助けをできたのだから、お節介だなんて言わないで欲しい。
***
「フランシス。本当に、無事で何よりだった。大丈夫だったか? 怪我はないか?」
「えぇ、大丈夫ですよ、ドビー様。……この度はご心配をお掛けいたしまして、申し訳ございません……」
家令の証でもある懐中時計をしっかりと手元に輝かせて。オルヌカン城にはフランシス(中身はイザベル)が予告通り、無傷で帰還していた。モリフクロウの卵も損なわれることなく、王子様の鑑別書付きで返還されては……オルヌカン城の金庫でひっそりと眠ることになっていたが。ドビーにとっては、卵以上にフランシスが無事だったことが重要だった。
「……最悪の場合、卵は諦めていいと思っていたんだ。確かに、あれは類稀なる至宝ではあるだろう。だが、フランシスの命には代えられない。フランシスが死んでしまったらどうしようかと、考えると……もう、気が気じゃなくて……! 本当に良かった……お前が無事で……本当に……!」
「ドビー様、そんな……私めのために、大泣きするものではございません。ほら、立派な紳士がこんな所で弱々しく涙を流して、どうするのです」
鋭い見た目の割には涙脆いドビーは、実の所、非常に情も深い人間である。財宝以上に家族を優先する傾向があり、肖像画は渡しても妹は渡すまいと、スペクトル急行に単身で業務妨害で潜入できてしまう程に、向こう見ずな部分もある。尚……妹・メヌエット嬢の結婚式でも大泣きしたのは、ここだけの話だ。
「……ご心配をおかけしましたね、ドビー様。ですが、もう大丈夫です。私も卵も無事でしたでしょう? それもこれも、ラウール王子のお陰です。本当に……彼には、なんとお礼を申して良いのやら」
「そう、だね……あぁ、しかし。ラウール様も水臭いのだから。……お見送りくらい、させて下さっても良かったのに」
結局、ボロボロと泣き止まない愛すべき領主の姿に安心しつつ。フランシスの皮を被ったイザベルは、しばらくは彼に付き合ってもいいかと考える。フランシスが彼に残したのはデビルハンターとしての轍ではなく、執事としての轍。意外と執事役をこなす自分もしっくり来ると、悦に入りながらも……利き腕の矯正は急いだほうがいいと、こっそり考えるのだった。




