エメラルドの卵(25)
「ところで、時計を返してくれないかな。まぁ、私にとっては、さして重要なものでもないのだけど。一応、預かり物だから」
「フゥン? 左様ですか? では、その前にこの歯車について……答え合わせをしても?」
城主に面通り頂く前に、仮面越しでイザベルが時計の返却を求めてくる。しかし……やや薄情なお言葉からしても、予想通りに時計自体は大切な物でもないらしい。相変わらずラウールがやや意地の悪い返事を返してみれば、ご要望には応じましょうとイザベルも呆れたように肩を竦める。
「……ムーブメントの状態から、この時計自体の作成日は約40年前程。そして、元の持ち主はエイルさんだったと、ヴァン様の方からも聞き及んでいます。であれば、ヴァン様ないし、エイルさんは少なくとも40年前には既にフランシス様に保護されていた事になります。……この書状を見る限り、フランシス様ご自身が時計のオーダー元のようですし」
「おや、ラウール君。よく、そんな物を見つけてきたね……って、イザベルもそのことは知っていたっけ?」
「そうだね。私は一度、フランシス様から逃げられた身だからね。君がなかなか居場所を教えてくれないから……探し出すのに必死だったよ」
それは失礼、とヴァンが軽やかに悪びれる事もなく笑ってみせる。彼らの様子に、ますます自分の予想が正しいだろう事を、ちょっとした満足感(という名の慢心)に置き換えながら、ラウールが更に自前の回答を述べる。
「あなた達の関係性には、あまり興味もありませんけど。まぁ、その辺も予想通りでしょうかね。イザベルさんは仮面こそエメラルドの縁者を装っていますが、中身はコランダム……おそらく、サファイアのカケラなのでしょう?」
「うん……そうなるかな。本当は私もフランシス様とお揃いが良かったのだけど。……まぁ、こればっかりは仕方ないよね」
カケラの核石は後から挿げ替えることはできないのが、通説である。イザベルの反応から、ラウール達が知り得ない研究においても、根本的な原理は変わっていないようだ。だとすれば、ヴァンとエイルの融合はちょっとした例外だったと考えるべきだろうか。
「なぁ、ラウール。さっきから……サッパリわからないぞ。私にも分かるように、説明してくれないか?」
「イノセントは相変わらず、せっかちなのですね。まだ憶測の域は出ませんけど、まずイザベルさんはフランシス様に保護をされたカケラではありましたが、フランシス様は彼に同じ仕事をさせるのを嫌がったのです。……それも無理はありません。フランシス様にとっても、同族狩りの仕事は苦痛でしかなかったのでしょうから。故に……フランシス様は同族狩りの轍を残すまいと、イザベルさんの前から姿を消したのだと思われます」
そして、彼が姿を消したタイミングはエイルが亡くなり、ヴァンがその核石を継承した時期だったのだろうと、ラウールは続ける。きっとフランシスはヴァンが独り立ちできそうなのを見計らって、彼らを解放するつもりで自分の方を切り離したのだ。
「ロンバルディア側では、核石の性質量を1人のカケラに集約する術はないと思われていました。しかし、実際にヴァン様はエイルさんの核石を取り込んで、性質変化までされているのです。でしたら、同じ培養体から生まれた双子であれば、核石を融合できるのかとも思われますが……きっと、コトはそんなに単純でもないのでしょう。この場合はヴァン様とエイルさんが受けていた実験の方が特殊だったと、考えるべきです」
「……そう。君はそこまで見抜いてくるんだ。その通りだよ。ヴァンも私も……妹を食い殺して命を存えた、同族喰いのカケラなんだ。そして、受け皿を用意するためにはあらかじめ、同族喰いに慣れておく必要がある」
互いの核石を喰らうのは、最後の最後……あくまで、メインディッシュ。最重要のメインディッシュをしっかりと消化するには、まずは前菜を平げて、核石の融合を叶える素地を作り上げることが必要だった。そのために……ヴァンもイザベルも。フランシスが保護する前に、相当数の苗床から採取された核石を与えられてきたのだという。
「そんな残酷な事が……あったのですね……」
「そうだよ、赤毛ちゃん。研究者達はより優れた兵器を作り出すために、双子をくっつける方法を模索していたんだ。そしてその中で、苗床として利用していた捨て石の心臓を集約者に補給させることで、石座を構築する方法を確立させたんだよ。ただ……相手が全く同じ状態の核石ならいいのだけど、変異していたり、質量があまりに違いすぎたりすると上手くいかないみたいでね。実際にヴァンは、エイルちゃんがアメジストからシトリンに変化してたから、アメジストのカケラじゃなくなったみたいだけど」
「そうなんだよね。……はは、だから僕の方はこうして平和な顔をしていられるけど。アメトリンの能力は戦闘向きじゃないからね。周囲をリラックスさせる能力だなんて、戦場に出したところで士気を下げかねないし」
しかも、ラベンダーの清々しい香りつき。これでは、外を気軽に出歩くのも憚られる。そうして、丁度コルテス城の周囲がラベンダーだらけだったのをいい事に、ヴァンは自身の香りを誤魔化すための調香の勉強をしていたが……。
「……だけど、そんな事をしている間にフランシス様が明らかによろしくない状態で帰ってきてね。この城は元々、エリザベートという令嬢が最期を迎えるために作られた城でもあったから……きっと、フランシス様もその事を覚えていたんだろう。僕にその歯車を寄越すと、絶対に開けないでくれと……この城のある部屋に閉じこもったんだ」
それがここさ……と、長い廊下と幾つもの階段を通り過ぎた後で案内されたのは、何かを隔離するように設えてある重厚な防火扉の更に奥。そこには、一面を歯車で埋め尽くされた不思議な扉が口を固く閉じたまま、佇んでいるが。しかし……その扉を埋め尽くす歯車1つ1つが、木製であることにも目敏く気づくと……ラウールは尚も戦慄せずにはいられない。
“種明かしは夕刻を迎えた後で”
ちょっとした悪戯の種明かしにしては、随分と趣味が悪い。確かに、その鍵は小さな小さな歯車に過ぎないだろう。しかし、精巧な扉にあって最も重要な役割を担うらしい歯車は、カチリと扉に難なく嵌まると……カラカラと軽やかな音を立てて回り出す。そうして開かれた先に広がる光景は、室内なのに深い森を思わせる緑の虹彩で埋め尽くされていた。




