エメラルドの卵(20)
「そうだったのですね……。もしかしたら、そのもう1人もカケラ……なのでしょうか?」
「おそらくね。で……きっと、オルヌカン様に化けられる体格の持ち主だと推測するべきです」
約束通りのバルコニーで穏やかな上弦の月を見上げながら、2人で情報を擦り合わせるものの。最初から、相手が2人ではなく3人いることに気づくべきだったと、ラウールは悔しそうに歯噛みしている。
ラウール達は確かに、おそらくフランシスご本人様には直接はお会いしていない。しかし、フランシスはオルヌカン城にずっと出入りしていた人物でもあるため、ドビーや他の使用人も体格が異なれば真っ先に気づくだろう。そのフランシス(偽物)の見た目は初老の老人だったことを考えても、やや小柄で女性でもあるイザベルが成りすますのに無難な体格だと考える方が自然だ。
一方で、ドビーは壮年の紳士であり、背も高く、ラインはスマートでシャープな印象はあるものの……体格は割合、がっしりしている。取り立てて大男という訳ではないが、ラウールと同じくらいの背丈はあるため、女性が成りすますには少々無理がある。要するに、この場合はドビーに成りすました男性も向こう側のメンバーだったと考えるべきだった。
「……で、最後の登場人物こそがこの承認印を作った贋作師だろうということが、例の詐欺師さん達の話からなんとなく分かりました。……尚、彼は普段からヤケにいい匂いをさせていたそうですよ」
「いい匂い……例のラベンダーの香り、でしょうか?」
「みたいですね。だけど、キャロル。今まで出会った中に……同じように体からいい匂いをさせていた相手がいた事に、気付きませんか?」
「いい匂い……? あっ! もしかして……」
「えぇ、気づきましたか? そうですよ。……トワイライトはまさに、ラベンダーの香りを放っていました」
ラベンダーにも似た清々しい芳香を纏う、天空の来訪者。青空城と呼ばれた楽園の持ち主は……まさに、清々しい芳香を存分に振りまく黄昏色の鱗を輝かせていた。
「だとすると……この贋作師さんは、アメトリンのカケラでしょうか?」
「おそらくね。しかも、黄昏の特性でもある芳香まで保っているとなると……相当の性質量の持ち主、“宝石の完成品”だと予測されます」
青空城探索の際に黄昏の彗星の心臓のうち、1つは最後まで見つけられなかったとは言え……彼の心臓は人間に利用されることなく3つ揃っていたのは間違いない。イノセントよりも大きな姿を保持していた時点で、2つの心臓を持っていたのは明白だった上に、残り1つはまさに青空城の浮力の原動力として利用されていたのだ。なので、この場合は原初の彗星の心臓由来ではない核石を持っていると、想定するべきだろうが……。
「……俺は来訪者の心臓から作られた完成品らしいのですが、別にそんな大層な素材を使わずとも、“宝石の完成品”を作ることは可能なのです。定義としては、80%以上の性質量を保持していれば完成品と見なされますしね。しかし……実は、この80%という数字にはきちんと意味があるのです」
あまり深い話はしたくはないが。かつてラウールが子供だった頃……イヴから「知っておくべき事」として、「80%」が何を意味するのかくらいは教えてもらっていた。そう……“宝石の完成品”のレッテルは何も、性質量が多いことを示すだけの符丁ではない。
「80%という性質量は、カケラが原初の彗星と同じ性質を持ち得るボーダーなのです。……俺の親がどんな彗星だったのかはあまり知りたくないので、敢えて後回しにしていますけど。おそらく、どんな鉱石をも取り込める性質は、来訪者由来の何かなのだろうとは思っています。とは言え……雑多な鉱物から武器を作り出す能力は、後付けの実験によるものですが」
そこまで禍々しい現状を自分で白状しては、自前で落ち込んでしまうけれど。それでも、今は落ち込んでいる場合でもないかと、首を振りながら話を続けるラウール。一方でキャロルは言葉を掛けない代わりに、欄干を握りしめている彼の右手を温めるように摩りながら、大丈夫と優しく微笑む。
「……うん、大丈夫。ありがとう。で、肝心のトワイライトさんですが……おそらく、普段は素性を悟られないために、ラベンダーの咲く場所に住んでいたのだと思いますね。しかし……詐欺師さん達によれば、表向きは調香師として働きに出ていることもあるのだとか」
「表向きは……ですか?」
「手先の器用さを生かして、贋作師の裏家業もされているようでしてね。どうやら、彼……オルヌカンの泥棒さんの間ではちょっとした有名人みたいですよ」
しかも依頼料を無駄に吹っかける事もなく、良心価格で最高の仕事をしてくると、専らの評判らしい。彼への依頼に必要なのは、女性からのリップサービスだというのだから、秘密のトワイライトさんは非常に好き者で用心深いと見える。
「と、いう事で……明日はティベルスのブティック街へ出かけますよ。折角です。思い出作りに、キャロルも香水を仕立ててもらってもいいかもしれませんね?」
「香水ですか? えぇと……私はあまり、香水を使う習慣はなくて……」
「……おや、そうなのですか? ワイルドラベンダーの香りは好みではない?」
「あぁ、そういう事ですね。でしたら……えぇ、もちろん。私もラベンダーの香水、使ってみたいです」
「流石、俺の相棒。話が早くて、助かります」
ラベンダーの香水は数あれど。ワイルドだなんて野生的な響きの香水はまずまず男性向けだろうし、女性向けだったとしても裏メニューである以上、店頭でホイホイ注文が入る代物でもない。しかし……依頼主を女性に限定する時点で、例のトワイライトさんはいけ好かない相手に違いないと勘繰るラウール。そんな同族嫌悪を思い起こすついでに、明日の邂逅を想像しては……やっぱり、最後は皮肉めいた口元を歪めてしまうのだった。




