エメラルドの卵(16)
「ご苦労様でした。それで、レプリカに染み付いたラベンダーの香りは野生種のものだった、と……」
「そうみたいです。ラベンダー農家さんの話ですと、メベラスの山中に自生している種類なのだとか……」
そこまで報告をしてくれた所で、キャロルの顔が曇る。彼女は野生種のラベンダーが咲いている場所を特定できなかったことを申し訳なく思っているようだが、それはさしたる問題ではない。問題はどちらかと言うと、彼らがどうしてそんな場所に潜んでいたのか、である。
「大丈夫だよ、キャロル。メベラスにワイルドラベンダーが咲いている場所があると分かれば、十分です」
「へっ? そうなのですか? 私はてっきり、その場所にこのレプリカの作者さんが住んでいるのだろうと、思っていましたけど……」
「まぁ、最終的にはそうなるのだけど。でも……ここまでの精巧な偽物を作り上げてくる時点で、彼が作り出せるのは承認印だけではないと思いますよ。だって……彼女、言っていましたもの。もし俺達があちら様の元に辿り着けたら、卵は無傷でお返しします……と。だけど、その無傷の意味がもし、別の意図を含む場合は……無傷は無傷でも、偽物が返却される可能性を考えた方がいいでしょうね。相手は宝石商のお作法にも精通した、贋作のプロでしょうから」
「それって……つまり?」
掴み所がない説明にキャロルが首を傾げれば、ここぞとばかりに当て推量の持論を展開するラウール。そもそも、時計のコランダムだろうと思われていた宝石さえも抜かれていた時点で、彼らが複数種類いることを想定するのが、彼としては正しい解釈になるらしい。
「時計が5時を強調するように作られていたのは、こいつの持ち主が変色効果のある核石を持つカケラだったからだと思われます。それで……この時計ですけど。出どころの工房から依頼書を失敬できましてね。作成の依頼主が攫われたらしいご本人様だったものですから。俺としては、してやられた気分ですけど」
「……フランシス・ヘル・シャンク?」
「はい、その通り。オルヌカン城の執事さんとして紛れ込んでいた……おそらく、エメラルドのカケラだと思いますよ」
勝手に顧客情報を失敬してきた手癖の悪さを気にする事もなく。キャロルが更に分からないと、フムムと唸る。書面だけでフランシスがエメラルドのカケラだという事になるのかが、キャロルにはどうしても理解できないのだ。そうして、一生懸命考えては悩むキャロルの様子を楽しんだ後……憶測の域は出ないなりにラウールがまたも、自信満々に持論を展開し始める。
「キャロルはどうして、イザベルと名乗る方がフランシスさんに成りすましていたのか、分かりますか?」
「えっと……その方が卵を盗むのに都合が良かったから、ですよね?」
「大筋はそうですね。ですけど、オルヌカン様のお話ではフランシスさんは執事としての勤続年数も長い上に、毎朝卵の手入れをしていました。お手入れ自体は複数名体制ではあったようですが……そんなに接する機会があれば、やりようはいくらでもあるはずです」
そう、フランシス自身に卵を盗む動機があったのなら、とっくに盗まれていたに違いない。それらしい贋作とすり替えられている可能性は否めないが。少なくとも、ラウールのような厄介な奴がいる状況で、改めて盗む必要はないはずだ。
「あっ、言われれば、確かに……。だとすると……」
「えぇ。そこで、このレプリカが一枚噛んできます。おそらく、彼女は卵を盗むためにわざわざ偽物の宝石鑑定士を手配したのではないと思いますよ。既にすり替えられている卵を鑑定される前に、お手付きにする必要があったのでしょう。……エメラルドは有名でありながら、非常に希少な宝石でもあるのです。まして、メベラス山脈は潤沢な資源こそ提供してくれますが、宝石の類は殆ど恵んでくれません。豊かなエメラルド鉱床を持つマルヴェリアはオルヌカンからは非常に遠い上に、通商条約があるとは言っても、貿易品は全てエメラルドではありませんしね。列車で行き来できるようになったのだって、ここ数年の話です。しかも……マルヴェリア産のエメラルドは高品質なだけあって、非常に高価なものだから。……熱暴走しそうになる度に買い付けていたのでは、資金繰りにも苦労するはずです」
資金繰りのために宝石の偽造と販売をしていたのであれば、皮肉なことではあるが。しかし、素人が相手であればそれらしい鑑別書でもそれなりの効果も見込めるだろうし、別にヴランヴェルトの承認印がなくとも、所定の書式さえ合っていれば、本物として認識される可能性も大いにあり得ることだ。
「そんな中で……たまたまあの詐欺師さんがご迷惑な事に、贋作師に承認印のレプリカ作成を依頼したのでしょうね。とは言え……こいつはキャロルの言う通り、本来は鑑別書には押印する必要のないものです。ヴランヴェルトの宝石鑑定は台紙の方が重要ですから。まぁ、箔付には持ってこいだけど」
自嘲気味に肩を揺らした所で、今度からは鑑定書以外に押印するのはやめましょうかと、きっちり反省するラウール。権限を凍結しているとは言え、これはあくまで自分の軽はずみが招いた結果でしかない。印面だけでレプリカを作り上げる凄腕の贋作師がいるのが、第一、想定外ではあるが。おそらく、異常な手先の器用さもカケラならではかもしれない……と、イノセントの器用さも思い出しては、苦笑いしてしまうラウールだった。




