銀河のラピスラズリ(2)
静寂を纏った空気に、程よく年代を感じさせる本棚の木の香り。落ち着いた色味の空間で、ラウールはとある資料を探して本棚を端から端へと、蔵書の背中を確認しながら渡り歩いていた。
今、彼がいるのはロンバルディア王立図書館。広大な敷地と圧倒的な蔵書数を誇る、大陸最大の図書館だ。そんな膨大な蔵書の中からあれでもない、これでもないと……書架の合間を彷徨うラウール。そうして……本棚に掛かっている梯子を登った先に、ひっそりと息を潜めるように収まっていた青の背表紙を探り当てると、いよいよ嬉しそうに目を細める。
(ありました……そうそう、これです。『拒絶の水と神の奇跡』……)
今回のターゲットを無事に盗み出すには、どうしても知っておかなければならない情報とあっては……ページを捲る手も心なしか早まる。そんな風に神経を完全に手元の書物に持っていかれながらも、無事に近くのソファを占領すると……いよいよ食い入るように、ラウールは素早く紙の上に踊る文字に目を走らせる。
(なるほど? やはり……リーシャ真教はただの宗教団体ではなさそうですね……)
ある程度の状況を飲み込んではみたものの、なかなかの重量がある書物をその場で読破するのは、難しい。残りのページ数をそれとなく目視で伺うと、今日は本を借りて行こうと決める。
そうして、貸し出し手続きをしに受付に出るが……何やら、小さな先客がいるようだ。そして、そんな困った利用客に手を焼いているらしい受付のお姉さんに、目の前で繰り広げられている膠着状態の事情を尋ねる。
「どうしました? もしかして……迷子ですか?」
「あぁ、お待たせいたしまして、申し訳ございません……。えぇと……この子がどうしても探している本が見つからないと言っていまして。……ですが、あまりにもお探し物のヒントが少なすぎて、この子の望む本を探し出してあげられないのです……」
「そうでしたか。それで? お嬢さんは何の本を探しているんですか? 絵本? それとも、童話かな?」
どうやら、お姉さんを困らせている小さなレディは、探している本が見つからないと駄々をこねているらしい。きっと自分の意見を曲げられて、不機嫌になっているのだろう。場所が場所なので、泣くのをきちんと堪える程度の躾はされているようだが……彼女の青色の瞳は、今にも涙を溢しそうな勢いだ。
「……父様の本を探しているの……」
「お父さんの本……ですか? だとすると、お父さんは作家さんなのですか?」
「うぅん、学者さんなの。それでね……フィオレがこの間、父様の本が沢山できたから……この図書館にもあるはずだって教えてくれたの……」
「へぇ〜、学者さんでしたか。では、ちょっと難しいタイトルなのかも知れませんね。それじゃぁ……その本は何の本だったか、分かるかな?」
「うぅん、知らないの……父様の本って事しか分からない……」
そういうことか。この子は自分自身は中身すらも知らない本を探そうと、受付で無理を通そうとしていたのだ。だとすると……本人の名前で聞いてみれば、お目当ての本が見つかるかもしれない。
「なるほど? では……お嬢さんのお名前は?」
「ルビア・ブライト……」
「そう。それでは、君のお父さんのお名前は?」
「……ラジル・ブライト……」
(ラジル……はて。どこかで聞いたことがある名前ですが……)
そうして、しばらく記憶の彼方に思いを巡らせて……いつか新聞の記事に、かの名前が載っていた事を思い出す。そうだ、ラジル・ブライト。ついこの間、新しい星の誕生に関する天文学の論文を発表していた、大学教授だったか。
「あぁ、存じていますよブライト教授。確か、天文学を専攻されている学者さんでしたね」
「そうそう! お兄ちゃん、よく知っているじゃない! 私ね……その父様の本を探しにきたの!」
当たりを引き当てられて、曇り顔から晴れやかな笑顔を見せる、ルビア嬢。少々生意気な態度を取りつつも、元気に胸を張る姿がどこかユーモラスで、可愛らしい。そして……その名前にちょっと愛しいと錯覚していた誰かの面影を重ねると、なんとなく彼女の本探しにもついでに付き合っていいかという気分になる。資料探しが予想外の展開になったが……この子の探し物も見つけ出せないようでは、どんなものも見つけ出すと評判の怪盗の名が廃る。そうして彼女の面倒も一緒に引き受けると、受付のお姉さんに軽く会釈をして書架へ逆戻りするラウール。たまには古びた紙の香りを存分に纏うのも、悪くないと……小さな手を引きながら、本の迷宮へ再度足を踏み入れた。




