エメラルドの卵(7)
「フランシス。確か……君が昨日、モリフクロウの卵を手入れしていた気がするが。その時はまだ、本物だったのは間違いないか?」
「えぇ。左様です、ドビー様」
「どうして私の指示を無視して、先んじて金庫から出したんだ?」
「ご指示を無視して……ですか? お言葉ですが、ドビー様。偽物の鑑定士にはチョコレートをお出しするようにと、おっしゃったのは貴方様ではありませんか」
「はっ?」
フランシスと呼ばれた家令の釈明によれば。昨日の昼頃に偽物の鑑定士がやってきたようなので、「チョコレートでからかってやれ」と指示を出したのはドビーその人だという。現に、彼だけではなく複数人の使用人の前で彼が指示を出したとかで……ドビーの指示を聞いた者も居合わせているのだから、フランシスは嘘をついていないようだ。しかし……。
「ですが……昨日はオルヌカン様は駅まで、私達を出迎えにきてくださいましたよ? そして、ラウールさんからお届けものを受け取って……」
「えぇ。キャロルの言う通りです。俺達を出迎えてくれたのも、オルヌカン様でした。昨年のベニトアイトのお話をご存知だった事を考えても、紛れもなくご本人だと思いますが……」
今まさにドビーの胸元に輝くラペルピンを指差しながら、ラウール達もドビーに会っていたと説明すれば。居合わせた誰もが、はて奇怪なと唸らずにはいられない。
同じ時間に、同じ人物が、別の場所で別の相手に会っていた。そうなると、どちらか片方が偽物だった……ということになるか。
「……この場合、多分……」
「え、えぇ……。フランシスに指示を出した方が偽物だったのでしょうか? しかし……また、どうして?」
「狙いはもちろん、モリフクロウの卵だと思いますよ。きっと、オルヌカン様になりすました誰かは、公表していないはずの鑑定士手配のお話を知っていて、かつ……」
「偽物の鑑定士さんがやってくることを知っていた人、になりますか?」
「だろうね。さて……こうなると、ここで本物になりすましている承認印の出どころをすぐに調べないと、不味そうですかね?」
「もご……どうしてだ、ラウール」
事件の香りにも敏感なイノセントがフクロウのケーキをモグモグしながら、尋ねれば。ラウールがさも当然と、彼女の疑問に答えてみせる。
「承認印を使う場面はごく僅か、通常であれば非常に限られます。鑑定書に鑑定士の署名と一緒に押印するだけのツールでしかありませんし、こいつ単体では鑑定士の身分証明にはなりません。しかし、ヴランヴェルトの承認印であれば、多少は話が変わってくるのでしょう。……これはアカデミア卒業生の中でも、ダイヤモンドのグレーティング資格を持つ鑑定士しか持っていないものです。その辺の事情を知っている者であれば、上手い使い方を思いつくのも自然だと思いますよ」
「上手い使い方……ですか? しかし、彼らの利用方法はあまりにお粗末としか……」
「俺が言っているのは、牢で反省中の詐欺師さん達ではありません。こいつを作った製作者なり、贋作師なりの方です。……これだけの物を作り上げてくるのです。しかも印面だけでは分からないはずの本体まで、きっちり作り上げてくるのですから、これの作成者は承認印がどんなものかを知っている相手だと思いますよ」
通しナンバーまで本体に刻印された偽物は、ラウールさえもすり替えられたらすぐに気づけない程の仕上がりである。承認印単体で身分証明にはならないとはとは言え、セットで台紙も揃えられれば、鑑別書の濫発も可能だろう。
「……鑑別書や鑑定書は、宝石の価値を底上げするためのものではありません。あくまで、対象の宝石がどんな鉱物なのかを記載しただけの書状です。しかし、屑石を本物として流通させられるのであれば、その限りでもないでしょう。まぁ、鑑定士の判断ミスも想定して、宝石の価値を保証するには鑑定士2名分の書状が必要だったりするのですけど……。でも、それを知らない素人さん相手であれば、1枚でも効果はあるかもしれません」
しかし、参りましたね、と……今度はラウールの方が悩む番だと唸り始める。
この状況は要するに、ドビーに成りすませる程の人物と承認印の作成者が知り合いだった場合は、ラウールにもなりすまして鑑別書を発行されるかもしれない、という危険性を示している。鑑別書に金銭的な旨味はないものの、偽物が本物になり得るのであれば。悪影響は計り知れないものがある。
「仕方ありません。一旦、俺の承認印の権限は凍結しておきましょうか。どうせ、本来はダイヤモンドの鑑定書以外には押印する必要もありませんし。……それと同時に、網も張っておきましょう」
「本当に申し訳ございません、ラウール様。まさか、私の軽はずみでこんな事になるなんて……」
「いいえ? お気になさらず。宝石商の世界では偽物だ、本物だなんて話はよくある事です。それに……贋作師さんの方にご愁傷様と、先んじて申し上げておきましょうかね。こうも挑戦状を叩きつけられたとあれば……ククク。折角です。俺の方も、しっかりと受けて立ちましょう」
「……ラウールさん。これは挑戦状ではないと思いますよ? そもそも……押さなくていいはずの鑑別書にまで、承認印を押すからいけないのでは?」
「私もそう思う。しかも……相変わらず、お前の笑顔は不気味だな。笑わなければ、ただのいけ好かないハンサムで済むのに」
【クゥン(ジェームズもオオムね、ドウカン)】
「……」
最大の被害者であるはずなのに、愛しい婚約者に嗜められ、生意気な養子には扱き下ろされ。しかも、愛犬も呆れたようにタンカラーを釣り上げている。ドビーにフランシス、そして他の使用人達も。苦笑いを浮かべているのを見るに、その場の全員に笑顔が不気味だと思われているらしい。
(……どうして、ここで誰も慰めてくれないんでしょうね……? 俺もそろそろ、泣きたいですよ?)
しかし、悲しいかな。涙を落とすこともできなければ、器用に空気を持ち直すこともできない。遊び好きが高じて、常々空気を乱しがちなラウールができることと言えば。……香り高いエスプレッソを啜って、精神安定剤を補給するのが関の山である。




