エメラルドの卵(1)
キャロルの講義とも折り合いが宜しいということで、今回はパスクワのお誘いついでに、旅行にやってきたラウールご一行。しっかりと犬と小鳥分の特別乗車券も予約して、荷物も万全とめいめい気分も軽やかに。こんな風に春の陽気と旅情に揉まれるのは悪くないと、何かと偏屈なラウールも珍しくご機嫌だ。
「この時刻表を見るに……出発まで、40分程ありそうですね。折角です。乗り換えついでに、軽食やお菓子でも買っておきましょうか。俺は5番のプラットフォームに向かっていますから……キャロルとイノセント、お買い物をお願いできますか?」
「はい、もちろんです。ラウールさんには何を買ってくればいいですか?」
気分も麗しいラウールが懐中時計と時刻表とを見比べて、そんなことを言い出せば。イノセントから歓声が上がるものだから、意外な提案にキャロルも嬉しそうだ。そうして、荷物運びを買って出たラウールからリクエストと代金を受け取って、女性陣2人が楽しそうに売店へ吸い込まれていく。一方で……。
【キュゥん……】
「ジェームズとヴィオラは、プラットフォームに向かいますよ。……そう、ガッカリしないで下さい。大丈夫です、ジェームズのおやつは別枠で買ってありますから」
そうして、自分の荷物+2名分の荷物も引き受けると同時に、ジェームズにヴィオラをお願いすると……渋々といった風情だが、しっかりと鳥籠を咥えてお利口に従うドーベルマン。
彼らがいるのは、オルセコのターミナル駅。ルーシャムはスペクトル急行だけでは飽き足らず、鉄道会社まで運営し始めており……常々、敷設エリア拡大に余念がないらしい。そんなおもてなしのプロの旗振りの下、急成長したルーヌカン鉄道会社はいよいよ、ロンバルディアの南東に位置するオルセコに、大規模な乗り換え地点を形成するまでになっていた。
「……さて、俺達の個室はここのようです。ジェームズ、ご苦労様でした」
【うむ……。トリカゴをハコぶのは、イガイとクビにクるな……】
首が凝ったと呟くジェームズからヴィオラの鳥籠を預かり、まずは労う意味でもキャリーケースからジャーキーを取り出しては、よしよしとご褒美を進呈する。そうして自身は座席に身を沈めるが……ベッドのお役目も兼ねているシートの心許なさは、変わらないようだ。
【そうイえば、イきサキはオルヌカンだったな】
「えぇ、そうです。先程まで乗っていた列車はスコルティアのフォンブル行きでしたので、どうしてもオルセコで乗り換えなければなりません。あぁ、大丈夫ですよ。こいつは通勤快速です。停車駅も5つしかありませんから、オルヌカン首都のティベルスまでは1時間程しかかかりません」
【いや、それはイいのだが……さっきのレッシャ、スコルティアイきだったのか? ルーシャムドまりじゃなく?】
あぁ、そのことですか……と中身が元王族の叔父様であれば、急激な変化に驚くのも無理はないかとラウールはつい、肩を竦ませてしまう。
かつてのルーシャムがスペクトル急行を独自開発し、周辺国家の貴族達にデモンストレーションをした挙句、オルヌカンと協定を結んだのだって、ここ数年(正確に言えば、一昨年の7月)の話。しかし、列車という手段が大量輸送に向いている上に、観光の移動にも持ってこいとなれば……自国にも是非レールを敷設してほしいと、ご要望があるのは当然というもの。しかも、ある程度の持参金さえ支払えば、ルーシャムが快く工事まで請け負ってくれるともなれば。相乗りを志願して、観光客を引き込むのも賢いやり方だ。
「因みに……特急を選べば、ミリュヴィラからフォンブルまでは2時間半で到着します。かの迷探偵さんはこの列車に乗ってきたのでしょう」
【そ、そうか……イマはスコルティアまで、そんなにハヤくイけるようになったんだな……。イッキにセカイがセマくなったキがする……】
ジェームズの感慨深い意見を頂きつつ。今頃はスコルティアの学校に通っているドン・キホーテに勢い、思いを馳せていると。時刻表の前で別れた時よりも、気分を高揚させているキャロルとイノセントもやってくる。そんなイノセントがテーブルの上に誇らしげにお菓子を並べると同時に、当然のようにラウールから窓際の席を奪うと……今度は今か今かと、列車が発車する瞬間を心待ちにし始めた。
「はい、リクエストのフィッシュ&チップスですよ。それと、ついでにトマトのサンドウィッチも買ってきました」
「あぁ、ありがとう。でも……」
「もちろん、コーヒーもきちんと用意しています。少し温いかもしれませんけど……お家で淹れてきたものがありますから、今はこちらで我慢してくださいね」
(あぁぁぁ! やっぱり、旅はキャロルと一緒が1番です……! コーヒーもそうですが……)
我慢も何も……ここまで自分に甲斐甲斐しく気を遣ってくれるなんて。いつも通り道具も持ち込んでくれているのだろうし、旅先のコーヒーは心配をする必要はなさそうだと、ラウールも思わず気分を緩ませる。しかし……嘆かわしいかな。彼のリラックス状態がそう長くは続かないのは、どこまでもいつも通りなのであった。




