掃き溜めのダークオーラクォーツ(23)
満月さえ降板すれば、彼らの日常は何食わぬ顔で朝日と一緒に戻ってくる。
店主が日課の見送りに出かけている間のお留守番も、いつも通りであるが。ジェームズの散歩を済ませたイノセントは、テレビ受像機に首っ丈の状態。それもそのはず、素敵な魔法の箱がスッキリするニュースをしつこく垂れ流しているものだから……感情の堰も仕事を忘れましたと、イノセントの興奮はダダ漏れの大洪水待ったなしである。
【……イノセント、そろそろテレビをケしてくれ。ジェームズ、スコしネムい】
「だったら、お前は1階で寝てたらどうだ?」
【ジェームズ、このフカフカのシキモノのウエでネたい】
昨年暮れのホリデーシーズンから敷かれている、毛足の長いネイビーのマットレスはジェームズのお気に入りである。そのマットレスの上にテレビ受像機が後からやって来たのだから、ジェームズとしては後輩は場を譲れ……という事らしい。
「うぐ……だって! あの薄情貴族が逮捕されたんだぞ! そんでもって、刑務所行きが決まったんだぞ! こんなに面白いことはないだろう⁉︎︎ ざまぁ見ろ、だ!」
【ドウドウ、イノセント。それはワかったが……さっきから、オナじニュースばかりじゃないか。それに……】
「それに?」
【カジョウにクビツりニンのアシをヒっパるようなコトを、オオゴエでイうものじゃない。……ざまぁミろ、とイいたいのはジェームズもリカイできるが。……ヒツヨウイジョウのリュウインをサげてタノしむのは、カンシンしない】
世間知らず加減が抜けないイノセントに、中身は壮年の叔父様がしっかりと説教すれば。流石のイノセントも落ち着くものがあるらしい。ジェームズの言い分は尤もだと、ようやく平静を取り戻す。
「そう、か。そうだな。……相手が誰であれ、不幸を面白がるべきではないな」
【そういうコト。……グリクァルツとブキャナンがハイチャクになったジテンで、カレらへのバツはソウトウだろう。ブキャナンはタイホにはならないみたいだが……おイエをトりツブされたゲンジツはかなりキビしい。トウニンにはキこえもしないだろうが、これイジョウはナニもイってやるな】
しかし、この場合は逮捕の方が良かったかもな……なんて、ジェームズがやれやれとタンカラーを顰めながら呟くが。彼の指摘はどこまでも正しく、どこまでも残酷だ。
貴族の地位があれば日常生活が丸ごとランクアップするのも現実ならば、それを失ったら付随する旨味が忽ち霧散するのも現実である。
特に承認貴族の場合は領地や税収もなければ、不労所得もない名ばかりの貴族が多いため……家柄を取り上げられれば、そのまま路頭に迷う末路を辿ることも少なくない。全てが優先される鮮やかな生活が手のひらを返したように、180度変貌するとなれば。目の前に広がる色褪せた裏道が、どれ程までの荊に覆われているのかは……想像に余りある。
【だから、ブキャナンはモーリスとラウールにコシツしていたんだろうがな。ショウニンキゾクはウシろダテをエるか、ビジネスをセイコウさせるかのどちらかにチュウリョクするのがフツウだ。コウシャであれば、タンドクでもイきノびられるし……コウセキがあれば、コウニンキゾクとのエングミもカノウだろう。だけど……】
「そうなると……ブキャナンは前者だった、ということか?」
【そうだな。ケイサツカンとしてハナシにならなかったのをカンガえても、ブキャナンにビジネスのサイカクはないだろう。……このバアイ、グリクァルツイジョウにブキャナンのホウがゼントタナンかもな】
マットレスの上で1人と1匹でそんな話をしながら、イノセントがやや名残惜しそうに、テレビ受像機のスイッチを切る。そうして、やってくる静寂に包まれながら……鳥籠の中でちっともスッキリしないカナリーは、自分こそが取り返しのつかない事をしていたのだと人知れず、考えていた。
(全部、私のせいよね……。私が、身の丈に合った相手を見つけて……身の丈に合った生活をしていれば……)
こんな事にはならなかったはずなのに。
そこまで思い至ると、カナリアの身で目頭を熱くしては……ホロホロと小さな涙を流すカナリー。
魔法の箱の中で項垂れていた父親を見つめるのも辛ければ、両親のこの後を考えるのは何よりも苦しい。既に存在しない事になっているとは言え、自分が元凶だという罪悪感だけはしっかりと残されてもいる。
きっとこれは……優し過ぎる罰なのだろう。踏み躙る側から、踏み躙られる側へ凋落することで……己が軽忽さを思い知れと、誰かが言ってくれたのに違いない。
「ピュロロロロ! ピチッ……ピチチチッ! ピュロロ、ロロロ……!」
「カッ、カナリー⁉︎」
「ピュロ、ロロロロロ……」
今まで「ウンともスンとも言わなかった」はずのカナリーが突然、甲高い声で泣き始める。そのあまりに唐突な出来事に、ジェームズと顔を見合わせつつ……イノセントが慌てて、カナリーの鳥籠に駆け寄って見れば。彼女は涙を流し、鼻息を荒げて……かつてない気迫で鳴き続けているではないか。
本来、メスのカナリアはそこまで上手に鳴くことはできないが。何かに取り憑かれたような彼女の歌声は、良し悪しの判断など馬鹿馬鹿しいくらいに、澄んでいて美しく……どこか、悲しげだった。
(ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい!)
もう、涙も声も止められない。喉に込み上げる熱も、痛みも、何もかもを無視して。ただひたすら、罪悪感の嗚咽を漏らす。そうして最後に、とうとう……。
「……ごめんなさい、お父様、お母様。私……は……」
「カナリー? カナリー⁉︎」
【カナリーが、シャベった? し、しかし……イマのは、イッタイ……?】
「……ジェームズ」
【うん?】
「……カナリー……死んでる……」
【エッ⁉︎】
最後に誰かに向けた謝罪の言葉と一緒に、仄暗い何かの欠片を吐き出して。恐る恐るカナリーの体を掬い上げるイノセントの手の中で、カナリーの体は温もりを残しつつも、微動だにしない。吐血するまでに鳴き通した彼女の喉は……仄暗い小さな鋒が突き破った傷で、ポッカリと穴が空いていた。




