掃き溜めのダークオーラクォーツ(8)
カナリアだから、カナリー。イノセントと言う少女に名前を貰ったところで、自分はヴィオレッタなのだと内心で悪態をつくものの。こうして籠の外に出してもらって、一緒にトーキーアニメを観るのは悪くない。そうして仲良く少女と犬とカナリアとで、冒険譚に夢中になっていると。相変わらず渋い顔をしたラウールが、夕食の合図をしにやって来る。
「イノセント、そろそろ夕食です。準備のお手伝いくらいはしなさい」
「ゔ……今、とってもいい所なのだ。ハールの活躍を見ずして、夕食は食えん」
「あぁ、そうか……今日はメクラディでしたね。全く、仕方ありません。そういうことなら、終わったらきちんと手を洗って来るのですよ。しかし、いつも同じような筋書きなのに……何がそんなに面白いのでしょうかねぇ? テレビ受像機を買ったのは、失敗だったかな……」
ラウールの呆れ顔からするに、彼女達が夢中になっている魔法の箱は、イノセントのおねだりでアンティークショップに据えられた逸品らしい。そんなテレビ受像機が映し出しているのは、イノセント(とジェームズ)が毎週欠かさず視聴している、「ズバッとお仕置き! デビルハンター・ハール君」というトーキーアニメだった。
「いつもながら、悪魔はえげつない事をする……! く、許すまじ……!」
【イノセント、カンジョウイニュウしスぎ。でも……ウム。コンカイのアクマはオオモノだから、シカタないか? シスターをサラうなんて、ヒキョウにもホドがある】
(やっぱり、この犬……喋っているわよね……?)
イノセントの肩の上で首を傾げながら、先輩のドーベルマンを見つめるヴィオレッタ……ならぬ、カナリー。ジェームズの事はただただ、目の色が変わった犬だと思っていたが。今は同じ動物の身の上だからなのか……何故か、彼の言っていることが分かるのが不可解だ。しかも、ラウールもキャロルもイノセントも。ジェームズのお喋りを訝しがる事なく、ごく普通に反応をしている。
(これはきっと夢なのでしょうし、この程度のことは不思議じゃないわよね……と、思いたいのだけど。どうも、違う気がしてきたわ……)
自分の夢だったら、きっとある程度の「イメージ通り」に物事が再生されるはずである。しかし、押しも押されぬ王族だと思っていたラウール達の家(兼アンティークショップ)はヴィオレッタが想像していたのより、遥かに規模が小さく貧相で……とてもではないが、王族の煌びやかな生活とは程遠い。
予想外のお粗末さに勝手に落胆しては、失望しているものの。それでも、他のカナリアと比較されて肩身の狭い思いをしているよりは、憧れのあの人の生活に溶け込めた境遇は遥かに幸運というものだろう。
「あぁ〜! 面白かった! ふふ……次回も楽しみだな、ジェームズ」
【そうだな。あのオオモノアクマを、おハラいしソコねていたし……このサキのテンカイもミノがせない】
自分の肩に留まっていたカナリーを優しく捕まえると、籠に戻しつつ……きっと、ラウールの言いつけを守るつもりなのだろう。いそいそと立ち上がっては、手を洗おうと浴室へ向かうイノセントとジェームズ。そんな彼女達の背中を見送りながら、小さな頭で状況を整理しようとするヴィオレッタだったが……。
(う……眠たくなってきた……。鳥の体って、本当に不便だわ……。四六時中食べていないと保たないし、熟睡できないから、何かにつけ眠たくなるし……)
止まり木に留まって、自然と身についていた片足立ちで、羽毛を膨らませれば。あっという間に泡沫の休息へ攫われていく。そうして、コクリコクリと船を漕ぎ始めたカナリーの耳には……楽しそうな晩餐の喧騒が、遠くに聞こえてくるのみだった。
***
「なんて、事を……! まさか、グリクァルツ伯爵がヴィオレッタを撥ねた、と?」
「あぁ、そうらしい。すまんな、ブキャナン警視……じゃなかった。今は巡査部長だったかね? 一応、申しておくが。彼女の方からぶつかってきたのだよ? 我らは何も悪くないのだ」
「し、しかし……!」
仮にそうだったとしても……ヴィオレッタは未だ、意識不明の重体である。
何故かブキャナン家からではなく、リッツトール家から出されていた捜索願いを受けて、マリトアイネスの警察が動いた結果。事故現場が彼女の帰り道だったことと着衣の特徴から、被害者はヴィオレッタだったことが辛うじて判明した次第だったが……。しかし、加害者でもあるグリクァルツ伯爵はとあるスジからの追及を逃れようと、先回りの回避策をゴリ押しすることにしたらしい。被害者家族がお友達であることをいいことに、恫喝混じりの交渉を成立させようと息巻いていた。
「……聞いた話によると、ヴィオレッタ嬢の容体は絶望的らしい。全く、わざとらしく顔から転びおって。怪我は右腕の複雑骨折と全身打撲らしいが……顔は整形でもしない限り、元に戻らんだろう。なぁ、ブキャナン巡査部長。考えてもみ給え。君の降格の原因になった娘はさぞ、憎かろう? その娘が運悪く助からなくとも、君にしたら大した問題にはなるまい。だから……即金で示談額を支払うから、事故責任の追及はせんで欲しいのだ」
「それは要するに……金と引き換えに、娘を諦めろということですかな?」
「いいや、そこまでは申してはおらん。ただ、互いにベストな選択をしようと提案しているだけだよ。状況の深刻さを鑑みて、白銀貨10枚を支払おう。それでヴィオレッタ嬢の治療をするもよし、家督を立て直すもよし。私は君とは警察としての地位とは関係なく、これからもいい関係を築いておきたいのだよ。是非に……これにサインを」
「……そうですな。私もヴィオレッタよりも伯爵の手を取る方が、賢明だと判断します」
「うむ、いい返事だ。やはり、君は警察としても見所がある。君と知り合いだったことは、私にとって最大の幸運だったろう」
おべっかに気分を良くしたブキャナン巡査部長に差し出されたのは、グリクァルツの家紋でもあるデューツィアをあしらった1枚の誓約書。それは素敵な相互扶助関係を締結するための契約書であり、加害者と被害者とで悪事を隠蔽する裏取引の約定書であり……2つの家族の魂を悪魔に売り渡すに相応しい、堕落の証文だった。




