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掃き溜めのダークオーラクォーツ(3)

「仕方なしに雇っているが、お使い1つ出来ないなんて。この役立たずが! ルヴィアの特製ジャムを、お祖父様達がどれだけ楽しみにされていたと思っているんだ!」

「あなた、転んでしまったものは仕方ないでしょう。ジャムはまた作ればいいのですし、庭の木苺もまだありますわ。何よりも、ヴィオレッタさんに大きな怪我がなかったのを、喜ぶべきではなくて?」


 ヴィオレッタの予想通り、ルヴィアは怒るどころか、擦りむいた手のひらに薬まで塗ってくれる始末だった。しかし()()()、エルロックが予定よりも早く視察から帰ってきており……ヴィオレッタが「大切なジャム」を台無しにしてしまったことが、相当に気に入らない様子。当主が振り撒く烈火の怒りに頭を下げつつも、自分で届けに行けばいいじゃないと……内心では、この田舎貴族めと悪態をつく。

 しかし、今のルヴィアには少々、届けに行くのは厳しいものがある。彼女は身重である。目に見えて大きいお腹を愛おしげに摩りながら、尚もルヴィアがエルロックを宥めるものの。……そんな事情含みの()()も、ヴィオレッタには面白くなかった。


「……まぁ、いい。それはそうと、ルヴィア。そろそろ、お祖父様達もこちらに呼び寄せたらどうだろう? ご高齢だし、その方が心配や不便もないと思うのだが」

「それもいいのでしょうけど……お祖父様達はあのお家から離れ難いのだと思うわ。あちらは自然に囲まれて、とっても素敵な場所なのよ?」

「あぁ、そうだったね……ごめんよ。だったら、今度の休みには君のジャムと一緒に僕が行ってこようかな。君が元気だと、ご報告もしておいた方がいいだろうし……」

「まぁ、本当? でしたら、張り切ってジャムを作らなくちゃ」


 木苺に負けず劣らずの鮮やかな赤毛を揺らしながら、ルヴィアが美しい笑みを溢す。そうして、ヴィオレッタにも木苺摘みを手伝ってと、嬉しそうに微笑むが……。ヴィオレッタは彼女の赤毛にどこかの誰かさんを思い出しては、言いようのない苛立ちを抑えるのに、精一杯だ。


「かしこまりました。奥様……」

「今日の事は気にしないで、ヴィオレッタさん。明日も是非に、お手伝いをよろしくね。あぁ、それと。良ければ、こちらをお持ちになって。焼いてから、少し時間が経っているけど……温め直してお召し上がりになってね」

「はい……ありがとうございます」


 それ以上の叱責がないことに胸を撫で下ろしつつも、結局はエルロックが届けに行くらしいことに、言いようもない位にムカムカする。しかも、何かを見せつけるように土産に寄越すルヴィアの優しさが本当に気に入らない。無理して体裁を取り繕うのにも疲れたし、誰かに頭を下げなければいけない境遇にもウンザリだ。父親が警視であった時は、()()()()()()周囲を平伏させる側だったのに。


(とにかく……お仕事は終わったのだし、帰ろう。でも、お父様には会いたくないわ……)


 トマ・ブキャナン警視の左遷は、職務怠慢と職権濫用に伴う部下(モーリス)への嫌がらせ……有体に言えば、パワーハラスメントに対する懲戒とされているが。その決定にかの騎士団長(ヴィクトワール)の一声があったのは、隠れた事実である。そして、Words of authority……鶴に一声を上げさせたのは、他でもない。ヴィオレッタの横恋慕の顛末と、自身の傲慢でとある人物を怒らせてしまったからだ。

 ヴィオレッタは未だに何が悪かったのかさえ、理解していないが。降格を娘が招いたとあっては、()()の父親がヴィオレッタを疎ましく思わないはずもなく。似たもの同士で互いにプライドも高く、自分の非を認めるのが嫌いな親娘の溝は深まる一方。しかも、母親までヴィオレッタのせいだと決めつけては、ブキャナン家はお終いだと顔を合わせる度に嘆いて見せる。

 そんなあまりに居心地の悪い家への帰り道が憂鬱なのは、当然というもの。しかも、ロンバルディア中央街の屋敷はとっくに売り払ったため、家の規模も大幅に小さくなっており……両親と顔を合わせたくなくても、否応なしに突き合わせなければならないのが、更にヴィオレッタの気分を沈めていた。


(これだから、田舎は……! ちょっと雨が降っただけで、道がぬかるんでいるじゃない。お陰で、靴が泥だらけだわ……)


 歩みも鈍い彼女の足元に広がるのは、沈んだ気分を更に下降させようと言わんばかりの泥道。誰のせいでもない悪路を注意深く、忌々しげにゆっくり進むものの。日が落ちた薄闇にあっては、目の前の水溜りに気づけなかったらしい。何気なく踏み出した足元からビチャンと、ヴィオレッタの傷心とは対照的なまでに元気な水飛沫が上がる。そうして、灰色の粗末なワンピースに汚らしいシミまで上乗せされて。何の恨みがあるのだと、1人で怒ってみても虚しいだけである。それでも、八つ当たりをせずにはいられないと、例のお土産(白パン)を相手に選んでは……情けないとは思いつつ、裏道で覚えた憂さ晴らしを実行する。恨みに、妬み。理不尽だと思い込んでいた、全ての境遇。そんな忌々しい現状を踏みつけるのに、夢中になればなる程、涙が止まらない。


(えっ……?)


 夢中になりすぎたあまり、背後に馬車が迫っているのにも気づかなかったらしい。そして、馭者もこんな所をこんな時間に歩いている者がいるとも思わなかったのだろう。暗がりでもハッキリと見えていた白パンが、汚泥色に変わり果てたのを見届けた、その刹那。ヴィオレッタの体は弾き飛ばされて……泥水だらけのパンと同じように、ボチャンと水溜りの上に転げ落ちていた。

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