掃き溜めのダークオーラクォーツ(1)
(どうして、こんな目に遭わないといけないのかしら……!)
それもこれも、有望株を横取りした泥棒猫のせいだ。
飽きもせずに身勝手な被害妄想を繰り広げながら、奥様のご用事を済ませなければとヴィオレッタは足を早めていた。彼女が歩いているのは、首都・ヴランティオの目抜き通りではあるが……立ち並ぶ高級店に足を踏み入れる用事も勇気もない。何せ、今や他の貴族に奉公に出された下級貴族の身である。目抜き通りの賑やかな光景は、ヴィオレッタには無縁のものとなりつつあった。
(キャロルさえいなければ、今頃……)
手が届かない輝きを思い描いて、ため息をついていても仕方ない。そうして、再び足を動かそうと顔を上げると……視線の向こうに、人集りが見える。しかし、中心にいるのが見た覚えのある顔ぶれなものだから……顔を合わせたくない気がして、咄嗟に人影に隠れるヴィオレッタ。
「ここの店に、あのブランネル公がいるらしいぞ!」
「お孫さんの婚約者と一緒に、ケーキを買いに来たんだとか……」
「へぇ〜……大公自ら、ねぇ……」
街ゆく人々の耳目を集めているのは、甘い空気と洒落た雰囲気をふんだんに振りまく、パティスリー。顔を合わせたくはないと思いつつも、気になるものは気になると……見物人と一緒にガラス越しに店内の様子を窺うが。そこには、ヴィオレッタが何よりも認めたくない景色が広がっていた。
「こんなに色々あると、迷うのぅ……。ねぇねぇ、キャロルちゃん。どれがいいかの?」
「白髭様はチーズケーキがお好きでしたよね。ここのお店のチーズケーキ、とっても美味しいって評判なんですよ。それで……あっ、これがお勧めみたいですね」
「ほぉ〜、そうじゃったの? そうか、そうか。キャロルちゃん、余がチーズケーキが好きなの、覚えてくれておったのね? ムフフ。じゃったら……うん、そうじゃな。まずはこのケーキを買って帰るのと……あっ、そうだ。ラウちゃんは、どんなケーキが好きなんじゃろ? キャロルちゃんは知ってる?」
「ショートケーキが好きみたいですよ。モーリス様によれば、2人にとって思い出のケーキなのだとか」
「そうじゃったの? ふふ、なんじゃ、なんじゃ。……そういう事だったら、テオも喜ぶのぅ。それじゃ……すみませんの、お姉さん。このフレッシュレアチーズとミックスベリーショートを、5つずつお願いできる?」
「も、もちろんです! 少々お待ちください」
お孫さんの婚約者等と、人々の噂に登るフレーズも気に入らないが。何よりもキャロルが物怖じすることなく、ブランネルに親しげに対応しているのが気に食わない。本当であれば、自分と立場が逆のはずの田舎娘に、こんな高級店での買い物が許されるなんて。あり得ないではないか。
「キャロルちゃんとゆっくりお茶をするのが、楽しみじゃの。って、およ? どうしたの、キャロルちゃん」
「あっ……もしかして、そちらにいらっしゃるのは、ヴィオレッタ様ですか?」
「ふむ?」
きっと思いがけず、睨み過ぎてしまったのだろう。怪訝そうな表情を浮かべながら、キャロルがヴィオレッタを見つめ返している。そんなキャロルの身なりを見れば見るほど……ヴィオレッタは自分の薄汚れた粗末なワンピースに泣きそうになってしまう。そもそも、それもこれも……。
「……んたの、せいよ……」
「えっ?」
「私が辛い目に遭っているのは、あんたのせいだって言ってるのよ! この泥棒猫が! 私のラウール様を横取りして……!」
道のど真ん中で恨みを噴き出したら、勢いは止まらない。ボロボロと泣きながら、不満と不遇をぶちまけ始めるヴィオレッタ。人目を憚らず泣き始めた彼女をどうやって慰めればいいのか、キャロルが考えているのを他所に……まず最初に発言したのは、ブランネルから恭しく戦利品を預かった執事だった。
「あなたは確か、ヴィオレッタ・ブキャナンでしたか。ほら……ブランネル様もご存知のはずですよ。ロンバルディア中央署の警視だったのを良いことに、職権濫用甚だしく、モーリス様や弟君のラウール様に付き纏っては、迷惑行為を繰り返していた下級貴族のご息女です」
「あぁ〜、思い出した! そう言えば……モリちゃんの結婚式の時も、ラウちゃんが迷惑そうにしていたのぅ。あのな、お嬢さん。多分、それは思い違いじゃと思うぞ……。ラウちゃんは最初っから、キャロルちゃん一筋じゃったし……。お主の悔しさは理解してやりたいが、人の気持ちは思い通りに行かぬことも多いものじゃ。じゃから、ここはスッパリ諦めて……他の素敵な恋を探したら、如何じゃろ?」
辛辣が過ぎる執事の一方で、相当に穏和なお言葉を述べられるブランネルだったが。……この場合は、却って逆効果である。こうもハッキリと貴族の親玉とも言うべきブランネルに、恋慕が「思い違い」だと言われてしまっては、泣き止む以前に格好もつかない。
(……どうして……? どうして、私がこんな目に遭わなければいけないの……?)
戸惑いの視線と、軽蔑の視線。周囲の白み切った視線に耐えられなくなって……ヴィオレッタは涙を零しながら、その場を走り去ることしかできなかった。




