クレセント・レディ(8)
「……やはりあなたでしたの、アダムズ様。今更、彼女を野に放って……何をなさるおつもりかしら?」
「単身堂々と私の元にやってくるのは流石、鋼鉄の騎士様……と言った所でしょうか。別に、今回のことは大した意図はありません。彼女が外に出る事を望んだだけでしたので、望み通りにしてやっただけです。しかし……よくここが分かりましたね?」
「なんとかと煙は高い所がお好き……私もあなたも高みの見物が好きなのは、昔から変わっていませんわね」
「なるほど。言われてみれば……盆地に位置するメーニック周辺で高い場所といえば、ここしかありませんね。とは言え、こうしてあなたがここまで辿り着いたのは……旧知の仲だから、だけでは済まされないと思いますが」
「……そうですわね」
忘れ去られた、郊外の見張り塔。崩れかけた石造りの手すりに気怠げに身を預けながら、ヴィクトワールに見つかったことさえにも動じず……彼女に意味ありげな微笑を漏らす、アダムズ。そんな彼の不気味な表情に、飲まれてはいけないとヴィクトワールは意識を確かに鼓舞し続ける。
アダムズ・ワーズ。かつて、とある貴族の狂気が生んだ一連の狂騒の最初の被害者であり、同時に拡大しつつある狂騒の首謀者でもある初老の探究者。しかし初老なのは、見た目だけで……その中身は既に、人間のそれとはかけ離れ過ぎている。だから、ヴィクトワールは表面上は彼に称賛されるのだ。単身で彼の元に辿り着くことが、どれだけ馬鹿げているか……互いに知らぬわけではない。
「まぁ……この場合、あなたと私の馴れ初めは関係ないでしょう。実を言えば、あの子はもうとっくに限界を超えているのです。ですから、ただ砕くのではなく、最後の最後に自由を与えてあげたんですよ。……あなたも、彼女が可哀想だと思いませんか? どこかの誰かさんに……自分を苦しめた数だけ高貴な心臓を喰らえば血肉を得られると、吹き込まれて。挙句に、その行為自体が自分の身を穢しているとも気づかずに、手を血に染めて。……私はね。そんな風に懸命に足掻いて、足掻いて……やがては砕け散る彼女らの最期を見届けるのが、何よりも好きなのです。ハナから女の試験体は使い捨てなのですから、当然の結果と言えば、それまでなのですが。……彼女達の散り際は殊の外、美しいものです。まるでかの彗星が砕け散った瞬間を思い出させるようで……これぞまさしく、スーパーノーヴァ。死際により強く輝き、そして新しい星を生み出す……母親になれなかったはずの彼女達の散り際に、ふさわしいと思いませんか?」
「……使い捨てと言われる側の気持ちを、考えたことがあって? アダムズ様。あの子が何人目のエルマンスなのかは、存じませんが……どこかの誰かさんのせいで不必要に苦しんでいる姿には……流石の鋼鉄も、同情は致しますわ」
「そうですか? 何れにしても、先ほどの閃光を見るに、あなたの所のエルマンス達は無事お役目を果たしたようですね。……仕方ありません。今回はあなたに勝利を譲って差し上げましょうか。全く……折角、死際に特別にクレセント・レディを名乗らせてあげたのに。散り際の光を観測できなかったのは、残念でなりませんが……まぁ、今回はこうして旧交を温められたので、良しとしましょう。さて……そろそろ、引き際ですね。くれぐれも私の息子に……無茶はするなと、言ってあげてください」
最後に意味ありげなセリフを吐くと、いよいよ紫色の瞳を怪しく輝かせて……飛び去るように、見張り塔の彼方の闇へ姿を溶かしていく怪人。一方で……不気味さの余韻に身震いしながら、膝が笑うのを懸命に手で温める、ヴィクトワール。夏の始まりの時期だというのに、彼女を包む空気は既に初秋のそれよりも冷たい吐息をまとっていた。




