砂漠に眠るスリーピングビューティ(8)
壁の向こうには、得体の知れない何かがいる。落とし穴の隙間から漏れ出てくるのは、人の声ならぬ異形の奇声。本能を根元から竦ませる、怪物の脅迫めいた叫びは……部屋の隅で身を寄せ合うラウール達をまとめて震え上がらせる。
(この墓場には、何がいると言うのでしょうか……?)
(ヴぅ……流石に私も怖いぞ……)
【キュゥゥゥン(ニオいがヒドい……タブン、アイテはクサってるとオモう)……!】
そんな中、ジェームズが相手の体臭について言及するが。相手の体が腐っている時点で、恐怖のリミッター的にはアウトである。そんな色んな意味で面と向かって遭遇したくない相手の動向を、精一杯息を潜めて窺っていると……幸いにも、相手はこちらに気づかずに引き返していくようだ。段々と遠のく奇声の余韻が完全に消えたところで……冷や汗と一緒に、縮こまった緊張も吹き出す。
「行ったみたい……ですね?」
「あぁ、見つからなくて良かったな……」
【ウム。しかし……スキマをカンゼンにスルーしたのだとすると、メはあまりヨくないのかもシれんな】
「かも知れませんね。……だとすると、このまま灯りは使わずに進んだ方がいいでしょうか」
「どうしてだ?」
「こんな真っ暗な中で電灯を使ったら、目立って仕方ないでしょ? ……相手の目が悪いかも知れないと分かった以上、自分の位置を教えてやる必要もありませんからね」
「あぁ、それもそうか」
そんな事を言いながら、トランクから愛用のジェムトフィア……ではなく、一般的な拳銃を取り出しては、ホルスターにセットするラウール。怪物相手にどこまで通用するかは分からないが、ないよりはマシだろう。そして更にもう1つ、どこかの誰かさんを見習って持ち歩くようになった劇薬を取り出すと……そのままイノセントに手渡す。
「すみません、イノセント。これを預かっていてくれませんか」
「……これは何だ?」
「塩酸ですよ。歴とした劇薬ですけど、そいつは金属のスケール洗浄用で濃度は10%未満と、そこまで強力なものではありません。とは言え、相手の体は腐っている……つまり、組成は有機物混じりだという事になります。決定打にはならないかも知れませんが、腐る部分がある時点で多少の効果はあるでしょう」
「それは分かったが……どうして私が預からねばならんのだ?」
「何のために沢山ポケットがある上着を着ているのです。相手に遭遇してからトランクを開けていたのでは、間に合わないではないですか」
意地悪くイノセントが着込んでいるブッシュジャケットを示しては、勝手に胸ポケットに細身の瓶を滑り込ませるラウール。強引な押し付けを渋々と受け入れるイノセントだったが……内心ではちょっとした秘密兵器を預けてもらえて、ウキウキしていたりする。
【ジェームズには、ナニかないのか?】
「サバイバルナイフはあるのですが……ジェームズは相手の探知に神経を注いでください。ジェームズの耳や鼻は俺達のものより圧倒的に優秀なのです。……できる事なら、遭遇は回避するに越したことありません」
【それもそうか。それじゃぁ……】
「えぇ、そろそろ行きましょうか。ここに籠っていても、助けは望み薄です。何せ……」
「奴らからすれば、私達は都合の悪い存在だろうからな。……とっくに呪い殺された事になっているかも知れん」
***
落とし穴でラウール達が作戦会議をしている、その頃。お役目を完遂してきたらしいレベッカの姿を認めては……アンディが労いの声をかけつつ、親しげに抱きしめる。彼の大袈裟な再会の儀式をレベッカも仕方なしに、受け入れるが。レベッカの方はそろそろ、アンディには飽きてきたと考えていた。
「それで……ラウール様達は?」
「あぁ、あいつね。……呪いの秘密にもしっかり気づいたものですから、処分してきたわ」
「おや……そうだったのかい? しかし……そうなると、今回は遺体の返却はナシになりそうかね?」
「でしょうね。だって、あいつ……例のネックレスに触らなくても、偽物だって見抜いてきたのよ? その上……多分、私達の本当の目的も勘付いていると思うわ」
「そうか……。しかし、だとすると……ちょっと不味いことになりそうだな……」
「何が?」
邪魔者を首尾よく排除してきたと言うのに、アンディの表情が途端に翳り始める。そうして、小洒落た形に整えた口髭を物憂げに抓りながら……1枚の紹介状をレベッカに示して見せるが。そこには、レベッカが奈落の底に突き落とした宝石鑑定士の顔写真が載っていた。しかし……問題は写真写りの悪さではなく、彼のフルネームにありったけの七光が付加されていることにある。
「……ラウール・ロンバルディア……?」
「うむ……。ラウール様だがね。改めて紹介状を確認したら、あのロンバルディア大公の孫だと言うことが判明してね。しかも、彼の経歴を見ると……」
「ヴランヴェルトのアカデミア卒のロンバルディア公認宝石鑑定士……で、元・ロンバルディア騎士団所属の陸軍准尉……? はぁっ⁉︎ ちょ、ちょっと! 何で、先に言わないのよ!」
「ご、ごめんよ、レベッカ! 私もついさっき気づいたばかりなんだよ。どうせ、すぐにいなくなる相手だと思っていたし……話が通じるかどうか位しか、興味もなかったから……」
自身を子連れの貧弱な鑑定士と嘯いていた相手が、まさか華々しい経歴を持っているなんて、予想できないのも無理はない。
「ハハ……なるほどなぁ。私が敢えて無骨な方々が来ると思っていたなんて……嫌味を言ってみても、サラリと受け流してきたのはこういう事だったんだな。彼は無骨どころか、私達にとっては都合が悪い刺客だったという事か」
「って、そんな事を言っている場合じゃないでしょ⁉︎ そんなお偉いさんが失踪したとなったら……」
「間違いなく、ロンバルディア騎士団が動くだろうな。そうなったら、取引の継続も危ういかもしれん」
「チィッ! 忌々しいったら、ないわね。……分かったわよ。あいつを探してくればいいのね?」
「そうだね、頼めるかい?」
本当に厄介な相手が紛れ込んだものだ。そんな事を考えながらも、どうせ動けずに落とし穴に嵌ったままだろうとレベッカは高を括るものの。しかし……そんな罠を熟知し、神殿に慣れ親しんでいるレベッカには、慢心が故に2つの誤算が転がっている事を気づけるはずもなし。
1つは、ターゲットである忌々しいロイヤルボーイ(盛大な誤解を含む)が、実は経歴以上に普通の相手ではないという事。そして、もう1つ。彼女が何気なくついた嘘の通り……リュチカ神殿は未だに生きていて、持ち主も健在であるということだ。




