クレセント・レディ(6)
「……を……寄越せ……」
「君は一体、何者なんだ……?」
「しん……をよ……せ……!」
あまりの異常な空気に尻込みしつつ、問いかけるモーリスの質問を無視しながら、か細い腕で引き摺っていた何かを振り上げる白い女。そうして、彼女が不自然なまでに人気のない道の真ん中に躍り出る頃には、手に握られているのは長い柄を持つ三日月鎌だということに、ようやく気づく。
「心臓を……寄越せぇぇ! 貴族の心臓で、私は……元に戻る……!」
なるほど、彼女が被害者の心臓を狙うのは、元に戻りたいからか。嫌と言う程に、彼女の真意に心当たりがあるモーリスにとって……絶体絶命の窮地に立たされた恐怖は、誰かの面影を思い起こされた悲嘆によって、大幅に上書きされていた。きっと彼女は何かの思い違いをして、そんな事を繰り返してきたんだろう。上の空で考えるその身に、三日月鎌が襲い掛かろうとする最後の瞬間まで……モーリスは自分の命がかかっている事以上に、目の前の彼女の境遇を気にかけていた。
「……⁉︎」
まるで他人事のように、そこはかとなく死を覚悟したモーリスの目の前で、既のところで何かが彼女の三日月鎌を甲高い音と共に弾き飛ばす。その主を見やれば……数時間前まで自分と行動を共にしていた3人のメイド達が、モーリスの前に塞がるように立っていた。突如現れた彼女達の手には、雰囲気にはそぐわない物騒な得物が収まっていて……きっと、それぞれの得意武器なのだろう。両手に拳銃を構えた左右の2人と、長距離用のライフルを携えた中央の1人。彼女達の毅然とした背中を見比べながら、モーリスは王宮随一の武具マニアの部下もまた、特殊な存在だったのだという事を思い知る。
「そこまでですわ、エルマンス嬢」
「モーリス様とお遊びになる前に……是非、私達と遊んでくださいませんこと?」
「じゃ、ま……するな! 後3つ……後3つで、私は元に戻れる! だから……」
後3つ。何が後3つなのかは具体的に考える必要もないと思うが、確かクレセント・レディの被害者は既に十数人に登っていたはずだ。一体、彼女は……何人の相手を手にかけるつもりだったのだろう?
「君はどうして、こんな事をしているんだ? 心臓を集めても、きっと……」
「……無駄ですわ、モーリス様。彼女……エルマンス嬢は壊れた宝石。足りない部分を埋めようと……本能に刷り込まれた狂気で、暴れているだけに過ぎません」
「壊れた……か。僕はその呼び方は、あまり好きになれないな……」
壊れたの言葉が意味するところに、ますます嫌悪を募らせるモーリス。壊れているのは決して、心だけではない。その容貌からきっと、彼女は愛玩用として作られた方の試験体。だから逃げ落ちても尚、擦り切れた記憶に残る憎しみで……貴族の中でも、歓楽街の利用者ばかりに狙いを定めていたのだろう。だとしたら……。
(どうにかして、彼女を助けられないだろうか。……何か、方法はないのか……?)
1人必死に手立てを考えているモーリスを他所に、中央に立っていたメイド1人を残し、他の2人は既にエルマンスを追い詰めようと激しい銃撃戦を繰り広げていた。エルマンスが屋根に登れば、それを追って軽やかに駆け上がり。エルマンスが反撃に出れば、すかさず手元の武器で鮮やかにはじき返す。そうした中で、片方の手が回らなかったり、銃弾の装填に時間が取られていたりする時は、もう片方がフォローしており……鮮やかな連携は、確実にエルマンスを追い詰めているようにも見える。しかし……。
(彼女もまた……ラウールと同じなのだろうな……。きっと、銃弾程度では死ねないのかもしれない……)
追い詰められてはいても、鉄壁の彼女に銃撃は無意味だ。そんな事を繰り返しながら、いよいよ降るような銃弾を弾き返し切ったエルマンスが、モーリスの方に突進してくる。そんな狂気の進撃に慌てる事もなく……モーリスの前に立ち塞がるメイドがここぞとばかりに銃を構え、トドメの一手を放つ。眩い光を放ちながら、空間を切り裂く閃光。その矢が確かに彼女の喉元にカチリと刺さると、ようやく機能停止するエルマンス。光の拘束に苦悶と屈辱の表情を浮かべながら、最後の最後までモーリスを睨みつけるその瞳は……まるでクラックが入ったムーンストーンのように、傷つき白く濁っていた。




