少年はスカイブルートパーズの夢を見る(4)
“しばらくは自由にしてていい”
そう言われて寄越された黒い宝石を見つめながら、ユアンは帰ってきたアパルトマンでため息をつく。できる限り、人と同じように食事をしようと努力をした結果、ユアンは人間の生活に馴染んではいたが……。しかし、最初に見上げた青空が、どこまでも綺麗なだけではなかったと打ちのめされてからと言うもの。手にした自由よりも、失った夢の方が大きかったと、未だに深々と嘆息してしまうことがある。それでも、ユアンがこうして無理をして命を繋いでいるのは……ジャックと交わした約束のためだった。
***
少年が最後に辿り着いたのは……今までのどの景色よりも、生々しく肉付けされた空間だった。
何も知らないはず、何も分からないはずの少年が2人。そんな彼らが、申し合わせたように同じ空間で全く同じ顔を合わせては……誰に言われるでもなく、シミ1つないクロスを掛けられたテーブルに着く。
テーブルの上には、あれ程までに求めていた「温かい食事」が所狭しと並べられている。パン篭にはバゲットにブリオッシュに、白パンとライ麦パン。視界の端で澄んだ琥珀色の静謐を湛えているのは、香り高いコンソメスープ。奥に控えているのは、いかにも新鮮な色をした野菜のサラダに、高杯で山となる色とりどりの美しいフルーツ。鼻をくすぐる香ばしい匂いに意識を向ければ、黄金色のバターの海に身を沈めるムニエルが横たわっている。そして何より……目の前には鮮烈な血の色を滴らせる分厚い肉のグリルが鎮座し、今か今かとフォークを受け入れるのを待っていた。
明らかに豪華な食事に、互いに名乗ることも挨拶をすることもなく、2人の少年達は無我夢中で齧り付く。今までの飢えを満たすように、今までの欠落を埋めるように。しかし……全てが完璧に調理されているはずのご馳走は、既に少年達の舌には合わない。味覚も嗅覚も正常だし、食事は確かに美味でもあるのだろう。だけど……明らかに、何かが足りない。
足りない何かを気づくのが、同時というのも双子が故の宿命なのかもしれない。しばらく黙々と食事を進めていたが、ピタリを同時に何かを探るように顔を上げると……互いの顔をマジマジと見つめ合う。そして……互いに、同じ道を歩んできたのだと言うことも理解すると、この食事が2人で迎える最後の晩餐であることにも俄かに思い至る。
「君も同じ……なのか?」
「多分、な。一緒に出られれば、自由になれる……」
「そう。僕もそう教えられて、ここまで来たよ」
「2人で青空とやらを見るために……俺も、ここまで来たんだよ……」
だけど……と、2人で言いかけて一緒に口を噤む。
その空間には確かに、言われた通りに自由への脱出口はあった。だけど……希望の出口は遥はるか、上空にぽっかりと口を開けるのみ。大きさこそ、ありはするものの。どう頑張っても、彼らには届くはずもない場所で意地悪くこちらを見下ろしている。
意図的な構造と、味気ない粗餐に成り下がったご馳走の意義を悟った時。2人で一緒に出られる、という言葉の真意を思い知る。そう……「2人で一緒に」は「仲良く手を繋いで」と言う意味ではない。2人を1人にして……「大きくなって、一緒に這い上がってこい」という意味だったのだ。
彼らは50%ずつの性質量を分け合った、仲良しのハーフスプリット。だけど、1人ずつのままではカケラでもなく飾り石でもなく……どちらでもない、中途半端な存在のまま。そして、彼らの産みの親は片方に片方の犠牲になれと、最後の晩餐を用意したのだ。
綺麗な世界への道のりの中で、沢山の仲間の命で自分の命を食い繋いできた彼らにしてみれば、普通の食事は刺激も適合性も圧倒的に足りない。彼らにとってその身の栄養となり、真の血肉となるのは……同類という存在だった。
最後の瞬間。それはそれは、本当に呆気ないものだった。互いに醜い現実も、醜い自分をも悟っていたというのに。それでも……ジャックと名付けられたらしい少年の弟は、黙々と食事を終えた後に、自分の核石を自分で抉り出して少年の前に差し出したのだ。
“……なぁ。これからは、お前の事を相棒って呼んでいいか? 何せ……今の今まで、俺も1人ぼっちだったからさ。こうして最後に一緒に飯を食える奴がいて、本当に良かったよ。だけど、俺はもう食うことにも、生きることにも……暴れることにも疲れちまった。だから、これからはお前が俺を連れ出してくれよ。……頼んだぞ、相棒”
1人に逆戻りした彼らが必死に登り切った出口の先に待ち構えていたのは、巨人を制御するための巨大な檻だった。擦り切れそうな理性を消費してまで、ようやく辿り着いたというのに……少年を待っていたのは、仮初の夢を剥奪される悪夢だけ。
それでも、少年は檻の中から教えられたスカイブルートパーズ色の空を、澄んだ黒い瞳で見つめ続ける。いつか、檻の外に出られたら。その時は今度こそ、2人で綺麗な世界を見つめ直すのだと……自分を励ますように疼く痛みに、確かな実感を得る。
自由はないかもしれないけど、少年は確かに生きている。痛みがあるのは、生きている証。相棒がくれた約束を捨てないためにも……何がなんでも、生き延びなければならない。
***
「ねぇ、ジャック」
(……なんだ?)
「君は……あの時、どうして僕に道を譲ったんだい? どうして……自分の方こそを自由にしようと思わなかったんだ?」
(なーんで、今更、そんな事を蒸し返すのかねぇ、お前は。あの時……ハッキリ言ってやったろ? 俺はただ……暴れ疲れたんだ、って)
「……そっか。でも……それじゃぁ、ジャックの方は退屈じゃないか?」
(ま、そうだな。だから……うん、前言撤回。たまにでいいから、暴れさせてくれよな)
「うん……分かってる」
結局、暴れ足りないんじゃないか。
そんな事を笑いながら、ユアンは悲しげに肩を揺らすものの。檻の中で首輪を着けられてからというもの、手綱で雁字搦めの身の上はちっとも変わらない。だけど、初めて出会った日から2人が仲良しなのも変わらない。
2人で1人……それはあまりに窮屈な境遇だろうし、もう2度とそれぞれに別れる事ができないのも分かり切っていること。だとすればせめて、自分の命を繋いでくれた仲間達のためにも、生きて生きて……生きて。いつか……本当に美しいスカイブルートパーズ色の世界を、みんなで一緒に見に行こう。それに……ほら。今日はその世界を少しだけ、切り取ってきたのだもの。
テーブルの花瓶代わりのコップには、世界からの戦利品でもある勿忘草が生けられている。今からでも綺麗なブルーを予想させるその蕾に、花の色を想像しては……ユアンはようやく、頬にいつもの余裕を取り戻した。
【おまけ・トパーズについて】
和名は黄玉、モース硬度は約8。
かなり硬い部類の宝石ですが、幅広い劈開性もあり、衝撃には弱い部分があります。
トパーズの名前の由来には諸説あるようですが、今回は「探し求める」というギリシア語「topazos」を意識して採用しました。
石言葉も「希望」や「友情」など……うん、すみません。
考えさせられる言葉が並んでおり、軽はずみだったかなと反省しております。
トパーズと言えばブルーを連想される方も多いかもしれませんが、実際には深いオレンジ色や、ピンク色など多彩なカラーバリエーションを持つ石で、ブルーだけでもありません。
なお、青のトパーズは色の薄い順に「スカイブルー」「スイスブルー」「ロンドンブルー」と3種類ほどあり、3つ並べると綺麗なグラデーションになるのですが……。
実はこれらは無色のトパーズに照射処理等を施して、ブルーにしている場合が殆ど。
天然のブルートパーズが非常に高価な石のため、そのような手法が取られるようになったのだとか。
何にしても、貴重だったはずのブルートパーズが割合手軽に楽しめるようになったのは、加工技術の進歩の賜物と言えそうです。
【参考作品】
『Little Nightmares』
映画や小説ではなく、ゲームです。
ホラーゲームではありますが、怖がりな作者でも辛うじてプレイ可能でした。
しかしながら、プレイ後に切なくなるんですよね、この作品……。




