ヘマタイトを抱くミラージュハーレキン(19)
「お前に返すものなど、何もない。それでなくても……今の私は非常に不機嫌なのだ。しかし……まぁ、いい。折角、お越しいただいたのだから、晩餐にお付き合いいただくのも一興だろう」
「あなた様のお食事にお付き合いするつもりはございませんよ? ただ……そうですね。確か、600年前くらいでしょうか。その時に奪われた片割れを、今夜こそ返していただこうと思いまして」
「なに……?」
柔らかな微笑を見せる初老の紳士は、相当にご年配らしい。しかし、数え切れない程の獲物を食してきたサージュにとって、そんな昔のことを蒸し返されても……思い当たる面影は浮かんでこない。
「私はさっきの怪盗紳士と同じ、アレキサンドライトのカケラという存在でしてね。彼と同様、完成品と言われる最上位の存在なのです。ですが忌々しいことに、私は15%程……パーフェクトに足りないのです」
「それがどうした。私には関係ないし……今、生憎と腹が減っている。だから……!」
アダムズの無駄話も不愉快と、勢いよく糸を吐き出そうとするサージュ。しかし……口から漏れるのは、か細く頼りない糸くずだった。
「……!」
「おや、おや……忘れたのですか? あなたは弱っている状態なのですよ? その上、空腹ともなれば……弾切れも当然というものです」
蜘蛛は糸を無限に吐き出せるわけではない。糸の生成と空腹度合いは別物とは言え、糸の生産に体内の栄養分を消費するのは、紛れもない現実である。それでなくても、先程の小競り合いでサージュは大きなテントの天井という天井に糸を張り巡らせていた上に、攻撃手段にも糸を利用していた。いくら絶対王者とて……食料の補給なく、糸をすぐに生成できる能力はない。
「私に何を返せと言うのだ? 大体、お前は一体……!」
「そんなに怯えなくても、結構ですよ。私が取り戻しに参りましたのは……あなたの腹に嵌っている、小さなアレキサンドライトの核石です。そいつは、私の片割れの核石でしてね」
「ふん……なるほどな。要するに……仲間恋しさに、物乞いに来たということか?」
ただ、寂しさを募らせただけじゃないか。そうして、相手の勘所を見つけたと……王者の余裕を吹き返すサージュだったが。彼のなけなしの余裕さえも滑稽と、お誂え向きとばかりに、一方のアダムズは道化師をせせら笑う。
「まさか! 私にとって、必要だったことが判明しただけですよ。最近になってようやく、別の核石を取り込むための手法を確立しましてね。無論、捨て石如きに興味はありません。寧ろ……私から15%も性質量を奪っていった、卑しい相手と言った方が正しいでしょうな。しかし……しかし、ですよ? 飾り石の核石であっても……それは私の核石と同様、正真正銘のオリジンから削り出された最上級品なのです。ですから……あなたのような化け物に預けておくのが、惜しくなった。ただ、ひたすら……それだけです」
薄ら笑いを浮かべながら、いよいよ馬鹿馬鹿しいと小首を傾げる初老の探究者。しかし、彼の微笑の口元からは鋸のような牙がギロリと並んでいる。先程の怪盗紳士も口元に犬歯のような牙を覗かせていたのを、サージュも認識してはいたが……アダムズのそれは、グリードのそれよりも遥かに狂気に満ちた鈍い輝きを放っていた。
「ま、まさか……お前は……!」
「あぁ……それ以上は結構です。私はアレキサンドライトの宝石の完成品にして、カケラの死に際を観測する者。そして、あなたと同じように……ふふふふ。まぁ、それ以上は内緒です。これから死んでしまう相手に、秘密を共有する必要もありませんな」
「……!」
ですから、永遠におやすみなさいませ……赤鉄鉱の愚か者。
アダムズはあくまで、美しい最後を飾り立てるのが大好きな探究者である。プロセスの合間に自身の手を泥臭く汚すなど、以ての外だ。しかし、今回のターゲットは切り札さえも手こずった化け物である。だとすれば、そんな難敵相手に美味しいところを掻っ攫うのも、悪くない。
そうしてゾブリと血も涙も流せないハーレキンの腹を抉ると同時に、指先に小さな紫色の輝きを取り戻すアダムズ。震える微かな輝きに、これだから捨て石は気に入らぬと鼻を鳴らしつつ。それでも、研究対象(例外)の最期を見届けるのは楽しいと、ご機嫌そうに髭を指先で弄ぶ。そんな彼の足元では、哀れな化け物が痛みにのたうち回っているが……無様なハーレキンの最期をさも愉快だと、尚も見下すアダムズだった。




