ヘマタイトを抱くミラージュハーレキン(9)
イノセントはどこに行ってしまったのだろう。自慢の鼻をフンフンと鳴らしながら、漆黒のシークハウンドが保護対象の行方を追っていると……大通りの方から楽しげな音楽と歓声が聞こえてくるので、喧騒の先を見つめてみれば。そこには何故か、乗合馬車に乗り込もうとしているイノセントがいるではないか。明らかな緊急事態にすぐさま駆け寄っては、言葉はなくとも、イノセントを必死に止めるジェームズ。
「おや、このワンちゃんはお嬢さんの知り合いかな?」
「いいや? 違うぞ」
【アゥン、ハウッ(イヤイヤ、チガくない)!】
馬車でのお出かけは、イノセントも納得の上での行動らしい。見れば、ご丁寧にも馬車には「サージュ・サーカス」と大仰にペイントされており、その字面にジェームズはかつての焦燥を思い出す。
27年前も、こんな馬車で自分のコレクションが攫われて行ったことがあったと思い至っては、精一杯フガフガと不服異議申し立てしてみるものの。風船の恨みは今生忘れぬとばかりに、それすらもアッサリと無視を決め込むイノセント。そうして、結局は引き止めるのも叶わないまま……彼女を含むお客様達が乗り込んだ長蛇の馬車を見送って、ポツンと置き去りにされては仕方ないと、トボトボと道を引き返す。
イノセント程の大物であれば大丈夫だろうかと、強引に納得してみるものの。彼女の世間知らず加減が別の問題を引き起こしそうだと、ジェームズはまたもタンカラーを歪ませていた。
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「……それはまた、困ったことになりましたねぇ。……イノセントの好奇心がこれ程までに厄介だったとは」
【うむ……まぁ、アレもハジめてのモノばかりで、はしゃいでいるのだろう。とはイえ、イノセントはタブン、ダイジョウブだろうが……27ネンマエのコトもカンガえると、ミョウにイヤなヨカンがする】
「おや……ジェームズも27年前に心当たりがあるのですか?」
カウンターに並べた学術書に目を通すのも早々に切り上げ、ラウールが訝しげに尋ねれば。ジェームズにもサージュ・サーカスとは何やら、浅からぬ因縁があるご様子。彼の弁によると……27年前のある日、サーカスの座長だという不気味なハーレキンが彼にとある物を譲って欲しいと、訪ねてきたことがあったそうだ。
【あいつはナゼか、ジェームズのトコロにサラスヴァティがあるのをシっていてな。ホウセキをどうしてもユズってホしいと、オしかけてきた】
しかし、サラスヴァティは呪われているとは言え、当時のジェームズにしてみれば封印込みで貴重な財産だった。そのため、素気無く申し出を断ったらしいのだが……。
【だけどな。あいつはそのカわりに、ジェームズがソダてていたカケラタチをカッテにサラってイった。かのじょタチはナニかにセンノウされたように、ジブンのアシでヤツのバシャにノりコんでイったが……カノジョタチのヨウスに、ジェームズはそのテイドでスんでヨかったのだと、シンソコオモったよ。そんなゲイトウができるのは、マチガいなく……タダのニンゲンじゃない】
だから、それ以上は怖くて何もできなかった……と、ジェームズは当時の愚行も含めて、反省し始める。一方で、ジェームズの話にムッシュとアダムズの情報を合わせれば、サーカスの座長らしいハーレキンが今回のターゲットになりそうだと考えるラウール。そうして、27年前のジェームズの話に引きずられる形で、新聞のバックナンバーを読み漁ってきた結果にも思いを巡らせるが……子供の失踪事件はなかったとは言え、ちょっと気になる記事があった事を思い出す。
「あの風船ですが……おそらく、中身はヘリウムガスではなく、水素ガスの混合物だと見て、間違いないかと。で……27年前にもサージュ・サーカスは確かにロンバルディアにやってきていたようですが……ジェームズはその年にもう1つ、変な事が起こっていたのを覚えていますか?」
【……あぁ、そうイえば。あのトシは、フカカイなビョウキもハヤっていたな……って、まさか】
「えぇ。そのまさかだと思いますよ。おそらく、あの風船にはある種の魔法が仕込まれているのでしょう。爆発しないにしても、徐々に中身が漏れ出せば……ちょっとした中毒にもなるというものです。普通であれば、我が子がいなくなれば親は大騒ぎするはずですが。……子供が失踪したという記事は1ページもありませんでした。代わりに、原因不明の健忘症の大人が相当数発生したという記事があったものですから。おそらく、彼らは子供が攫われても騒ぎもしない大人を作り出すために……あの赤い風船を配っているのだと思います」
中身の正体はまずまず、分からないが。水素ガスの相方はおそらく神経ガスの類だろう。しかし……あろうことか、正体不明で不気味なメッセンジャーを可愛がっているイノセントのズレ方に一抹の不安が過ぎる。そんな不安要素と問題児とを抱えた今回のミッションが、いつも以上に難題含みな気がして。ラウールは手元の学術書の難解さも相まって、眉間のシワを深めずにはいられないのだった。




