ヘマタイトを抱くミラージュハーレキン(5)
曇った空をいくら眺めていても、恋しい月はちっとも顔を出してもくれない。そんな連れない何もかもに嫌気が差したと、首を振るものの……原因くらい、とっくに分かっている。ただ、それを分かっていると認めるのが、怖かっただけだ。
キャロルは仕方なく、一緒にいてくれている。ラウールが享受しているのは、あくまで彼女の優しさと責任感とで成り立っているだけの生活様式。嘘を既成事実に無理やり書き換えてみたところで、表面上の虚構でしかないし、理想の家族ゴッコには程遠い。
多分、その余興は独りよがりの理想でしかないのだろう。それでも、幼い手をすり抜けていった、幸せの記憶を再構築したいと切望するラウールにとって、愛しいと感じられる存在は必須だったのだ。だけど、愛情さえも上手く伝えることもできずに、強引に刷り込んでみたところで……そこにあるのは、彼女を苦しませている現実でしかない。そして、満たせない現実を理解させられるのが、何よりも惨めだった。
「今宵は生憎の曇り空ですな、金緑石ナンバー3。浮かない顔をして……どうしたのです?」
「……!」
1人きりでぼんやりと空を見上げていると……いつの間にか、同じように月を眺めるのが好きらしい同類が立っている。存在感も気配すらも感じさせずに、屋根の上に忽然と姿を現したのは……アダムズ・ワーズ。ラウールと同じアレキサンドライトの宝石の完成品であり、神出鬼没の狂気の探究者である。しかし、今宵の彼は特段、意地悪をしに出てきたわけではないらしい。ラウールが1人で悩んでいるのを不可解そうに見つめながら、強引に言葉を続ける。
「まぁ、今はとりあえず……ラウールと呼んだ方がいいかね?」
「あなたにお気遣いいただく必要はありません。放っておいてくれませんか」
「ふぅむ……連れないことを言う。そんなんだから、ホロウ・ベゼルに嫌われるのだろうに」
「なっ……! あなたなんぞに、何が分かるのです! 大体……」
「家族を持てないのは、お前をそんな風に作った私のせい……とでも言いたいのかな? それは違いますよ、ラウール。お前が周りと上手くやっていけないのは、お前自身のせいです。誰のせいでもない……ただただ、お前がワガママだからですよ」
言われなくても分かっている。それでも上手くできないから、悩んでいるのではないか。
言葉にするのも屈辱的な事実を紡ぐ事もできずに、尚も自分を睨むラウールに、仕方のない奴だと首を振って。いつになく穏やかな調子で、言葉を続けるアダムズ。
「カケラであろうとも、家族を持つことは十分に可能。ただ、相手が限られる……それだけです。私達の感情はいくら忌々しくとも、悔しいことに人間と何ら変わりはありません……あぁ、違うな。人間のそれよりも無駄を削ぎ落としている分、合理的だとする方が正しいか。……お前のそれは、合理的には程遠いですけれども」
「あなたは一体……何が言いたいのです……?」
「だから、困ると申しているのですよ。お前が不安定なままでは、私の研究成果も台無しではありませんか。観測のしがいも半減してしまう。いいかね、ラウール。相手がいくら我慢強くとも、ワガママを通してはいけないのです。相手が何を求めているのか分からないのなら、理由をきちんと聞きなさい。それに答えてもらえないのであれば、教えてもらえるように努力するのです。その努力の仕方も分からないのであれば……ふむ。金緑石ナンバー2にでも、聞いたらどうです。欠陥品の割に、あれは感情のコントロールには長けていましたし」
またもモーリスを引き合いに出され、ムッとしかめ面をするラウール。兄を欠陥品と言われるのも我慢ならないが、モーリスができていることを自分はできていないと、遠回しに指摘されるのも不愉快だ。
「……兄さんは欠陥品ではありません。第一、あなたはどうなのです。誰彼構わず傷つけて、誰彼構わず……悲しませて。そんなあなたに、偉そうにご忠告をいただく筋合いは……」
「本当に……人の言うことを聞かないのだね、お前は。これで私にも、可愛い娘がおってね。それに、故あって離れ離れになってはいるが、一応、世話を焼きたくなる相手もおるのだよ。これでもそれなりに、愛しい家族を抱えて生きておるのだが。まぁ、お前の理想とは程遠いかも知れませんがね」
アッサリと意外な事実を告白しながら、アダムズは楽しいことを思い出したらしい。機嫌が良さそうにクスクスと笑っては、尚も言葉を続ける。
「それはそうと……今夜は世間話をしに来たわけではない。お前に、ちょっとした頼みがあって出て来たのです」
「……あなたの頼みなど、聞くつもりは毛頭ありませんよ」
「そう言うな。折角、ヒントをやろうとしているのだから、話くらいは聞いたらどうかね。……知っての通り、動物にも特定条件を満たせば核石はそれなりに根付く。しかし……当然ながら、彼らはカケラとしては不良品もいいところだ。知性も中途半端なら、性質量も30%以上を保持する方が珍しい。なのだが……この世界には面白いことに、例外という探究心をくすぐられるお題がいくらでもあってね。しかし……しかし、だよ? その例外の中で……私には研究対象にすらならない、どうしても許せない相手がいるのです」
アダムズが憎いと宣う相手は……赤鉄鉱の原初の核石を取り込んだ、得体の知れない化け物だと言う。正体は未だ不明だが、常々、特定の獲物を探し求めては、世界中をフラフラと彷徨う。しかし、活動期間中は食欲も旺盛とかで……遥か昔に、彼の飾り石を食い殺した仇敵でもあるらしい。
「……私がまだ幼かった頃から、アレは完成された化け物でしてね。おそらく、来訪者をそのまま捕食した何かか……或いは突然変異種なのでしょう。で……今回、それが何故かロンバルディア中央街にやってくる気になったようです。兎にも角にも……その化け物を仕留められたなら、私からも素敵な贈り物を1つ、差し上げましょう」
仇討ちはご自分で勝手にどうぞ……とラウールが突っぱねる間もなく、アダムズは一方的に話を終えると闇に溶けていく。結局、彼が何をしたくてやって来たのかは分からないが。少なくとも、ヒントくらいは使ってやるか。
そんな事を考えながら……いよいよ、キャロルが淹れてくれたコーヒーが恋しくなるラウール。それはあまりに自分勝手なワガママであり、救いようもない自己中心的な渇望。それでも、まずは急いで帰って……キャロルにしっかりと理由を聞こう。そして、きちんと謝らなければ。彼女の理由を、すぐには理解できないかも知れないけれど……まだ、歩み寄ることくらいはできるはず。
思いもよらぬ相手の忠告を渋々受け取って、ラウールはようやく重かった足取りを家に向け始めていた。




