疾走せよ、ゼブラジャスパー(16)
自分でもあんなに信じられなかった、ニューイヤーレース優勝の余韻も薄れかけてきた頃。
その日も、レユールにとって平凡な1日になるはずだった。既に日課になりつつある農場パトロールのついでに、入り口の方をソワソワと伺っては……自分を戦友と呼んだもう1人の主人の来訪を待ち望んでいたが。ご機嫌だったはずのレユールが目にしたのは、あろうことか……最も再会したくない相手だった。
【……プルルルッ(あ、あいつは……)!】
仕事用の不気味なメイクを落としていても、憎んでも憎みきれない相手を見間違えるはずもない。そうして、レユールが怯えているのを知ってか知らずか……相手もこちらに気づいたらしい。朗らかでいて、張り付いたように不自然なまでの笑顔。しかして……彼の満面の笑顔こそがレユールの恐怖心を焚きつけては、足を竦ませる。
「ちょ、ちょっと待ってください! 確かにレユールはウチに迷い込んできたのを、保護しましたが……今では、この農場の一員でもあるのです。急に返せと言われましても……」
「おやおや、ノールさん。間違えちゃ、いけないよ。あのシマウマは我がサーカスの所有物だ。ほら……ここにもしっかりと、第一種動物取扱業にあいつが載っているだろう?」
「……お言葉ですが、サージュさん。レユールは道具ではありませんわ。そういう事でしたら……あなた!」
「あぁ、そうだな。あまりいい形ではないでしょうが……レユールを買い取らせて頂けませんか? 金額によっては、すぐにご用意できないかも知れませんが……」
「ノン、ノン、ノン! それ以上は結構ですよ。シマウマはなかなか手に入らない、珍しい動物なのです。金の問題じゃぁ、ありません」
ノール夫妻の交渉も無駄だとばかりに、サージュと呼ばれたやや窶れた中年男がレユールに歩み寄る。
本当は、この場から逃げなければいけないのに。
本当は、今すぐにでも走り出さなければいけないのに。
それなのに。
……左右の焦点がバラバラな茶褐色の不気味な瞳で見つめられると、レユールはいよいよ震えることさえも出来ずに、その場で硬直してしまう。
「……あぁ、そうそう。ノールさんにも、感謝しなければいけませんね。あなたがこいつをレースで優勝させて下さったおかげで、アッサリと見つけることができました。とは言え……ノン、ノン! どう足掻いても、シマウマは主役にはなり得ない動物です。自由に走り回っていたところで……せいぜい、ライオンに食われるのが関の山。不必要に目立つ必要もありません」
そうして、有無を言わさないとばかりにサージュに睨まれて。折角手に入れた束の間の自由さえも、なす術なく口輪と一緒に雁字搦めに繋がれて。レユールは最後の抵抗さえも許されないまま……農場の外に待ち構えていた動物運搬車に乗せられては、檻の外に広がる見慣れていたはずの景色を、呆然と見つめている。だけど……今更ながら、そうして過ぎ去ってゆく景色と一緒に、楽しかった数週間の思い出さえも奪われていくようで。最後の去り際に、ようやく思い出したように……レユールはマーブル模様の瞳からポロポロと涙を溢し続けていた。
【おまけ・ゼブラジャスパーについて】
和名・縞目碧玉、モース硬度は約7。
ジャスパーは石英の結晶でもある、水晶や瑪瑙の仲間ではありますが、内包物によって様々な種類が存在します。
中でも、特徴的なツートンカラーを示すものが「ゼブラジャスパー」と呼ばれておりまして。
……いや、見事にシマウマ模様なんですよね、この石。
こうも誂えたようにシマシマ模様だと、どこの何を狙ったんだと言いたくなります。
尚、ゼブラジャスパーのお仲間にダルメシアンジャスパーなる石も存在し、シマウマもダルメシアンもユニークな模様も相まって注目度も上がっている鉱石なのだとか。
とは言え……ジャスパー自体は旧約聖書にも登場していたりと、由緒ある鉱石でもあるため、注目度は昔から高かったとする方が正しいのかも知れません。
【参考作品】
『レーシング・ストライプス』
素敵な動物映画が作者の改悪により、メチャクチャになりました。
ハイ、合掌。




