疾走せよ、ゼブラジャスパー(14)
「みなさんッ! 聞いてください! あのシマウマは不正をしているのです!」
(あぁ……やっぱり、来ましたか?)
レユールの劇的な追い上げを誰もが拍手喝采で称える中、勝者を囲うウィナーズサークルに乗り込んできたのは、ラウールとしても顔見知りの場違いな雰囲気の女性。レユールは存在が特殊なだけで、不正は一切していないが……まぁ、確かに最終直線の走りは異常と言えば、異常ではある。敗者としては文句の1つや2つ、言いたくはなるのかも知れない。
「これはこれは。昨日、レユールに差し入れをくださった方じゃないですか」
「え……はっ? なんで、私がこんなシマウマに差し入れしないといけないのよ?」
「おや、左様でしたか?」
しかしながら、ラウールもレユールの勝利に泥を塗られるのは面白くない。彼女……ウェンディが大騒ぎする前に、先制口撃を仕掛けては黙らせる。そうして、ある程度予想していた顛末への対抗手段をピーコートのポケットからゴソゴソと取り出して、彼女の前に突きつけた。
「いや〜。昨日、あんなにも嫌がるレユールに無理やり食べさせようとされていたので……ちょっと、気になりまして。一応、成分を調べたんですよね。あの辺は競走馬の訓練場が多い事もあって、近くに飼料の成分分析をしてくださる施設もあったものですから、すぐに調べていただけました。で……折角ですから、そこにウェンディ訓練場ご自慢の特製ペレットと一緒に持ち込んでみたんです」
その結果がこれです……と2枚の分析結果票と、薬包紙に包まれていた2種類のペレットとを彼女に示しながら、意地悪く解説を続けるラウール。たった1つを除き、ピタリと一致する成分構成表をウェンディだけではなく、集まっていた記者にも見えるように掲げながら……意気揚々と言葉を続ける。
「ハイ、皆さん。最後の成分に注目してください。こちらのペレットの成分表には、イプラトロピウムという薬物名がありますね。で、そちらの施設の職員の方によりますと、この薬品は人間だけではなく、馬に対しても呼吸器疾患の際に利用されている薬品だそうです。ですけど……競馬協定では、禁止薬物に指定されているのだとか。で、その上で質問です。ウェンディさんは、このペレットをノールさんの所のレユールに食べさせて……どうするおつもりだったのでしょう?」
「何を出鱈目な! 大体、私が昨日の夕方にそちらにお邪魔していた証拠でもあって?」
あぁ、これだから素人はいけない。ラウールは昨日と言いはしたが、夕方とは一言も言っていない。それでも、彼女が最後まで粘る事も想定内と内心でほくそ笑みながら……強か足元を掬うように、彼女が遺憾無く醸し出している場違いの理由を述べてみる。
「ふぅん……意外と往生際が悪いですね。でしたら……あぁ、そうそう。ウェンディさん、足元のハイヒール素敵ですよ。ですけど、折角のピンヒールがどこかの泥で汚れているではありませんか。お洒落は足元から、とよく申しますし……今度から足が付かないように、お手入れを欠かさないことをお勧めします」
「私の靴に、泥……⁉︎」
ラウールの指摘に、手入れの重要性をまざまざと思い知ったのだろう。ウェンディの顔が引き攣ると同時に、一気に険しくなった。
「実はレユールの寝床の前に、大量にハイヒールの靴跡が残っていましてね。そりゃ、そうですよね。レユールに折角の差し入れを拒否されて……ウェンディさん、盛大に地団駄踏んでいましたもの。クククク……アッハハハ! 本当に……貴方の無様な踊りっぷりたら!」
「ハイヒールの跡がどうしたって、言うのよ! 大体……ロゼッタ様は貴族なのでしょ? でしたら、ハイヒールくらい、お持ちなのでは? どうせ、見学がてら……」
尚も諦め悪く、ハイヒールの持ち主は自分ではないと主張しようとする、ウェンディ。しかし、その槍玉に上げた相手が非常に悪いことを、彼女は全くもって理解していない。
「……我はハイヒールなど、1足も持っておらんぞ?」
「は……?」
そうして、突然泥を被せられそうになったロゼッタが憮然と呟く。目元は鋭く、鼻筋は荒く。大きな青い瞳には、明らかな怒りが滲んでいる。
「そんな非実用的な靴を履いていたら、お前のような無礼者に制裁を与えられぬではないか。なるほどな……お前は我が戦友に薬を盛ろうとしておったのだな? その上……敗北を認められず、無様に喚く醜さと言ったら。非常に不愉快ぞ! 覚悟はできておろうなぁ……? この痴れ者がッ‼︎」
「ひっ⁉︎」
体は小さくとも、喝破1つで大人をも圧倒するロゼッタ。そうして、ギリギリと獰猛に歯を鳴らしているものの。攻撃対象を見つけて、口元はどこか嬉しそうに歪んでもいる。……これがビスクドールだったら、間違いなくタチの悪い呪い人形扱いされては、夢に出ると噂されそうだ。
「はいはい、ドゥドゥ。ロゼッタ准将、落ち着いて。いいですか? ウェンディさんはレユールに薬を盛ろうとしただけで、ドーピングの捏造には失敗しているのです。ですので、処罰される罪はありません。とは言え……大衆の面前で根拠もないレユールの不正を訴えて、勝手に顔に泥を塗りたくったのですから……馬主としてはともかく、訓練場のオーナーとしては面目丸潰れ、でしょうねぇ。ご自慢の特製ペレット、売り上げが落ちないといいのですけど」
「……うぐッ! 何よ、何よ! 大体、コソコソとこんな事を調べ回って! そもそも……って、キャッ⁉︎」
涙は女の最大の武器とばかりに、いよいよ瞳に涙を溜めて、泣き始めるウェンディ。しかし彼女の涙も虚しく、恥の上塗りを別の意味で致しましょうと……彼女の頭にピシャリと鳥のフンが命中した。その仲裁者の姿を確認しようと、見上げれば。吸い込まれるような青空に、悠々と翼を広げたアルバトロスが飛んでいる。
「あぁ……オルセコを越えた先は、オルヌカンとルーシャムでしたっけ。これはこれは……ルーシャムの観光大使から運のお墨付きを頂くなんて。ウェンディさん、色んな意味でツイてますねぇ」
「ハハ……アハハハ……そ、そうですわ……ね……」
「……フン。足元は泥だらけ、頭は糞まみれ。良い良い、我もこれ以上は何も言わぬでくれてやる。……あまりに惨めすぎて、怒る気もせんわ」
それに、今はめでたい祝杯の途中だし……と、最後は満足げにレユールの首筋に腕を回しては、頬を寄せるロゼッタ。先ほどまでの呪い人形の形相は、どこへやら。彼女の満面の笑みは、まだまだあどけない少女の面影をはっきりと残していた。




