疾走せよ、ゼブラジャスパー(13)
コースの距離は、全長4000メートル。一斉にスタートした彼らが最初に衝突するのは、真っ直ぐでなだらかなように見せかけて……実は勾配も急な上り坂。それでも、互いを牽制し合いながら選手達が一団となって、果敢に蹄を食い込ませては速度を落とす事もなく、いとも容易く疾走していく。そんな中……。
【ブルルッ(ムチのオト、ウルサイ)……!】
決して、自身には振るわれずとも。至近距離で他の馬が受けている鞭の音は、レユールの耳にも確かな刺激音となって強か届く。最初は持ち前の精神力でなんとか、持ち堪えていたが……かつての痛みと恐怖とをジワジワと思い出しては、レユールの思考は段々と自分がどうして走っているのかさえもわからぬ程に、錯綜し始めていた。
【ブルルルルッ……! ヴァフォォォゥ!】
「ど、どうしたのだ、レユール⁉︎」
想定外の精神攻撃に、先ほどまで他の馬を圧倒する走りを見せていたレユールが突如、悲鳴を上げて暴れ始める。
そこは第1コーナーに差し掛かった大外。幸いにも、彼らは余裕を見せつけるようにややコース外から攻めていたため、他の選手達の邪魔はさしてしていないものの……その狂乱ぶりは、明らかに危険な状態だ。
(これは……不味いですかね……! おそらく、レユールは……)
キャロルの元に帰ろうと、お役目を果たしたラウールも観戦に勤しもうと思っていたが。帰り道で明らかな緊急事態が発生しているとなれば、素通りできるはずもなし。レユールが鞭に対して、過剰な恐怖心を抱く傾向があるのは把握もしてはいたが……他の馬への鞭の音にさえも怯えるなんて、予想外である。しかし、この場合は何よりもレユールとロゼッタの安全が第一。勝負に関してはノールには悪いが、諦めてもらうしか……。
(って、おや? ロゼッタ准将……一体、何を⁉︎)
馬を降りれば、落馬扱いで即失格。それなのにロゼッタは慌てる事もなく、無理な姿勢を保ちながらグローブを外しつつ……暴れ馬になり始めているレユールの首筋を、素手で掴み始めた。そうしてゆっくりと、あやす様にレユールの耳元で励ましの言葉を囁く。
「……レユール、乱心するでない。大丈夫だ。お前には、我が付いておる。落ち着け、落ち着くのだ。そう……ゆっくりと呼吸をして……」
両手で慈しむようにレユールの首を摩りながら、深呼吸を促すロゼッタ。首筋に沿って、優しく、温めるように。そうされて……ようやく、落ち着きを取り戻し始めると同時に、もう一度走る目的を思い出すレユール。
【……(イマ、レユールは……ナンのためにハシっている?)】
優勝するため? それとも、自由になるため? ……いいや、違う。ボロボロになって迷い込んだ自分に、穏やかな居場所を与えてくれたノールとの生活のためだ。生傷が絶えなかった見世物の境遇に戻りたいだなんて、誰が望むというのだろう。折角、見つけた幸せのために……その蹄を鳴らさずして、何とする。
【ブルルルッ……! ヴァル!】
「よぅし! 良いぞ、レユール。それでこそ……我が、誇り高き戦友ぞ! 舵取りは我に任せて……お前はひたすら、勝利に向かって走ることだけ考えろッ!」
レースは終盤、トップの一団が既に最終コーナーに差し掛かろうとしていた。このままの順位でいけば、優勝は馬主・ウェンディのサー・ブライトになりそうだ……そんな、既に決まりかけた順位を淡々と実況者も解説していたが。突如、彼の語気がご乱心とばかりに、弾み出すではないか。
実況者の冷静だったはずの言葉を暴れさせたのは……非常識な速度かつ、非常識な姿勢のジョッキーを乗せて直走る、白黒のストライプ。乱心の際に食らったハンデ・1000メートルはあったであろう足踏み分をグングンと縮めながら、優勝争いの集団へと肉薄し始める。その鬼気迫る走りは、かの戦神と愛馬……規格外の人馬一体の進軍そのもの。盲目に草地を踏み鳴らすレユールのコース補正をしようと……あろうことか、ロゼッタは手綱を長めに持ちながら、自身の体を最大限に傾けることでフォローしている。そんな落馬の危険性が極めて高い姿勢にも関わらず……当のロゼッタは狂気の笑みを見せていた。
「勝利の風は我らと共にあり! 我に構わず……思う存分疾走せよ、戦友ッ!」
かつてない高揚感と、一体感。絶妙なコンビネーションで易々と最終コーナーさえも最高速度で走り抜ければ、真っ直ぐなコースでの他の選手など敵ではない。その鮮やかかつ、蛮勇でさえもある追走劇は彼女達に文句なしの勝利をもたらす……はず、だった。




