疾走せよ、ゼブラジャスパー(10)
The feast is in full swing……宴もたけなわ、とはこういう事を言うのだろう。自分が酒を飲めないものだから、ある意味で清々しい空気も相まって、周囲の熱気に馴染めないラウール。バルドールとノール、そして彼の奥さんは終始前祝いでご機嫌だし、ジェームズも彼らの足元でディアブロとおこぼれの肉塊を頂けて、ご満悦な様子。頼みのキャロルもロゼッタの子守に忙しくて、大きな子猫ちゃんを構う暇もなさそうだ。
(……なんだか、つまらないですね……)
そんな空気の中で、どこか置き去りにされた気分になっては、ひっそりとその場を離れるラウール。以前の彼であれば、癇癪を起こさないにしても不機嫌を撒き散らしては、楽しい空気感を壊すのもお手の物だったが……先ほど冷酷だと言われて失点したばかりなので、1人で気分転換をした方がいいだろうと考える。
(えぇと……レユールがいるのは、この厩舎でしたっけ……?)
自分が離れても、誰1人気づいてくれない状況に寂しさを募らせながらも、喧騒から距離を置いた静けさが心地いい。頼まれもしないおセンチを発揮しつつ、レユールに明日の意気込みをお聞かせ願おうと、何気なく厩舎に足を踏み入れるラウール。しかし、夜もそろそろ間近だと言うのに、ややノスタルジックな空気が漂う厩舎では、明らかに場違いな印象の女が熱心にレユールに給餌をしているのが、目に入る。
(この農場のスタッフの方……ではなさそうですね。確か、ここは……)
ノールと奥さんの2人で切り盛りしていると、顔合わせ初日に紹介があったはずだ。この農場は敷地自体はかなり広いが、飼育されているのは乳牛と農業馬のみで、頭数はそんなに多くないらしい。特に冬の閑散期は人手も必要ないとかで……他の従業員はいないと聞いていた。だとすると……今、レユールに餌を差し出している怪しげな彼女は部外者なのだろう。
「ほら……! さっさとこいつを食べてしまいなさいよ! 美味しい特製ペレットなのよ、これ」
【バフォッ……! ヴルルル……】
「あぁ! 本当に憎たらしい! どうして食べないのよ⁉︎」
様子を見ている限り、レユールは差し出された餌を拒絶しているようだ。鼻息を荒げながらも、顔を背けては……全身で拒否の姿勢を示している。きっと……忍び込んでいる手前、時間の猶予もないのだろう。レユールのあまりに頑固な様子に、最後は諦めたらしい女が舌打ちをしながら去っていく。
(どうしましょうか……声を掛けてみますか? それとも……?)
まずは、レユールに話を聞く方が先か。そうして怪しげな彼女が去っていくのを見届けて、レユールを怯えさせないようにゆっくりと近づくラウール。一方で、レユールもラウールの事は顔見知りだと判断したらしい。ブルルとシマウマらしい息を吐くと、鼻を擦り寄せてくる。
「ドゥドゥ……怖い思いをさせてしまったようですね。大丈夫ですよ、レユール。それにしても……あぁ、なるほど。彼女、もしかして商売敵か何かですかね」
彼女が諦めついでにこぼしていったペレットをつまみ上げて、クンクンと匂いを嗅いでみれば。いかにも馬の飼料らしい草っぽい匂いに混じって、どこか科学的な薬品の匂いが微かに鼻を刺激してくる。
「……彼女、もしかしてウェンディさんとやらでしょうか? このペレットの匂いからするに、彼女は君に薬を盛ることでドーピング疑惑を捏造しようとしたのでしょう。しかし、まぁ。なんと言いますか……不正をでっち上げてまで、ノールさんが欲しいんですかねぇ……」
【ブルル……】
「あぁ、ダンマリしてなくて結構ですよ。事情はジェームズから聞いています。いずれにしても……レユール、君が賢くて助かりました。もし、このペレットを食べていたら、明日のレースでロゼッタ准将を悲しませることになったでしょう。ふぅむ……それはそれで面白いんですけど。今は意地悪を言っている場合でもないですか」
ロゼッタが優勝できなくても、自分は痛くも痒くもないと言いつつも。紹介した手前、責任は取らねばなるまいか。そうして、拾った証拠品を丁寧にハンカチに包むラウール。
【……ジェームズ、カいヌシいる、イってた。おマエがそれか?】
ペレットを拾い上げ、悪巧みでほくそ笑むラウールに、レユールが話しかけてくる。ジェームズの名前を出した途端、お喋りをし出したのを見るに……どうやら、愛犬とは仲良くやっていたらしい。
「そうですよ。さて……と。この怪しげな差し入れは、絶対に口にしないで下さいね。本当は君にもうちょっと話を聞きたかったのですけど……急遽、調べ物ができてしまいました。あろうことか、ロゼッタ准将みたいな無茶苦茶な方に付き合わせてしまって、本当に申し訳ないのですけど……もう少し、人間側の都合に合わせてやってください」
【レユール、ヘイキ。ここにいる、シアワセ。ノール、ヤサしい。レユール、アシタ……ノールのためにガンバる】
厩舎は灯り1つない暗がりだと言うのに、不思議な虹彩を纏う瞳を輝かせては、力強くラウールに応じるレユール。どうやら、彼も明日のレースで勝たなければ今の生活がなくなる事を理解しているようだ。そんな彼の決意に、忠告と懇願は野暮だったかなと、ラウールはほんの少し反省してしまう




