アンダルサイトのから騒ぎ(44)
「聞いたぞ? お前、今回も相当に無茶をしたらしいじゃないか」
「別に……そんな大それたことはしていませんよ。兄さんには、ご迷惑はお掛けしてないでしょ?」
仕事で近くを通ったからと、「CLOSE」になっているプレートを無視してやって来たのは、常々心配性が抜けない双子の兄。しかし弟の無鉄砲加減を心配している一方で、モーリスにはちょっとした嬉しい事があったそうな。そのご報告も含めて、足を伸ばしてくれた……と言うのが、本当のところらしい。
「で? 兄さんの薄気味悪い笑顔の理由は何ですか? 言っておきますけど、報酬は既に半分はいつもの所にばら撒き済みです。ソーニャの靴代を提供できる余裕はありませんよ」
「……乗っけから、はしたない事を言うなよ……。今まで、僕がラウールに無心したことなんか、あったか?」
確かに、ないかも知れませんね……と悪びれることもなく肩を竦める弟の姿に、やや苦笑いしながらも。キャロルからお代わりのコーヒーを頂きながら、モーリスがとある貴族親娘の顛末について教えてくれる。
「実は……今回の件で、ブキャナン警視の降格が決まってね。今月一杯でロンバルディア中央署から、マリトアイネス署に移ることになるそうだ」
「今回の件で……って。別に彼はいつも通り、何もしていないでしょうに。何がどうなって、そんなおめでたい事になるのです」
「表向きは勤務怠慢が理由だけど……実際はヴィオレッタ嬢のやり口に、キャメロ様がお怒りになったのが原因らしい」
「キャメロ……はて? どちら様でしたっけ?」
「ラウールさん、ほら! アンドレイ様の息子さんで……」
あぁ、あのいけ好かない青年少将ですか……等と、常にいけ好かないのは自分も一緒だろうに。都合が悪いことは遥か高い場所の棚に放り投げ。不貞腐れ始めた弟に苦笑いしながら……どうも、ラウールの興味のない相手の名前を覚えない癖は抜けていないらしいと、モーリスが事と次第を説明し始める。
「何でも、ヴィオレッタ嬢はレイラさんが彼女達をこっそりと逃がそうとした時に……自分さえ助かればいいと、他の人質を見捨てる発言をしたそうだ。救出された時も、キャメロさんに必要以上に纏わりついてはご迷惑をおかけしたようなのだけど……きっと、我慢できなかったんだろうなぁ。一緒に保護されたミュリア嬢とジーナ嬢の口から、そんな証言が出たもんだから。ほら、アンドレイ副団長はあれで情に深い性格だろう? きっと、息子のキャメロさんも正義感の強い人だったのだろうね。……同じロンバルディアの貴族として、恥を知れと激しくお怒りになったらしい」
ここ最近で汚点を稼いだノアルローゼとは言え、騎士団の中枢を担う“ロイス”のミドルネームを持つ一団の影響力は未だ健在。ヴィオレッタ嬢にしてみれば、何気ない至極当然の発言だったのだろう。だが、彼女に染み付いた貴族の思い上がりは騎士道精神もしっかりと染み付いた、由緒正しい黒薔薇貴族様にしてみれば……高慢な失言でしかなかったのだ。
「それでなくても、元はと言えば元凶はヴィオレッタ嬢の横恋慕だからね。彼女がキャロルちゃんへのライバル心を抑えていれば……彼女達がヴランヴェルトのアカデミアに来ることもなかっただろうに」
「要するに……あぁ、なるほど。こうなると、ブキャナン警視の降格も妥当といえば、妥当ですかね。娘の監督不行き届きに、気づきさえしなかった怠慢。その上、ご息女は救いようもないバカ娘。……これはどこかでしっかりと親娘共々、躾を施していただいた方が良さそうですかね?」
彼らの罪状は、直接的には警察組織という枠内での制裁には程遠い場所にある。しかし、一方で……怪盗紳士拿捕に躍起になっている警察に身を置く相手だからこそ、不安要素の芽は摘んでおこうという判断になったのだ。おそらく、この隔離はヴィクトワール……延いては、ホワイトムッシュの思惑も含んでいるのだろう。
ラウールやキャロルの周りで騒ぐこと。それは多かれ少なかれ、彼らの内情が漏れる可能性が増えることを示している。だからこそ、彼らの保護者は範囲を拡大しての職権濫用をしてまで、ブキャナン親娘に制裁を与えたのだ。
【ヨかったな、モーリス。これで、なんちゃってケイシにツきマトわれなくてスむな?】
「まぁ、それはそうなのだけど……しかし、少し可哀想かもなぁ。それでなくても、例のミノーラス一家もマフィアにまで落ちぶれたのは、貴族としての凋落が原因だったみたいだし……。本当に。貴族っていうのは、なったらなったで、面倒なモノなのかも知れないな」
「何を今更。そんな事くらい、継父の様子を見ていたら分かっていたでしょうに」
「全く。ラウールはまた父さんの事を、そんな風に呼んで……。それはそうと、キャロルちゃん」
「はい。どうしました? モーリスさん」
弟の拗ねた態度はこの際、忘れてしまおう。気分転換がてら、モーリスは店に入った時に気になって仕方なかった置物について、キャロルに質問してみる。なんでも、モーリス宅では新年を迎えたにあたり、ちょっとした玄関の飾り物を探していたのだそうで……。妙に気になる面影を見つけたものだから、出どころを是非に知りたいそうな。
「ふふふ……あの人形、とっても可愛いでしょう? あれはジェニバー美術館のお土産コーナーに売っている、怪盗紳士の招き虎人形ですよ? 何でも、オリエントの方では猫は縁起のいい動物なのですって。あぁしてニャンニャンと、お手手を挙げて福を招くのだとか」
「へぇ〜……だったら、僕も買いに行かなくちゃ。そうだ。今度、ソーニャと一緒に出かけてみようかな?」
「……兄さんまで、趣味が悪いったらありませんね……。まぁ、ご自由にどうぞ? どうせ……俺がどう足掻いても、あの人形の売り上げまでは阻止できませんし」
その売り上げの良さは、どこかの誰かさんの人気の証。その狂騒で悲しみの聖母の微笑みさえも、霞ませてしまえればいいのかも知れないと……キャロルにようやく笑顔が戻った事にも、密かに安心するラウール。
結局、アンダルサイトは元のマリア像の胸元に戻る事なく、行方知れずのまま。今頃、彼女はどこで悲しい笑顔を浮かべているのだろうと考えては……実のない恋は迷惑なだけだと、ラウールは尚も思わずにはいられないのだった。
【おまけ・アンダルサイトについて】
和名は「紅柱石」、モース硬度は約7.5。
スペインのアンダルシア州を主な原産地とする鉱石で、主な組成はアルミニウム珪酸塩ですが、とりわけ炭素包有物を含むものを「空晶石」と呼んだりします。
まぁ、そんな難しいことを言わずとも、大雑把な分け方をすれば……透明な方をアンダルサイト、不透明な方をキアストライトだとしてしまえば、作者のような素人でも覚えやすいのではないかと。
宝石質の透明なアンダルサイトは見る角度によって色味が変わる多色性を持ちますが、キアストライトはガラス質の輝きがない反面、断面に特徴的な十字模様が現れます。
で、この十字と言うのが、とっても大事なわけでして。
宝石としての価値はアンダルサイトに譲りがちですが、キアストライトの価値はこの十字がハッキリしているか否かで決まるといった具合に、一般的な宝石の判断基準が適用されないのが面白いところであります。
と言っても、それもどこまでも人間側の都合なんですけどね。
当のキアストライトに信仰心やら、十字の有り難みやらを押し付けてみても、下らないから騒ぎでしかないのでしょう。
【参考作品】
『恋のからさわぎ』
『じゃじゃ馬ならし』
『ルカ福音書(七つの悲しみのロザリオ)』
ヒースフォート城の一幕が後を引きに引いております。




