アンダルサイトのから騒ぎ(23)
受講料を台無しにしないためにも、ヴランヴェルトのアカデミアで3日目の講義に臨むキャロルだったが……。大きすぎる懸念事項が頭を占領している状態で、集中せよと言うのは無理な話というもの。それでも、ラウールもヴィオレッタ達の捜索にはそれなりの手筈を整えてくれるつもりらしい。後のことは任せろと、頼もしげに言ってくれたものの。とある事にも目敏く気づいてしまった彼が大暴れするのも目に見えるようで、却って不安なのは……難物を婚約者に持ったが故の、悲しい習性である。
(……とにかく、私はみんなの分までお勉強しなきゃ……。それで……)
ヴィオレッタだけではなく、アマンダやレイラにも講義の内容を教えてあげられればいいなと、お下りのノートにペンを走らせる。
バッグごとお勉強道具も持ち去られてしまったので、間に合わせの筆記用具で一生懸命に参加はしているが。筆記用具はいくらでも代用が利くため、それを強奪されるのは、そこまで深刻な事態ではない。この場合、キャロルの左薬指に嵌まっていた指輪まで持ち去った事こそが、彼らにとっての痛恨のミスだった。
(大丈夫かな、レイラさん達……。ラウールさんを怒らせたからには、多分……)
かつての青薔薇貴族の次男坊の顛末を思い出して、暖かい室内でも身震いしてしまうキャロル。
指輪に鎮座しているのが身元も確かな宝石である以前に、ラウールが凝りに凝って準備していた婚約指輪だった。サイズも特殊なら、リングも特注品。石座に鎮座するは、希少なピンクダイヤモンドとパパラチア・サファイア。何もかもが特別仕様の指輪を奪われることは……ラウールにしてみれば、素敵な相棒のために作った証拠品を引き剥がされたに等しい。一方的な自己主張をお手付きにしたとなれば、今の彼らは猛獣の縞模様の尻尾をしっかりと踏み潰した後である。
(あぁぁぁ……本当に大丈夫かな……。穏便に済めばいいのだけど……)
例の屋敷での彼女にはやや強気で傲慢な部分はあったものの、一方で……昼休みに話しかけてきたレイラの必死さは本物だったのではないかと、キャロルは考える。実は落ち目の貴族出身だという彼女が、ブキャナン家でヴィオレッタのお友達を演じていたのには、相当の事情があったのだろう。
(お金がどうしても必要……かぁ。そうだよね。お金がなければ、こんな風にお勉強する機会だって与えられないものね……)
お家を立て直すため? それとも、ビジネスの穴を埋めるため?
何にしても……レイラは何かに焦っているように、キャロルには見えたのだ。そして彼女の焦りは悪いことに、ヴィオレッタが遺憾無く発揮していた貴族の威厳に相当、刺激されていたのだろう。
自分が持っていない物を持っている相手を羨ましいと思っては、自分は不幸なのだと卑屈になるのも、誰しも多かれ少なかれ経験することではある。しかし、その現実に折り合いをつけられないが故に、思いもよらぬ暴挙に出る者がいるのも……悲しいかな。よくある事でもあった。
そして、レイラは既に一線を踏み越えてしまっている。あの屋敷での振る舞いが彼女の意思なのか、それとも誰かに命令されていたものなのかは、定かではないが。少なくとも、最も手を出してはいけない婚約指輪を相手に、宝石泥棒をしでかしてしまったのだから、お仕置きはどう頑張っても穏便には済まないだろうと……終業ベルと同時に、悲壮なため息をついてしまうキャロルなのだった。
***
「レイラ! お前はなんてことをしてくれたんだッ⁉︎ これでは……折角の取引が台無しじゃないか!」
「お、お父様……。それは……」
何も、私のせいではありません。しかし、そんな言い訳の言葉を吐いた瞬間に、頬を強く張られるのも分かっているので粛々と事情を父・ペトルチオに説明するレイラ。怒りで顔を真っ赤にしている父によると……馬車をきちんと戻していなかったせいで、拠点の1つが警察に抑えられてしまったらしい。
しかし、それもこれも……馬車さえも拝借しなければならない程に、ミノーラス家が落ちぶれに落ちぶれているせいだ。自前の馬車があれば、材料を集めてくるのだって、遥かに安全で容易にできるというのに。そんな情けない現状に唇を噛み締めつつ、レイラは父親の激しい叱咤に耐える。
それでも、かつての真っ当で優しかった父親の面影を忿怒の形相から探しては……あの頃に戻れればいいのにと、俯いてメイプル色の瞳を涙で翳らせていた。
ミノーラス家が古美術商として美術館に出入りしていたのは、遠い昔……それこそ、レイラがまだ子供だった時の話だ。何もかもが幸せだった、幼少時代。幼い彼女は父親が得意げに連れて行ってくれた取引先の美術館で、慈愛に満ちた表情のマリア像を見上げるのが、何よりも好きだった。それなのに……。
(……お知り合いと宝石ビジネスに手を出して、それが原因で失墜して……。しかも、手早く稼げるからと、今度は危ない麻薬取引に手を出して……。大体、この惨めな有り様はそもそも……)
ペトルチオ自身の手腕と先見の無さが原因だろうに。
元来はお人好しだったはずなのに、潜在的に持ち合わせていたらしい凶暴性を目覚めさせたペトルチオは、次第にレイラの母親にも構わず手を挙げるようになっていった。第一、ミノーラス家はレイラの母であり、ペトルチオの妻でもあったカタリナの生家である。要するに、ペトルチオはミノーラス家の婿になるのだが、おそらく普段の肩身の狭さと鬱屈した境遇に嫌気も差していたのだろう。レイラに負けず劣らず気が強く、それこそじゃじゃ馬だった彼女を、ここぞとばかりに暴力で屈服させるようになったのは……その反動があったのと同時に、とある存在との出会いが大きい。それが……。
(宝石人形……。人であって、人ならざる、生き人形……。美しくも従順で……なにより儚い、最高のおもちゃ……)
鞭を振るい放題の自分より弱い相手を得てからというもの。ペトルチオの狂気は留まるところを知らなかった。流石に、レイラには頬を張る程度の折檻しかしないものの……母親は生気も失いましたとばかりに、ペトルチオに口答えもする気力さえない様子。段々と自身の殻に引き籠るようになっては、最近では自室からも出てこない。
「……あぁ、そうそう。そういえば。お前が攫ってきた娘達だがな。例のお嬢様はハズレもハズレだが……アマンダとかいう娘は使えるらしい。シャペルリによれば、彼女には適性があるそうだ」
「ちょ、ちょっと待ってください、お父様。選りに選って、アマンダ……ですの? それって、つまり……」
「あぁ、その通りだ。丁度、例の美術館から取って置きを仕入れてある。早速、実験に取り掛かるそうだ」
「取って置き、ですか……?」
正直なところ、ヴィオレッタの処遇はどうでもいい。しかし、同じ取り巻きの中でもレイラの苦慮を理解し、一緒に勉強しましょうと励ましてくれたアマンダが選ばれてしまったことは、何よりも都合が悪い。どうせ適性なんてありはしないと高を括っては、ヴィオレッタ以外は逃してやろうと思っていたのに。
「……それにしても、全く忌々しい。馬車を使って攫ってきたのがたった4人なのも、つまらん話だが。当たりが1人しかいないなんて、これじゃ大損だ! ……あぁ、次はどうしてくれようかな。そうだな……」
先ほどまであんなにも激しくレイラを捲し立てていたペトルチオは、不気味な独り言を呟き始めては……今度は醜悪な笑顔を見せ始める。おそらく、相当の名案を思いついたのだろう。彼の悪巧みの横顔に、かつての幸せは欠片すら残っていないと悟っては……レイラはただただ、自分の境遇にさえも怯えることしかできない。




