アンダルサイトのから騒ぎ(15)
【……ラウール。これ……どうするんだ?】
「……」
相手を素人と侮りながら轍を辿った先には確かに、詰所にあったのと同じキャリッジ風のキャブリオレが1台、馬ごと停めてあるのが目に入る。しかし、この場合は停まっている場所がラウールにとって、非常に好ましくない。
「……先程、キャブマンは全員揃っていたと、聞きましたが……だとすると、この馬車はお仕事でこんな場所にいる訳ではないでしょう。しかし……」
【フツウであれば、このジカンにバシャがトまっているのはおかしくはないだろう。だけど、このバアイは……そうじゃないだろうな】
だとすれば、馬車泥棒はお仕事完了の祝杯を上げている最中なのだろうか。そんな事を忌々しげに考えながら、少しばかり如何わしい空気と一緒に、怪しげな光を漏らし損ねているネオンサインを見上げるが。アルコールを一切飲めないラウールにとって、酒場ほど厄介な場所はない。ブランディ1ショットで撃沈した、あまりに切ない失態をしでかしたことがある手前……店に踏み込む第1歩でさえ、かなりの勇気と覚悟を要する。
「……とは言え、そんな事を言っている場合ではありませんか。すみません、ジェームズ。馬車の持ち主に話を聞いてきますので、少しここで待っていて下さい」
【ウム、ショウチした。……マチがっても、ノまれるなよ?】
分かっていますよ……そんな風に答えては、ジェームズの忠告を有り難く頂きつつ、地下へ続く階段を降りるラウール。しかし辿り着いた扉にはご丁寧にも、「CLOSE」のプレートが掛かっており……ネオンサインが消されていたのには、どうやら「貸切」だからという意思表示だったらしい。しかし、ここはどうしても泥棒のご事情をお伺いせねばならない。そんな事をやれやれと考えながら踏み込んだ先は、葉巻の香りとどこか饐えた匂いのする、明らかに怪しい空間だった。
(……ここは……普通の酒場でもなさそうですか? えぇと……)
「いらっしゃいませ〜。あらぁ? お兄さん……常連じゃなさそうかしら? ごめんなさいねぇ……あいにくと、この店は……」
「もしかして、一見さんお断りでしたか? でしょうね。この甘ったるい空気は、ちょっとした魔法の副産物でしょうから」
鋭い答えにピクリと細い眉を動かしながらも、気怠い雰囲気の彼女はラウールをそれなりに気に入ったらしい。甘ったるい匂いを存分に纏った体を、蠱惑的な様子で擦り付けてくるが……彼女の相手よりも、目の前の異常事態を理解する方が先だ。
「すみませんが、店主さんはいます? こいつは少しばかり……事情聴取をしなければいけなさそうだ」
「じ、事情聴取? 別に、この店は怪しい場所じゃないわよ。確かにあのショーは怪しげに見えるだろうけど。お兄さんが無理矢理この店に入ってくるのが、いけないのよ」
「……おや、それは失礼。しかし……この店先に、被害届が出ている馬車が停まっていたものですから。流石に、無視はできなかったもので」
「被害届が出ている……馬車?」
「えぇ、そうですよ。あぁ、申し遅れました。僕はモーリス・ジェムトフィアと申しまして。ロンバルディアでは一応、警察官という立場ではあるのですけど」
「……な、なんですって! ちょっと、あんた達! こいつ、警察官らしいわよ!」
無断で兄になり済ますのは、常套手段。相変わらずの自己中心的なご都合主義で、アッサリと仮初の身の上を明かしてみると。モーリス(に成り済ましたラウール)が常々、一般市民の嫌われ者でもある警察官と知れれば……甘ったるい空気が一転、小気味よくホットにピリリと引き締まる。
ロンバルディアやヴランヴェルト……それに、周辺国家での警察官というのは、基本的に高圧的で正義の味方からは程遠いイメージが根強い。最近はようやく、市民からの要請もそれなりに受けるようにはなったが、彼らの出動にはあからさまな優先度が設けられており……市民1000人の要請よりも貴族1人の要請が優先されるなんて、笑い話にしては現実的過ぎるブラック・ジョークが囁かれるのも常である。実を言えば、ロンバルディア警察の制服が高級感溢れるロイヤルブルーの「格好いい制服」なのには、こうした貴族至上主義志向が出しゃばった結果でもあった。
「おいおい! こんな所にひ弱な警官が何の用だ!」
「あなたが店主さん……では、なさそうですか? ふぅむ……あ。その様子だと……僕を力尽くで摘み出そうとしてます?」
舐められたもんですね……と、常備している不遜な態度をラウールがありったけ撒き散らしてみれば。相手が嫌われ者では好都合とばかりに、店を守る大義名分と一緒に人気獲得のチャンスに燃える男。そうして、女のけたたましい警告にやってきた厳つい男が、まずはご挨拶とラウールの顔面目掛けて拳を叩き込むが……。
「一応、言っておきますけど……僕はこれでも、軍人上がりでして。この程度は慣れっこなのです。あ、それとも……もしかしてお兄さん、この猫パンチは戯れているつもりです? 生憎と、僕には遊んで差し上げるつもりはないですけど。猫じゃらし、要りますか?」
「なっ……!」
易々と拳を受け止められ、しかも「お遊び」とまで言われて。折角の人気獲得チャンスもフイにされた上に、お返しに強烈なハイキックまで顎にガツンと頂けば。言葉と衝撃のショックで、男の脳天は一気にダウンのご様子。情けなく伸び切った大きなドラ猫の様子に、店内のテンションがクールダウンして縮み上がるが……さて。勢いで乱暴を働いてしまったが、ホシはどこかなと……やっぱりなかなか払拭できないデビルスマイルで、あたりをグルリと睨むラウールだった。




