クリスマスキャロルはエグマリヌの船上にて(32)
例え、顔を出す場所がどんなに荒れ狂う海原だったとしても。朝日は分け隔てなく、無遠慮な光彩で全てを包み込む。あまりに長い夜を越え、ようやく平静さを取り戻した(と言っても、乗客の殆どは緊急事態があったことさえ知らない)スカイデッキに招かれたので、やれやれと朝食のお席にもお供するものの……今回の一件で、アレンはラウールをどうしても自身の部下に加えたいと、決意を固めたらしい。昨晩の夕食はご一緒し損ねたブランネルに直訴を繰り返しては、自分にこそ彼の助力が必要なのだと、朝っぱらから暑苦しく懇々と説き始めていた。
「ウゥむ……のぅ、アレン。老い先短い祖父様から、最大の楽しみを取り上げんでくれぬかの? 余はモリちゃんやラウちゃんと一緒に余生を楽しみたくて、ヴランヴェルトに引っ込んだんじゃぞ? それなのに……」
「でしたら、お祖父様はモーリスさんに付き纏えばいいではないですか。その方がラウールさんも気が楽でしょ?」
「……どうでしょうね? 正直なところ、俺としては爺様にもアレン様にも放っておいて欲しい、が本音ですけど。まぁ、それはさて置き……アレン様。それこそ、マティウス様を放っておいても大丈夫なのですか? 昨晩のあの様子ですと……」
「アハハ、そうだよね。まぁ、今回はいいお勉強になったんじゃないかな、父上も。この世で最も恐ろしいのは他でもない……ヴィクトワールだって、再認識したんだから。これからは少し、大人しくなると思うよ」
そんなアレンの言葉通り、マティウスは昨晩の顛末を受け止めてからというもの……悶々と悩んでは、食事も喉を通らない有様らしい。あの傲慢な鷹が餌を摂らないなんて、悩みは余程に深いと見受けられるが……それも無理はないのかも知れないと、ラウールはひっそりと納得していた。
マティウスは確かに、武力行使を是とする好戦的な性格ではある。もちろん、彼自身もそれなりの剣術の修練も積んではいるし、そこに多少の奢りもあるのだろう。しかし、国王というどこまでも綺麗な環境で過ごしてきた彼にとって……現場の生々しさというのは、想像を絶するものだった。
ヴィクトワールはあくまでソフトに言ってはいたが、あれで彼女はロンバルディア騎士団の最高指揮官である。軍部の情報を全て網羅しているだけではなく、お食事やお喋りのお作法も全て熟知している。彼女自身も戦争自体の経験はないものの、残党狩りでの実地経験は豊かな以上、手腕は熟れている以前にただただ残忍。
その現実を目の当たりにして、マティウスは自身の爪の鋭さがいかに中途半端だったかを、思い知ったのだろう。ヴィクトワールスペシャルとまで行かずとも、彼女がギブスに行った尋問は精神を確実に抉る、残酷なもの。そして彼女を軽んじれば、矛先が自分にも向くかも知れないと……彼はようやく、当然の恐怖心と危機感とを取り戻したに過ぎない。
「まぁ、それはさておき。そろそろ、俺は自分の席に戻っていいですかね? それでなくても、昨晩は折角のランデヴーが台無しになったのです。……って、キャロル。どうしました?」
「すみません……そろそろ、ラウールさんのカフェインが切れる頃かなと思って、様子を見に参りました。もし宜しければ、ご一緒しても良いでしょうか?」
「もちろん、オッケーじゃよ〜。それにしても、キャロルちゃんは今朝も可愛いの。ほれほれ、遠慮なく座っちゃって構わんぞ? これからは2人まとめて、余の孫じゃからの!」
俺はあなたの孫ではありません。そんな憎まれ口を叩きつつも、ラウールはキャロルが自分を心配して来てくれたのは素直に嬉しいご様子。そうして、ご機嫌な雰囲気で彼女がしっかりと確保してきたコーヒーを受け取りながら、どこか気味の悪い笑顔を浮かべている。そんな単純過ぎる彼の表情にアレンがやや尻込みしながら、それでも興味津々とキャロルへ話の矛先を向ける。
「ところで……キャロルさん、でしたっけ?」
「はい。ご挨拶が遅くなりまして、申し訳ございません……キャロル・リデルと申しまして。それで……」
「うん、聞いてる。ラウールさんの婚約者なんだって? うんうん、まさにお似合いだと僕は思うよ。是非、2人の結婚式には僕も呼んで欲しいな」
「恐れ多い事です……。それでなくても、私自身は貴族でもありませんし……こうしてお席をご一緒いただけるだけでも、身に余る光栄です……」
「それは関係ないでしょ。僕はラウールさんも含めて、キャロルさんにも力を貸して欲しいと思うんだ。やっぱり、祖父様は流石だよね。しっかり周りを固めては……こうして素敵な人達を簡単に集めてしまうのだから。僕にもそのテクニックを教えて欲しいよ」
「うむ? ……その話は、また今度の。余はまだまだ現役は譲らんし、お前は色々と若過ぎるの」
左様ですか? ……と、白々しく肩を竦めながらアレンも、それ以上の追求は諦めたらしい。それもそのはず、そろそろメインイベントが始まる時間だ。当初の予定ではヴォカレア諸島沖で美しい景色を眺めながらの、クリスマスパーティだったはずだが……今回は想定外があったため、エグマリヌ号は荒凉とした断崖絶壁沖で停泊中である。
それでも、既にパーティの華やかさに酔いも一緒に回っているのだろう。航路が予定と違うなどという些末な事を気に掛ける者はごく少数。そんな会場で……今まさに流れてくる美しい歌声に、酔いしれぬ方が無粋だとラウールも考える。
「……本当はデュエットの予定だったんですよね、選曲は。まぁ、この場合は……バリトンがいない以上、曲目変更も仕方ないのかも知れませんね」
「そうですね……。それでもやっぱり、マリオンさんの歌声はとっても素敵です……! 色々ありましたけど、こうして無事にクリスマスを迎えられて、嬉しいです」
力強い「夜の女王のアリア」に続いて、鉄板の「アヴェ・マリア」を濁りなく歌い上げる姿勢は、まさにプロの仕事そのもの。彼女も昨晩はさぞ怖い思いをしただろうにと思いながらも……どこかの誰かさんとは違い、しっかりと役目を全うする彼女の歌声に、ただただ頭が下がる思いのラウールだった。




