クリスマスキャロルはエグマリヌの船上にて(30)
船体の激しい揺れ。荒波に揉まれている事を想像するに容易い、航路に踏み込んだ頃。そろそろ、こちらも頃合いだとヴィクトワールが天使の微笑みでギブスを追い詰めにかかる。一方で……既にギブスは自身の作戦が失敗に終わりそうな事を悟り始めていた。
待てど暮らせど、暫定的な関係とは言え……彼の相棒はやってこない。職業柄、プログラム進行には煩いはずのオペラ歌手がやってこない時点でおそらく、彼の方にも不測の事態が発生したのだろう。そんな事を考えては、袋の鼠はミルクどころかクッキーを要求する事さえ無謀だったのだと、ギブスは臍を噬む。
「……さて。そろそろ、アウーガ島に到着する頃合いでしょうか。船長、進行具合はいかがかしら?」
「は、はい……順調であります」
「まぁまぁまぁ! 何よりですわ! 折角です、あなた達のキャプテンには……このヴィクトワール自ら、素敵なクリスマスプレゼントを差し上げることにしましょうか。……あぁ、本当に愉快ですわね。こんな所でヴィクトワールスペシャルを思う存分、振る舞えるなんて……!」
「ヴィクトワール様、まさかそれ……裏メニューのことを言ってます?」
「もちろんですわよ、ラウール様。フフフフ……アハハハハッ! ご心配召されなくても……こんがりしっかり、焼き加減はヴェルダンにして差し上げましてよ!」
彼女の言葉が意味する所を想像して、ラウールは女傑の企みに気づいては……身震いが止まらない。確かに、彼女が飛び抜けて料理上手なのも知ってはいるが。当然ながら、自慢の腕で振る舞うのは……素敵な素敵なローストターキー・クランベリーソースでは、決してないだろう。
「ラウールさん、ヴィクトワールスペシャルって……何のこと? 君はそのお献立を知っているのかい?」
「……アレン様。この世の中には、知らない方が良いことも沢山あるんですよ。ヴィクトワールスペシャルは間違いなく、知らなくて済むなら、知らない方がいい内容です。あぁ……テロリストとは言え、ラディノさんもお可哀想に……。俺に言わせれば、ヴィクトワール様の裏メニューを味わう羽目になるのなら……普通に処刑された方がよっぽどマシですね」
かのマルヴェリア条約さえも綺麗サッパリ流しているが故に、ヴィクトワールも普段は自重している完全なる禁じ手。しかし生粋の武具マニアでもある彼女にとって、知識と技術を遺憾無く発揮できるとあれば……その興奮も如何ばかりか。しかも、悪いことに……。
「あら、面白そうな話をしてるわね。ヴィクトワール、久しぶりに……あれ、やっちゃうの?」
「まぁ! ヴェーラにキャロル様ではありませんか。良いところにいらっしゃいましたね。ふふ……そうなの! 今宵はこのヴィクトワール、とびっきりのスペシャルメニューを振る舞うことに致しましたの! 折角です。あなたにはソース作りをお願いしようかしら?」
ラウールの差し金通りブランネルを確保した上で、ヴェーラも操舵室に来てくれたのだろうが……何かの熱に当てられたのか、彼女の白衣が若干焦げている。そしてラウールが目敏くその痕跡に気づいたのも見逃さず、少し困った表情になりながら様子を窺うキャロルだったが……。
「それはともかく……キャロル。その様子だと、もしかして……俺以外の相手に身を許したのですか……?」
「えっ? 違いますよ! 私はただ……」
「何だい、男の嫉妬はみっともないわよ、ラウール君。大丈夫よ。キャロルちゃんがおててを繋いだ相手は私だから。しかも、さっきキッパリとお誘いも断られちゃったし。だから、キャロルちゃんの事はちゃーんと大事にしなさいよ? ここまでラウール君に付き合ってくれる相手はまず、いないわさ」
それ、ここで言わなければいけない事ですか?
そんな言葉を努めて飲み込みながら、既のところで相棒を自分の横に移動させつつ、さも不満げな瞳でヴェーラを睨むラウール。一方で……ヴェーラ相手でも嫉妬心を剥き出しにしている婚約者の腕に力が入ったのにも気づいて、腰を抱かれている気恥ずかしさ以上に、キャロルの方はただただ居た堪れない。
「で? 今回はどんなソースを拵えれば良いのかしら? 火傷しちゃう系? それとも、痺れちゃう系?」
「もちろん! とっておきの腐っちゃう系でお願いいたしますわ!」
ラウールがますます不貞腐れているのも意に介さず、旧知の仲らしいヴィクトワールとヴェーラがお献立の相談をし始めるが。何がどうとっておきで、何をどう腐らせるのか……は愚問だろう。
そして、ヴィクトワールスペシャルを振る舞う対象には、しっかりと船旅のプランナーも含まれているらしい。もはや慈愛を通り越した、穏やかすぎる笑顔でギブスに向き直っては……ヴィクトワールがとてもお優しい事を提案し始める。
「あぁ、そうそう。ギブス殿はお食事とお喋り、どちらがよろしくて? 今回は特別に、どちらかを身を以て体験して頂きますわ」
「おや、ヴィクトワールもお人が悪い。どうせなら、両方堪能してもらったら? それでなくても、こいつが呼んでいた怪しいオペラ歌手のせいで、白衣が台無しなのよ。全く……逃げ馬を用意するにしても、もうちょっとエレガントなサラブレッドを選べなかったのかねぇ? お陰で、ここに来るのにも随分、苦労させられたじゃない」
「……!」
ユアンが自身を駿馬に擬えていたのをそのまま、ヴェーラが引喩してギブスに報告してみれば。最後の望みが潰えたこともしかと認識して、いよいよギブスが膝からガクリと崩れ落ちる。ミネルバの切り札も沈められるなんて、思いもしていなかった彼には、うまくお喋りをして、命乞いをする以外の選択肢は残っていなかった。




