クリスマスキャロルはエグマリヌの船上にて(28)
「しかし……参ったわねぇ。私も向こうに呼ばれているものだから、急がないといけないんだけど」
「おや、そうだったのですね。でしたら……ここは目的地が同じ者同士、休戦といきませんか?」
「ハッ、冗談じゃないわ。誰が、得体の知れない相手と和睦を望むもんですか。……ここでキッチリあんたを沈めて、不安要素は徹底的に洗い流しておかないと」
お互いに相手の隙を窺いながら睨み合うものの、困った事にそれぞれ武術の心得もかなりあるらしい。女性相手に手を上げるのはエレガントには程遠いと、ユアンの方には躊躇いも見られるが……ヴェーラの方はお構いなしだ。何せ、彼女には牙を抜かれた状態で、散々食い物にされた苦い経験がある。男の甘ったるい笑顔など、信頼に値せぬと白衣を翻しながら、見事な回し蹴りでユアンの腹を強か薙ぐ。
「……ッツ! 全く……なんてスピードですか、貴女のキックは。こうもシャツをバッサリと切り裂かれては……舞台の演出が台無しじゃないですか」
「あら、そう? でも……彷徨える幽霊船の衣装だったら、ちょっとくらいボロい方が説得力もあるんじゃない?」
ここでオペラのお題目を出してくるのだから、彼女はカケラとしてのベテランなだけでなく、人間としての教養もあるらしい。『彷徨えるヒース人』はヴェーラが揶揄した通り、幽霊船に因んだ悲恋物語である。そんな悲しいストーリーが染み付いた頭で、手立てはないかと淑女の動向を伺うが……どうも、彼女はヒース人を解放する「乙女の愛」を齎してくれる存在にはなり得なさそうだ。だとすると……。
(ここは、そちらの可憐なお嬢さんにターゲットを絞った方が良さそうかな……?)
カッカし始めたヴェーラがキャロルを庇っているのは、目に見えて明らかだ。おそらく、彼女の方はお飾りの宝石人形なのだろう。だとすれば、愛はこちらに乞えばいいか……と、ユアンはヴェーラの襲撃をやり過ごしながら考えているものの。それこそ、大きな誤算というもの。無害な顔こそしているが、キャロルも無償の愛を齎してくれる程には、甘ったるい相手ではない。
「……ったく、キリがないわね……。やっぱり、最高硬度は伊達じゃないってことかしら?」
「お褒め頂き、光栄ですが……そんな僕の腹を抉っているのは、どこの誰ですか。しかし……そろそろ、本当に時間に遅れてしまう。ですから、ここで……!」
終わりにしましょう、と僅かな隙を見繕ってキャロルの背後に回るユアン。そうしてエレガントとはやっぱり程遠いやり口で、彼女を拘束しようとするものの……キャロルは見事にユアンの求愛を袖にして、ヒラリと身を躱して見せる。
「……⁉︎」
「すみません……。私には、ちょっと口煩い婚約者がおりまして……。彼以外の男の方とはベッタリしない約束をしたので、あなたの人質になってあげる事はできないのです……」
「はい……?」
問題にするべきは無論、婚約者の有無ではない。彼女が妥協点を齎してくれる存在か否か、である。それなのに、彼女の答えも「No」らしい。自分の瞬発力を見抜かれたのも驚異的だが、それをアッサリと躱されたのは、ただただ予想外だ。あまりの淑やかかつ、完璧な立ち振る舞いに……ようやく彼女の方こそが、難敵だと思い知るユアン。まさか、彼女の方も……戦闘用のカケラなのだろうか?
「……ヴェーラ先生、どうしますか? このままだと……」
「そうさね。こんなところでこれ以上、時間を食う訳にもいかないわ。仕方ない。キャロルちゃん、ちょっと力を貸してくれる?」
「はい、かしこまりました。ヴェーラ先生が相手なら、ラウールさんも文句は言わないですよね……」
「多分ね。それにしても……キャロルちゃんは本当に、ラウール君との婚約は考え直した方がいいと思うわよ」
呆れ顔のヴェーラに、はにかんでクスクスと笑うキャロル。道中でキャロルの特殊な体質について聞かされていたヴェーラにとって、キャロルの特殊能力は今回の船旅で得た、最上級の研究課題でもあった。最大の興味と好奇心とを満たす相手の威容を確認するチャンスとあれば……例え、状況がつまらない膠着状態だったとしても、忽ち気分をハイにさせてくれるというもの。呆気にとられているユアンが状況を飲み込み切る前に、キャロルが真っ赤な炎を吹き出す1振りの剣に姿を変じて見せれば。ヴェーラのボルテージはいよいよ、最高潮を迎えつつある。
「ふふ、これが噂のレーヴァテイン……か。幽霊退治にはちょっと似合わないけど、けたたましく歌う雄鶏退治には持ってこいかしらねッ!」
「……!」
さぁ、行くわよ……と、さも楽しそうにヴェーラがクリムゾンの魔剣を振るう。その灼熱は圧倒的かつ、照準も正確無比。まるで獲物を追い詰めるように、しつこく追尾してくる炎を丸腰でやり過ごすのは不可能に近い。だとすればこちらも、同じ手法で応じる他ないか……と、ユアンは雑多な事を洗いざらい、観念し始めていた。
「……こんな所で本当の意味の同類に出会うなんて、思いもしませんでした。あぁ、本当に……僕はつくづく、ツイてない。仕方ないですね。ここは……僕の方も片割れに頑張ってもらうとしましょうか……」
「片割れ……?」
「えぇ。きっと貴女もご存知だと思いますけど、僕達は基本的に双子で生まれてきます。そして当然ながら、僕にも双子の弟がいるのですけど……。こいつが、本当に……とっても厄介な奴でして……」
そこまで言葉を紡ぐと、切り裂かれたシャツの上から左胸に手を充てて意識を集中し始めるユアン。そんな彼の手の下から見え隠れするのは……大きな黒い輝きが確かに2つ。その様子に、ヴェーラはウィルソンがいつかに溢していた、1つの荒唐無稽な実験結果の愚痴を思い出す。
「……あなた、まさか……補填された宝石の完成品……?」
「ヒャヒャヒャヒャッ……その通り! ユアンは俺を取り込んで……2人で1つになる事で、宝石の完成品になったイレギュラー種でな。だけど、食われっぱなしは癪だから、大暴れしたい時は俺に出番を譲ってくれるって寸法さ。そうそう、だから……俺のことはユアンじゃなくて、ジャックって呼んでくれよ。切り裂きジャックなんて、通り名も……呪いのダイヤモンドにも相応しいだろッ⁉︎」
ほれ、ユアン出番だぞ……と、トントンとジャックが自身の左胸を軽く叩くと。自身を切り裂きジャックなどと嘯いたのに相応しく、大振りの肉切り包丁が握られている。その原理はおそらく、グリードが他の鉱物を取り込んで武器に変じることができる特殊性に近いものだろうが……あまりに禍々しい佇まいは、人は殺さずの怪盗紳士の矜持とは遥かにかけ離れていると言わざるを得ない。




