スペクトル急行の旅(10)
時折、カタンコトンとレールの上を列車が踏み鳴らす音以外は何も聞こえてこない、深夜の客室。大きめの窓から注ぐ月明かりもどこか気弱な様子で、無遠慮に部屋の中を照らす気概もないらしい。そんな明かりさえも落とした暗がりのベッドの上で、やってくる予定の来客を待ちわびるラウール。きっと相手は急行の輝きをただ損なわせるだけではなく、光の強度そのものを根底から屈折させるつもりだろう。だとすれば……かなり手荒な真似をしてくることも、想定しておかなければならない。
(どうやら、いらっしゃいましたか……?)
耳を澄ましてみれば、足音を殺しながらも確実に誰かが近づいてくるのが、聞こえてくる。そうしてたどり着いた入り口に鍵がかかっている事を確認しつつも、しばらくカチャカチャと鍵穴を説得し……見事に音もなく扉を説き伏せると、そっとそのまま室内に侵入してきた。その足元では確かにミシリと何かが弾ける音がしたが、彼はそれに気づかないまま2つのベッドを見比べて……黒い髪の毛がはみ出ている方のベッドに近づくと、ナイフを振り上げ突如、突き立てる。しかし……。
「あぁ。突然、そんな風にされたら驚くじゃないですか……。こんな夜更に人を起こしてまで、何のご用事です?」
「……⁉︎」
突き立てたはずのナイフが何か硬いものに当たって弾き返され、鋼鉄の響きを纏った相手がむくりと起き上がる。そうしてさも、よく寝たとばかりに1つ伸びをした後……彼はどこかこの世のものとは思えない、怪しい輝きを宿す紫色の瞳で、侵入者をまっすぐ見据えていた。
「驚かせてしまって、すみませんね。お客様がいらっしゃることも分かっていたのだし……おもてなしのご準備くらいはしておいた方が良かったんでしょうけど。……生憎と俺は普通の感覚は持ち合わせていないものですから。……さて、どうしましょうかね? 押し入り強盗の犠牲者に仕立てるつもりだったのに、ターゲットが防弾チョッキを着込んでいるなんて、思いもしなかったでしょ?」
本当はそんなものは着込んでいないのだが。ラウールの尤もらしい理由を、侵入者の方も素直に飲み込んだ様子で……物々しいペストマスクの下の表情は決して見えてこないが、しばらくの逡巡の後、おそらく分が悪いと判断したのだろう。扉を乱暴にバタンと開け放つと、一目散にやってきた廊下を走り去っていった。
「……ラ、ラウール……今のは、何じゃ……?」
「あれ、爺様……本当に起きてらしたんですか? まぁ、大したことはありません。どの道、被害者を出せなかった時点で彼らの作戦は8割位は失敗でしょうから」
「じゃけど……何で、ラウちゃんが狙われなければならないんじゃ?」
布団の下で怯えに怯えて、哀れな様子でプルプルと震えているムッシュ。そんな彼を慰める方が侵入者を追いかけるよりも先だと、仕方なしに判断すると。扉と鍵を閉め直して、ムッシュに静かに説明を加えるラウール。
「爺様。この列車が本当におもてなしのためだけに走っているなどと、お思いで?」
「違うのかの?」
「少なくとも、俺は違うと思いますよ。きっと……この列車は一種のデモンストレーションで走っているのでしょう。もし、本当に純粋なおもてなしだけだったら、わざわざ場の空気を壊すかもしれないライバルのオルヌカンを招いたりしないでしょ。……要するに、ルーシャム側は彼らさえも招くことで、マーケティングを兼ねるつもりなのでしょう」
「マーケティング?」
「列車の乗り心地を体感させることで、技術力を宣伝しているのですよ。聞けば、この列車の原動力であるスペクトル鉱は、特殊技術を用いて加工されたものだそうで……原料自体はオルヌカンでも生産できますが、現状加工まではできないのです。だから研究成果を見せつければ、オルヌカンに対して技術そのものを売り込むことができる。……同じような境遇の隣国から、そんな上から目線で商売を吹っかけられたら、オルヌカンとしては非常に面白くないはずですが……。しかし、面白くないからと言ってこのまま野放しにすれば、ルーシャムに観光産業も含めて色々な旨みを持っていかれてしまう。それでなくても、特急の招待券だけでこれだけのメンツを揃えて見せたのです。ここで商談に乗らなければ、ルーシャムが勢いづくのは目に見えています」
「じゃけど……それがどうして、ラウールが狙われる結果になるんじゃ?」
「ご自身も仰っていたではないですか、“余は影響力も絶大なもんだから”……と。オルヌカンはルーシャムを調子づかせたくはないが、このまま商談に乗るのも癪だったんでしょう。だから、列車そのものにケチをつけることにしたんです。……昼間にドビーが俺の方に話しかけてきたのには、そういう理由があったんですよ。爺様を襲ったら、影響力はそれこそ絶大……しかし一方で、そんな大物に手を出したら足が付く可能性も一気に跳ね上がる。だけど、中途半端に爺様と関係があるらしい俺であれば、万が一死亡したとしても爺様程の騒ぎにはなりません。急所を外してきた時点で、殺すつもりはなかったのでしょうけど。……その顛末は、明日になればハッキリすると思いますよ」
「ふむぅ……何だか、釈然としないが……別にそれだったら、他の貴族でも良かったのではないかの?」
「全く、爺様は分かってないですね。今後、オルヌカンにとっても優良顧客になりそうな近隣諸国の貴族を攻撃して、どうするのです。そんなトラウマを直植えするような事をしたら、ルーシャムだけではなく、その近くに領地を構えるオルヌカンからも足が遠のくではないですか。この場合、普段は完全に無関係で影響力抜群な俺達に目が向くのは、自然な事なんですよ」
そこまで説明をしてもらって、ようやく眠気がやってきたのだろう。ちょっととぼけた目元を擦りながら船を漕ぎ始めたムッシュをベッドに寝かせると、布団を掛け直してやるラウール。やっぱりムッシュと一緒にいると厄介事に巻き込まれると考えながら、自身もようやくベッドに横になる。
きっと今夜は眠れないだろうが……体を多少は休めないと、ムッシュのハイテンションにはどう頑張っても、付いていけない。そんな諦めまじりで、ラウールはいよいよ目を閉じた。




