クリスマスキャロルはエグマリヌの船上にて(17)
「もう直ぐですよ、国王陛下。ここさえ抜ければ、先は操舵室に繋がっているはずです」
「大儀だったぞ、ギブス。そうか……お前はこの抜け道を奴らに知られないために、今まで大人しかったのだな?」
「えぇ、まぁ……そんなところです」
ギブスに連れられ、救命ボートの列の横を走り抜けるマティウス。普段から何かと出しゃばるギブスが、大人しかった事を訝しく思っていたが。それは彼なりに機会を窺っていたからなのだろうと前向きに捉えては、どこぞの甥っ子に撃沈させられそうになったご機嫌を上向かせる。
もちろん、その一連のシナリオは彼自身がヒロイズムに酔っているが故の挙動不審に加え、強い国王を体現しようと躍起になりがちなマティウスの思考回路を熟知している、ギブスの扇動の結果で成り立っているのだが。ギブスの方はそんなマティウスの性質を利用して……この場で彼そのものを絡めとろうと、周囲に誰もいない事を幸いと、計画の歩みをまた1歩進め始めた。
「ところで、陛下」
「なんだ、ギブス」
「……陛下は最近の平和主義について、どう思われますか? 確かに平和なのは、いい事でしょうが……旧・シェルドゥラの残党のように、水面下で燻っている反勢力があるのも事実。それが顕在化した今……あなた様は、ロンバルディアの現状を何と致しますか?」
「そうだな……正直、父上の撒き散らした平和思想にはうんざりしている。ロンバルディアは昔から絶対強者として君臨してきたはずなのに、今では平和ボケしている等と馬鹿にされる始末だ。それこそ……ここで1つ、シェルドゥラを完膚なきまでに叩きのめして、力を見せつけるのもいいのかも知れんな」
「フフフ……その通りですよ、陛下。今のロンバルディアは平和の美酒に酔っているだけの、臆病者の集まりです。我が国のシンボルでもある獅子のように、強い国家を体現するには、餌が必要だと思いませんか?」
「そうだな……。しかし、その餌を用意するのは難しいと思うが?」
「ですから、ここは敢えてラディノを解放して……シェルドゥラを持ち直させるのです」
「ほぅ?」
それはまさしく、売国行為に他ならないのだが。それでも避難経路という密会の舞台と、国王自ら動いて事態を収束させたという称賛の幻を思い描いては、興味津々とギブスの甘言に身を乗り出すマティウス。そう、本当はギブスにとって最も必要なカードはマティウスそのものであり、彼にしてみればブランネルの生死さえもどうでも良かった。
しかし一方で、交渉相手がヴィクトワールであれば、マティウスはそこまで強力なカードにはなり得ないだろう。なぜなら、ヴィクトワールはマティウスの方こそどうでもいいと思っているフシがある。もちろん表立ってそんな素振りを見せる程、ヴィクトワールは愚鈍でもなければ、薄情でもないが……彼女が心から忠誠を誓っているのはマティウスではなく、ブランネルであるのは明らかだ。
だから、この場合は例の孫が言っていたことも正しい反面……ギブスは想定外の好機を逆に利用しようと考える。そう……ロンバルディアの現最高権力者でもあるマティウスを焚きつけて、ヴィクトワールの退場に正当な理由を付けてやれば良いのだ。そのためには……この場で彼の思想を陥落させるのが、手っ取り早い。
「しかし……当然ながら、ヴィクトワール様は猛反対されるでしょうね。それでなくても、騎士団長の割には大公様に右へ倣えの調子で、必要な争いさえも避けるようなお方ですから」
「そうなのだ! ヴィクトワールは常々、穏便に済ませろとか、そんなに怒るなとか……本当に煩いったら、ないぞ! そうだ、だったらばここで……あいつを解任して、別の騎士団長を立てるのも手か……?」
マティウスが敵を作りたがるのは、何も外交的な部分だけではない。内政でも相手の敵意をでっち上げては、声を荒げて溜飲を下げるのが常である。ヴィクトワールはそんな王の攻撃性をただ諫めているだけなのだが……穏やか過ぎる世相に辟易としているマティウスにしてみれば、当然の忠義でさえ敵意になりうるのだから、恐ろしい。
「そうですね。しかし、このままでは我がロンバルディアは旧・シェルドゥラの残党にいいように拉致されて、ラディノ将軍を解放した間抜けになってしまいますよ」
「うむ……。それは確かに……。だったら、どうすれば良いのだ?」
「ですから……こうするのです。今は彼らを利用し、ラディノを解放するフリをして……新しい英雄を作り出してはいかがでしょう? 新しい英雄、それはマティウス様。あなた様ご本人と……新しい右腕として、アウーガ島に収監されている元・陸軍中将のスピリントを利用するのです。ラディノを追い詰め、彼を利用してその場で処刑を実行すれば……あなた様は晴れて、シェルドゥラの脅しにも屈しなかった強靭な国王として、称賛されることでしょう。大丈夫です。実は……スピリントとは話す機会がありまして。彼もマティウス様の呼びかけに応じることでしょう。それに、先ほどはアウーガ島の詳細を知っているのはヴィクトワール様だけだと申しましたが……このギブスも軍上層部の端くれ。上陸に必要な情報は掴んでおります」
「……!」
冷静に考えれば、分かることだと思われるが……ギブスの案に乗ることこそ、愚の極みというものである。
アウーガ島に収監されている時点で、相手が既に救いようもない凶悪犯である事くらいは、マティウスとて知っているはずだった。それなのに……都合の悪いことは忘れて、ありもしない称賛の嵐に今から酔いしれては、あっという間に悪魔の甘言に陥落してしまうのが、鷹派の国王というものである。その幻の余熱は、燻っていた彼のヒーロー願望を沸騰させるのに、十分過ぎる火力を発揮していた。




