クリスマスキャロルはエグマリヌの船上にて(9)
ヴィクトワールを探しに行くと、ラウールとキャロルが去った後の乗組員室。今までの人生で受けたことのない屈辱に、マティウスはギリリと歯を鳴らしていた。
生まれた時から王族で、更に長子ともなれば……国王の座も余程のことがない限り、自分のものだと思っていた。しかし、かつての王でもあった父親は穏健という言葉さえも生温い、臆病者。それはマティウスにしてみれば、国王としての自覚が足りないとしか言いようがなく……このままではロンバルディアは平和ボケしていると、侮られ続けるだろうに。そんな理念もあり、マティウスは強引に強行路線を直走ってきた。しかし……ブランネルはその傾向を未だに警戒し、危惧し続けたままだ。
(それが非常に危うく見える、だと? だが……力を蓄えないことの方こそ、危ういではないか……!)
かつてのブランネルはマティウスのあまりの攻撃性に、彼を王座に据えるのを渋りに渋った。だから彼は弟達に同意を求めることで、懐柔し……邪魔者を駆逐したからこそ、自分は今の王座にいるのだと自覚もしていた。しかし、マティウスは悪いことに、それを反則だと思っていないばかりか、あろうことか……王座の権威は実力で勝ち取った褒賞だとさえ、思っている。
実際には……ブランネルがとある出来事が原因で自身に失望したが故の、方向転換を大いに含んでいたのだが。無論、その隠れた真実をマティウスには知る由もない。
そんな波乱含みの紆余曲折があった末に、苦労して手に入れたはずの権威に靡かない愚か者の存在は、マティウスにしてみれば非常に腹立たしく、不愉快である。しかも相手が、自分の息子達を差し置いてブランネルが目をかけているらしい、かつての弟の忘形見だとくれば。屈辱は更に膨れ上がって、マティウスの神経をキリキリと圧迫し始めていた。
「父上……大丈夫ですか?」
「……大丈夫だ。さて……あの小僧に手柄を取られては癪だし、私達もここを出るぞ」
「し、しかし……大丈夫ですの?」
もちろん、一般人の自由行動がこの状況で大丈夫なはずがない。キャロルはともかく……ラウールは生意気ではあるが、あれで正味6年はロンバルディア騎士団という集団に揉まれ、それなりの技術と経験は備えている。更に、隠れた事情としては「タダの人間ではない」という非常識な強みが幅を利かせているのだが。
「あいつはヴィクトワールを探しに行くと言っていた。だから……私達は父上を探しに行くぞ。アレンにラザート、お前達は私についてこい。それで……メアリアーヌ達はここで待っておれ」
「えぇ? 僕は嫌ですよ……そんなの。ラザートはどうする?」
「う〜ん……私もここで待っていたいかな……。さっきの様子を見ていても……彼らは武器を持っているでしょうし、かと言って……こちら側はそれらしい物は何も持ち合わせていません。ここは大人しく待っていた方が得策かと」
純粋に疲れるのが嫌だと太めの体を揺らしながら辞退するアレンと、兄とは対照的に待機した方が良い理由を述べては同行を辞退するラザート。それぞれの拒否理由は異なるが……息子達の腑抜け加減が、自身にとって思い通りにならない最大の障壁にも似ている気がして、マティウスがいよいよ声を荒げる。
「この腰抜けが! そんな事で、屈強なるロンバルディアを支える王族として、情けないと思わないのかッ⁉︎」
「し、しかし……父上! 足を引っ張る真似はしない方がよろしいかと! きちんと生存する事も、王族の役目かと思います!」
「そうですわ、父上。ラザートの言う通りです。ここはお苦しいでしょうが……先ほどのご様子を拝見していても、ラウール様は素人ではないのでしょう。私達が出て行ったところで……」
「うるさいッ! お前達は私の言う通りにしておれば、良いのだ! 大体、あの小僧がなんだって……」
息子と娘達にとりなされても、逆効果だと言わんばかりにますますヒートアップするマティウス。その姿は、側から見ても滑稽でしかないのだが……気付いていないのは、本人だけである。
「……マティウス様、落ち着いてください。この場合は、ラザート様達が仰る事の方が正しいですよ」
「な……! ギブスまで臆病風に吹かれたのか⁉︎」
そんな収拾がつきそうもない親子喧嘩を諫めようと、側に控えていたギブス……実はこの船の贈り主である……が控えめな様子ではあるものの、「その場で待機」が最適解だという事を説明し始める。
「ラザート様が仰る通り、こちら側は丸腰……武器を持たない以上、テロリスト共への抵抗手段はありません。その上、悔しいことかとは存じますが……マティウス様は先ほどの話通り、最重要人物ではないのです。彼らに遭遇した時点で、問答無用で殺される可能性が高いでしょう」
「そうかも知れんが! だが……だったら、あのラウールとか言うのはどうなんだ? あいつだって……」
「そうですね。彼も立場は私達と同じ、一般の人質に過ぎないでしょう。しかし、彼の方はかなりの鍛錬を積んだプロでもあるのです」
「は……? それは、どういう意味だ?」
どうして、この国王はそんな重要な事を覚えていないのだろう。ノアルローゼである以上、ギブス自身は直接軍部に関与しているが……それを差し引いても、彼ら兄弟の存在はヴィクトワールも含めてかなりのイレギュラーとして、広く認識されていたのだ。それなのに、そんな重要な事も忘れているなんて。
「……きっとマティウス様もご存知だと思っていたのですが。まぁ、軍人は掃いて捨てる程いますからね。覚えていないのも、無理はありませんか。ほら、聞いたことがございませんか? ヴィクトワール様が直々に訓練を施し、剰え……あの彼女を降した少年がいたのを。それが彼……ラウール様ですよ。剣技に優れるのも去ることながら、体術に武術もトップクラス。更に、射撃の精度は他の追随を許さなかったとか」
「あぁ、そう言えば。そんな奴がいたような……しかし、成人と同時に除隊になっていたと聞いているが……」
「えぇ。確かに彼は民間に降りましたが、それはあくまで本人の意志であって、ブランネル様やヴィクトワール様の決定ではありません。ですから、彼らは未だにラウール様を含む双子の勧誘に熱心なのです。まぁ、それはさて置き……彼は要するに、そちら方面はプロという事ですよ。ですから、マティウス様。我々素人は、この場で大人しくしていた方がよろしいかと。彼と同じように丸腰で立ち振る舞えるほど、私達は強くはありません」
「ぐぬぬぬぬ……! そ、そういうことなら……仕方ない。私はそこまで弱くはないが……ここはお前の判断を立ててやろう」
「はっ。ありがたき幸せ」
最後はきちんと国王の顔を立てる事も忘れずに、ギブスが場をうまく収める。その様子に、安堵する王子達や他の人質達の一方で……ギブスは別の意味で安堵の息を漏らしていた。この場は最悪の場合に備えて、何がなんでも国王にも生きていてもらわなければ困るのだ。そうして、しばらくは忠実な部下でいようと……ギブスは大人しく控え目な態度を崩そうとはしなかった。




