クリスマスキャロルはエグマリヌの船上にて(3)
「船上パーティがもう始まっているみたいですね」
「そうみたいだね。しかし、日が落ちる前から酒を呷るなんて……貴族の皆さんは、何を考えているのやら。俺には到底、真似できませんね」
【ラウールのそれ、マネできないチガう。ただ、サケにノまれるだけ。キゾク、カンケイない】
「うぐ……」
無事にモーリスを客室まで送り届けて……2人と1匹でそんなやり取りをしながら、青い絨毯に彩られた廊下を歩いていると。廊下の先はおそらく、ラウンジホールに繋がっているのだろう。既に盛況らしい喧騒の微かなさざめきに混じって、透き通った歌声が聞こえてくる。
「何だか……とっても綺麗なメロディが聞こえてきますね。何の曲かしら?」
「あぁ、この音色は……クリスマスキャロルですかね。しかし……酒盛りのBGMにするには、あまりに罰当たりな気がしますが……」
賛美歌はそもそも、礼拝や集会などで歌われる宗教色の強い曲である。無論、この時期に歌われる物であれば、クリスマス絡みの楽しげな楽曲が多いだろうが……少なくとも、享楽主義者達の祝宴に選ぶべき曲ではないだろう。そんな事を憂慮しつつ、興味津々なキャロルの期待に応えるべく……仕方なしに、パーティ会場に足を運んでみるが。……彼らの目に飛び込んできた光景は、惨憺たる有様だった。
「ラウールさん……これ、何がどうなっているのでしょう? 室内なのに、プールがありますよ⁇」
「……これだから、お金持ちは悪趣味だからいけない。こんな真冬にわざわざ温水プールで肌を晒すのも、大概ですが……なんですか、この酷い状態は……」
何故、プールと舞台を同じ空間に作ったのだろう。ラウールもキャロルも……そして中身は元・貴族のジェームズも。謎だらけの空間があまりに解せぬと、一様に首を捻る。ホール奥の舞台に立つ歌手の歌声をかき消すように、プール客の楽しげな歓声が上がりっぱなしでは、厳かな賛美歌の有り難みも台無しではないか。
「俺達はプールに入らなければ良いだけの話ですし……折角です。近い所で、美しい歌声を聞きましょうか。それでなくても……ほら、あの歌手。キャロルも見覚えがありませんか?」
「あっ、もしかして……マリオンさん⁉︎」
普段、周囲をあまり良く言わないはずのラウール(俗に言う、斜に構えていると言うヤツである)がわざわざ美しい歌声、と褒めたのには当然ながら、訳がある。自身が彼女の声を舞台で聞いたのは数回だが……独特な抑揚に、力強く鮮明なビブラートはラウールにとっても、既に馴染み深いものだった。彼女の美声は音程の高さも去ることながら……流石、プロのオペラ歌手は一味も二味も違う。難しい曲調にも関わらず、歌詞の発音もしっかりしており、朗々と語られる賛美に、誤魔化しは一切ない。
「あぁぁぁ……こんな所でマリオンさんの声が聞けるなんて……! 最高です……!」
「俺もそう思いますね。これで1つくらいは、この船旅に参加して良かったと思える思い出ができましたか? それにしても、いつ聞いても素敵な声ですね……」
【ワンッ(ジェームズはハジメてだけどな)!】
彼らがステージに張り付くように、マリオンの声にうっとりしていると。きっと彼女の方もラウール達に気付いたのだろう。歌声を止める事はないにしても、こっそりとウィンクをしては嬉しそうに頬を染めている。それにしても……。
「……それなのに、やっぱり腹立たしいですね……! こちらはプロのお仕事をしっかりしていると言うのに……なんですか、あの有様は。酒盛りも、ご入浴も、他所ですれば良いでしょうに」
「ラウールさん、落ち着いて。……よく分からないけど、豪華客船ってそういうものなのかも知れません……」
【クゥン……】
めいめいそんな事を言いながら、それでもステージ前でマリオンの声に酔いしれていると……こっそりとラウールの礼服の裾を引っ張るものがある。その妙な遠慮のなさと、急に静まり返った空気に嫌な予感がするが。無視するわけにはいかないかと……ラウールは眉間にシワを寄せながら、背中越しに応える。
「……何のご用ですか、白髭様」
「あ、流石ラウちゃんじゃの。振り向かなくても、余だって分かっちゃう? ムフフ。以心伝心って、こういう事を言うのかの? 余は可愛い孫に気付いてもらえて、満足じゃー!」
「うるさいですよ。そんな傍若無人な事をしてくるのは、白髭様くらいです。ですから、この場合は以心伝心ではなく……無粋な真似をしでかす相手として、真っ先にあなたが浮かんだだけ。すみませんが、こちらはマリオンさんの歌に首ったけで、聴くのに忙しいのです。白髭様の相手をしている暇はありません」
「あうっ! 相変わらず、ラウちゃんは連れないの。それじゃ……仕方ないのぅ。相手してくれるのを待つ間、余もこちらのお嬢さんの声をしっかりと聞かねばならんかの。それでなくても、ラウちゃんを夢中にさせるんじゃから……ふむ。あぁ、確かに良い声じゃな……」
孫の不機嫌を受け流して……間違いなくこの船の最主賓だろうと思われるブランネルが、リズムに合わせて楽しそうにスウィングし始めれば。いくら酒が入って気分が良かろうとも、元国王のご機嫌を損ねては一大事と、周囲の喧騒さえも一瞬で黙り込む。
その存在感たるや。単独でフラフラしていても、インパクトは大きいらしい。結局、マリオンが最後まで歌い切った後で……感激したついでに、更に目立つように盛大な拍手を送ってはしゃぎ出すのだから、ラウールとしては付いていけない気分にさせられる。
「や〜! ブラボー、ブラボー! こんなに素ん晴らしい歌を聞いたのは、久しぶりじゃ〜! あぁ……何じゃろ。涙が止まらんのぅ……」
「……ブランネル様、大丈夫ですか? はい、ハンカチをどうぞ」
「グスッ……キャロルちゃん、すまんの。ふふふ、なるほどの。ラウちゃんやキャロルちゃんが夢中になるのが、分かった気がする。これは邪魔した余が悪いのぅ」
「だから、そう申したではないですか。俺達に付き纏うのは、いい加減にしてください……って、あぁ。すみません、マリオンさん。お久しぶりですね」
大袈裟に騒ぎ出したブランネルを他所に、ステージからわざわざ降りてきたマリオンにいよいよ申し訳ない気分になるラウール。しかし、彼女の方はとても嬉しそうにクスクスと笑いながら……柔らかくご挨拶をし始めた。
「お久しぶりですね、ラウール・ロンバルディア様に、キャロルちゃん。それと……もしかして、こちらはまさか……」
「あぁ……年甲斐もなく、爺様が大騒ぎしてすみませんね。これで先代の国王だというのだから、呆れて物も言えませんけど。一応、紹介をしておきますと……」
「うむ! 余はブランネル・グラニエラ・ロンバルディアじゃ! いや〜、マリオンさん? とおっしゃるのかね? 気難しい孫が認めるだけあって、本当に良い声じゃの。素敵なクリスマスプレゼントをありがとう!」
「い、いいえ、滅相もございません。それに……まさか、ブランネル大公様に直接お褒めいただけるなんて……。まぁ、どうしましょう……!」
「……気難しい孫は余計です。何度も申し上げますが……俺はあなたの孫ではありません。とにかく……あぁ、そんなに緊張しなくても良いですよ。この通り、この方は非常に失礼で、空気を読まない迷惑な徘徊老人ですから。かつての国王だっただけで、今は偉いわけでもありません」
と、言われましても。周囲の誰もがそんな事を思っているのにもお構いになしに、ラウールは相変わらずの調子で盛大にブランネルを扱き下ろすが。……それこそ、そんな無礼が許されるのは、気心の知れた孫くらいなものである。
「大体、どうして爺様がこんな所にいるのです。徘徊するにしても、護衛はどうしたのです、護衛は。そんなに俺に迷惑をかけたいのですか?」
「だって……余はラウちゃんと一緒にいたいんじゃもん。それなのに、ラウちゃんは余を避けてばっかりで……。グスッ……ね、キャロルちゃんからも何か言ってくれんかの? このままじゃと、寂しいクリスマスになりそうなんじゃ……」
「それは可哀想に……。お年寄りに冷たくするなんて、ラウールさん最低。クリスマスくらいお祖父ちゃんと一緒にいてあげても、いいではないですか」
「ゔっ……あぁ、もう分かりました。分かりましたよ! この後、夕食をご一緒すればいいのでしょ⁉︎ ……ったく、ソーニャは何をしているんでしょうね……!」
「ムフフ! キャロルちゃん、ナイスアシスト! 余はとっても満足じゃー! あぁ、そうじゃ。それで……のぅのぅ。マリオンさんも、ご一緒にどうかの?」
「えぇっ? しかし……」
これは明らかに、一種の脅しだろうし……確実にマリオンを困らせている気がする。そんな事をラウールもキャロルも気付きながらも……この場合はご一緒いただいた方が却って、彼女の仕事もしやすいだろうかと、2人で頷き合う。
ブランネルがお気に召したとあれば少なくとも、この船旅の間は彼女の歌声をぞんざいに扱う者も減るだろう。それに、噂好きで見栄っ張りな貴族のこと。ブランネルに靡け、倣えと……船を降りた後も彼女の美声を褒めちぎっては、宣伝してくれるに違いない。
「そうですね。もしディナーショーのご予定がないようでしたら、ご一緒にいかがでしょう?」
「私も、是非ご一緒したいです! あぁ……憧れの歌手さんと一緒にお食事なんて、夢みたいです……!」
「そ、そうですか……? でしたら……そうですね。こんな素敵な機会はそうそう、ありませんよね。丁度、ディナーショーは別の方が担当されますから、私は空いていますわ」
最初は乗り気ではなかった船旅だが、偶然の同乗者に助けられて。少しは楽しめそうだと、安心し始めるラウールだったが。しかし……そう平穏に終わらないのが、悲しいかな。トラブルメーカー付きの船旅というものである。




