モン・ラパンとタイガーアイ(8)
「こんばんは、モホーク・ブルローゼ様。今宵はなかなかに、冷えますな」
「え、えぇ……そうですね。ところで……」
自分の情けなさに打ちのめされて、思わず涙を流していたモホークを見つめているのは……誰かと同じ趣の紫の瞳を輝かせて、柔和な微笑みを見せる初老の紳士。しかし、誰かさんとは真逆の様子でご機嫌麗しそうに髭をひねりながら、陽気に話しかけてくるところを見るに、彼は余程モホークとお喋りを楽しみたいらしい。
「……フフフ。実を申せば、私は非常に感謝しているのですよ。あなたのおかげで、金緑石ナンバー3、グリードと呼ばれる彼の勘所を見つけられたのですから。感情のコントロールはまだまだのようですが……ふむ。あれもなかなかに趣味が悪い。怒りの感情をきちんと露わにできる事が分かったのはいいとして、出来損ないの娘に熱をあげるなんて。……育て方を間違えましたかね?」
「えっと……それはどういう意味でしょうか?」
「あぁ、失礼。こちらの話です。今のは聞かなかったことにして下さい。しかし……本当に、あなたも馬鹿な事をしましたね。仮に知らなかったとしても……選りに選って我らの同胞の名を騙るなんて。……恥を知れ、この薄汚い人間如きが……!」
感謝していると言った同じ口で、明らかなる慢罵の言葉を吐きながら……背後に何やら合図を出す紳士。彼の言葉の真意は分からずとも、剥き出しの敵対心と殺気にもう一度怯えながら……モホークが凝らしている目が闇の中から捉えたのは、奇妙な鉄の仮面を着けたおどろおどろしい雰囲気の男。まず目に飛び込んでくる頭も鉄で覆われているのなら、その右腕も黒光する鋼鉄で覆われていた。
(これは鎧……なのか? それとも……)
モホークがその威容に驚いていると、ご丁寧にも先程からご機嫌ついでに饒舌な紳士が解説を加える。それによれば……彼はちょっとしたアクシデントで全身火傷を負い、命を維持するために肉体の殆どを鋼鉄へと衣替えした哀れな被検体、という事らしい。
「彼はギュスターヴと申しましてね。この姿はあの怪盗紳士・グリードの手によって、全てを奪われた結果なのです。本当に可哀想でしょう? それで……彼はグリードを名乗る相手は、とにかく痛めつけないと気が済まない体になってしまいましてね。ですから偽物とは言え、あなたにもその憂さ晴らしのご協力を賜りたいのです」
「ご協力……? それって、具体的には……」
しかし、モホークには質問さえも許さないと……彼の言葉を無理やり中断させるように、仮面の男が右手を大きく振り上げた。恨みを買ったつもりも、大それた事をしたつもりもないが。折角逃げられたと思ったのに、グリードを名乗った時からモホークは不運続き。だけど、そんな彼の事情はお構いなしに……言葉を発しないなりに唸り声を上げながら、ギュスターヴと呼ばれた鉄仮面の拳がモホークに襲いかかる。
しかしモホークとて、そのまま大人しく殺されるつもりもない。咄嗟に鞄の中からせめてもの抵抗とばかりに、木彫りの虎の置き物を投げつけてみるが……それはそれはコツンと情けない音を立てて、彼の拳に弾き返された。
(って、これじゃ……時間稼ぎにもならないよ……! ど、ど、ど……どうしよう⁉︎ ……って、あれ……?)
弱虫で武術の心得もないモホークに、怪物から命を守る術はない。そうしてやっぱり自分は生きる事も諦めなければならないのだと、覚悟を決めていると……何やらギュスターヴの方は、投げつけられた虎の置き物に興味があるらしい。先程まで獰猛に唸り声を上げていた拳を開き、置き物をつまみ上げては、マジマジと不思議そうに見つめ始めた。
「……おや、ギュスターヴ。もしかして、それが気に入ったのですか?」
【ハイ、アダムズサマ。ワタシはトテモ……これがキにイりました。なんだか、あいつがチイさくなったみたいで、ミているだけで、キブンがいい】
「左様ですか。でしたら……ふむ。でしたら、今夜はこのくらいにしておきましょう。……命拾いしましたね、モホーク様。彼の寄越したお目付役に免じて……今回は特別に見逃して差し上げましょう。ただし……2度と我らの仲間入りをしようなどと、おこがましい事はしないでください。……私はね。醜く、美しくないものが、無様に努力する姿が非常に嫌いなのですよ。所詮、偽物は偽物。いくら磨いたところで、捨て石が本物の輝きを得ることはありません。それなのに……お前達人間は無能なクセして、本物になった気でいるのですから。……いいですか、モホーク様。あなたも含めて……人間は我らにただ生かされているだけなのです。決して、あなた達の文明は、あなた達の手によるものではありません。偽物が本物から毟り取った栄光を、無様に垂れ流しているだけです。それを……ゆめゆめお忘れなきよう」
それでは、ご機嫌よう……と、最初から最後まで掴みどころのない様子で、まるで空間に溶けていくように姿を消す怪人と怪物。そんな背中を見送る余裕や余韻も残さないまま、モホークが置き去りにされたプラットホームには……彼を現実の世界へ連れ戻してくれそうな、待ち焦がれた列車が汽笛を響かせながら入ってきた。




