モン・ラパンとタイガーアイ(7)
“……汽車の時間に遅れますよ”
去り際に怪盗が残したセリフはこういう意味だったのかと……モホークは誰もいないプラットホームのベンチで、ぼんやりとこれからの自分の旅路について考えていた。
放り出されたバッグのポケットに挟まれていたのは、旧・シェルドゥラを抜けた先の更に隣の隣国……マルヴェリア行きの夜行列車の切符。そんな切符を握りしめ、深夜の列車を待ちながら、時間潰しがてらに改めてガサゴソと残りの荷物を確認するモホーク。それにしても……。
(ご丁寧にこの衣装を選ぶなんて。本当に……グリードという奴は意地が悪い……)
グリードとクリムゾンに置き去りにされた後。やや茫然自失だったものの、モホークはようやく取り戻した現実に目を覚ますと……彼の配慮通りに無事、留置所からは逃げ果せていた。不思議な事に、見張りらしい見張りはものの見事に全員眠りこけていたのが、少しばかり気に掛かるが……。しかし、そんなことも今となってはどうでもいいのかも知れない。
バッグの中にモホーク自作の「気取らない町人風の普段着」を忍ばせてきたのは、おそらくグリード流の叱咤激励なのだろう。そのチョイスに、貴族ではなく平民としてこれからは暮らしていけというメッセージを受け取りながら、手の込んだ追放劇に思わず苦笑いしてしまう。しかも……資金とお目付役までつけてくるのだから、つくづく抜け目もない。
(金貨を恵んでくれたのはありがたいけど……こっちの置き物は何の冗談だろう……? って、おや? この封筒は何かな?)
いかにも豪奢なゴブラン織りの巾着には金貨5枚が入っており、これだけあればしばらくは難なく暮らしていけそうだ……と安心しているモホークをバッグの中から睨むような鋭い視線を覗かせるのは、虎を模しているらしい木彫りの人形。しかし、目に独特な輝きが2つも嵌っているのにも気付いて、その正体の手がかりになるらしい封書の中身を確認する。それによると、置物の目は「タイガーアイ」という宝石らしい。
(……って、えっ? この宝石、もしかして……)
鑑別書にはタイガーアイがどんな宝石か、石の成分や特徴などが事細かに記されている。その内容は、ダイヤモンドとキュービックジルコニアの見分けもつかないド素人には、意味不明な部分も多いのだが。しかし、鑑定士記名欄に踊る仰々しい名前に……思わず書面相手にでも威圧感を感じては、2重の意味で後退りしたくなるモホーク。
発行責任者の名は“Raoul Jemtorfear”……それはまさしく、モホークが大敗を喫したアンティークショップの店主の名である。しかも、彼の署名が踊る鑑別書がこんなところに入っている時点で……あの怪盗紳士は自身も非常に厄介な場所だと嘯いていた店から、宝石を盗んだ事を意味していた。
(何だか、妙に引っかかるな……。もしかして、僕は……とんでもない相手に勝負を仕掛けていたのだろうか……?)
それはあまりに奇妙な偶然と不運のマリアージュ。あの時現れた大泥棒は、自身を平和主義者だと宣ったクセに、実際には怪力と相手を翻弄する俊敏性を持ち合わせていた。しかも、瞳の色こそ違うとはいえ……面差しの輪郭は、誰かさんとピタリと一致する気がする。更に……。
(キャロルさんとクリムゾンも……似ているんだよなぁ。こちらも瞳の色が違うけど……)
背格好や声は2人ともどこかで会ったことがありそうな、モホークとしては既に身近なものだった。今の今まで、逃げる事に必死で気づかなかったが……考えれば考える程、怪盗紳士=アンティークショップの店主だと仮定するのは、自然だとさえ思えてくる。それでなければ、厄介なはずの場所の鍵を開けておくなんて、離れ業も成立しないだろう。そう……全てはモホークが冗談でも名乗ってはいけない相手の名前を拝借したのが、そもそもの運の尽きだったのだ。
「アハハ……そう。そういうことか……。僕は本当に馬鹿だった……!」
全てを失った訳ではないにしても、再スタートはあまりに惨めなもの。ようやく自分が無謀な挑戦をしていた事を、痛いほどに諒解させられて。自虐混じりの笑いを嗚咽と一緒に噛み締めていると……そんなモホークにお優しくも、ハンカチを差し出すものがある。しかしその手を見た瞬間、配慮を素直に受け取ることもできず、止められないと思っていた涙もピタリと止めるモホーク。何故なら、差し伸べられた手は彼に恐怖をしかと刻みつけた誰かの手と同様に、純白のグローブをしていて……更に、思わず見上げた彼の瞳はあまりに見覚えのある、怪しい紫色に輝いていた。




