モン・ラパンとタイガーアイ(6)
満月には少し足りないけれど。いつかの第二幕の時と同じように、2人屋根の上……夜風に吹かれながら、上空を仰げば。冷たく澄んだ空気も相まって、その日の月はいつも以上に神秘的に見えた。だけど、必要以上に優しく黄金色の吐息を漏らす月とは裏腹に……グリードもクリムゾンも、気分を沈めたままだ。
「……寒くないですか? サファイア」
「はい……大丈夫です。それに……」
「それに?」
今の私はクリムゾンです。
今更ながらにサファイアと呼ばれる事を否定し、改めて新しい名前を披露し始める腕の中の相棒。その自己紹介にグリードも思わず、なるほどと嘆息すると……先ほどまで互いに避けていた話題に踏み込む。
「……さっきの約束が嘘だってことくらいは、分かっていますよ。俺を落ち着かせるために、仕方なしにあんな事を囁いたのでしょう?」
「どうして、嘘だと思うのですか?」
「俺とて、君が怯えている事くらいは分かっているつもりです。……所詮、化け物は化け物。一度タガが外れれば、きっと君さえも傷つけ……最後は食らいにかかることでしょう。やっぱり同類同士でも……一緒に暮らしていくのは、難しいのかも知れません」
秘密と仕事の関係で、生涯伴侶は持たない……そう、決めていたのに。同じ境遇だったはずの兄はしっかりと伴侶を見つけ、それなりに幸せそうに暮らしている。
羨ましくないと言えばそれこそ嘘だし、本当は一緒にいられる相手を見つけたモーリスが、心の底から羨ましかった。だから自分も同じように同類であれば、一緒に暮らしていける相手を見つけられると誤解していたが。だが、ここにきて……モーリスと境遇こそ多少は同じでも、中身も気質も全く違うという、重要な要素を見落としていた事を思い知る。
きっとモーリスだったなら、ただ接客をしていただけ(相手側がどう思っているかは抜きにして)のキャロルにここまで腹を立てたり、モホークへの嫉妬で怒り狂うこともなかっただろう。そして……自分は怒りに飲まれると、彼女にさえも見境なく手を上げるらしい事も判明してしまった。だから、これ以上一緒にいれば……いつかは同類だと誤解していた相手を屠って、喰らって、後悔するに決まっている。
「ですから……そうならないように、私が側にいる必要があるのでしょう? 大丈夫です。さっきもちゃんと、私のいう事を聞いてくれたではありませんか。それに……あなたが自分を取り戻すための糧になれるのなら、それはそれで構いません」
「……君は奇特なのだから。食べられてもいいだなんて、優しいを通り越して……ただただ間抜けなだけです。子猫は子猫らしく、化け物の虎に怯えていなさい。変な強がりは止める事です。そんな事を思わせぶりに言われたら、俺も誤解しますし……きっと後悔しますよ」
「強がってなんかいません。化け物なのは、私も一緒です。だったら、同じ化け物同士……暮らしていければ、それでいいではないですか。ただ、こうしてあなたの腕の中で……一緒に帰り道の月を見上げられれば……それ以上を望むつもりもありません」
“もう2度と置き去りにしたりしませんから、もう1度あの日の月夜を私にください。
ずっとあなたの隣にいますから……これからは2人で一緒に満月の夜に出かけましょう?”
その言葉の意味を改めて逡巡しながら、凍える震えを漆黒の腕に感じては……やっぱり彼女は強がっているのだと、嘆息する。それなのに、彼女ときたら。クリムゾンでいる時は必要以上に強がる上に、殊の外……大胆にもになるらしい。突然とある事を思い出しては気を紛らわそうと、ほんの少しだけグリードを詰り、頬を膨らませ始めた。
「そう言えば、世間では怪盗・グリードには奥様がいて、愛人が4人もいるって聞きました。しかも子沢山で、息子が生まれたばかり……と。それ、本当に嘘ですよね?」
「……俺のどこに、そんな甲斐性があるというのです。あれは嘘ですよ。真っ赤な嘘。そうでも言っておかなければ、世間様は俺を放っておきませんから。大泥棒の追っかけは、警察だけで十分です」
臍を曲げるついでに勢い、自分は甲斐性なしだと白状してしまっては……これでは却って格好が付かぬと、つくづく今夜は調子が悪いと俯く。それでもここは強引に彼女を納得させて、誤魔化してしまおうと決め込むと。せめて、1つの嘘だけは本物に塗り替えるべく、負けじと唇を窄めては彼女に逆襲するグリード。
「それはそうと……君の方こそ、きちんと約束は守れるんでしょうね? ……どんな時も隣にいてくれるというのは、1つの契約の了承だと考えていいという事ですか? そこまで言うのですから、これから先はどんな事があっても……俺以外の男と一緒に出歩くのは、禁止ですからね」
「……分かっています。心配しなくても、もう勝手に飛び出したりはしません」
「そう。でしたら……クククク。折角です。先ほどの嘘くらいは、既成事実にすり替えても、問題なさそうですか?」
「既成事実、ですか? それってどういう……ッ⁉︎」
言葉と一緒に、真っ赤なルージュの唇を塞がれては、彼の言う既成事実の意味をまざまざと痛感するクリムゾン。そうして一頻り甘い吐息の余韻を楽しんだ後、驚く彼女の耳元にグリードが更なる逆襲の内容を囁く。少しだけ転写された赤い色を舌舐めずりしながら、続きは帰ってからと、ニヤリと口元を歪ませて。化け物じみていて、悪魔としか思えない不気味な笑顔も……もう慣れてしまったと、諦めながら。クリムゾンはクリムゾンで、そのまま彼の腕の中にゆっくりと身を委ね続けていた。




