モン・ラパンとタイガーアイ(4)
暗闇に少しだけ慣れた目に映るのは、輪郭さえも曖昧な黒い泥棒。それでも、彼のディテールをそれとなく見つめられるのには、彼が本当にすぐ後ろに現れたからに他ならない。
(さっきまで、足音は前からしてたよね? いつの間に……?)
神出鬼没は大泥棒のトレードマーク。鮮やかな奇襲に言葉を発することもできないクリムゾンとモホークの一方で、グリードは紫色の瞳を細めて……何やら、相当に怒っているようだ。いかにも腹立たしいとばかりに、忌々しげにクリムゾンを詰り始める。
「……君がコトを起こすことくらいは予想もしていましたし、俺も納得する方法で彼を逃がせるのだったら、それなりに目溢しもしようかと思っていましたが。それなのに……なるほど? 俺を差し置いて……こんな所で仲睦まじく、度胸試しゴッコですか?」
その言葉からするに、彼は嫉妬しているらしい。今の状況のどこにそんな要素があるのかが、今ひとつモホークには理解できないが。ようやく状況を把握したクリムゾンが、弁明するものの……それさえも許せないとでも言いたげに、グリードはか細くも確実に唸り声を上げている。その様子は……マスクの意匠も相まって、本当に獰猛な虎のようだ。
「別にそういうわけでは……ただ、私はモホーク様を逃がそうと……」
「……相手を逃すのに、手を繋ぐ必要があるのですか? 逃げ道を案内するために、密着する必要がどこにあるのです。逃すだけなら、扉を開けてやるだけでいいものを。グルルルル……やはり、俺の名前を騙った時点で偽物は処分しておくべきでしたか?」
「……! ちょ、ちょっと、待って下さい! グリード……ッ⁉︎」
先ほどまで目の前にいたはずなのに、今度はクリムゾンの背後に回ると……グリードがクリムゾンの首根っこを子猫よろしく摘み上げて、そのままエントランスの方へ彼女の身を滑らせる。そうして2人の仲を引き裂こうと、いよいよ口元から牙を覗かせて。まずはデモンストレーションと、壁に拳を打ち付けるが。派手な音こそしないものの、跡を見やれば……平面だったはずの壁には、見事なクレーターが出来上がっていた。
(嘘ッ⁉︎ な、何コレッ⁉︎)
自分を睨みつけている相手の威容は、いつかの時にヒントを寄越した知的な怪盗紳士のそれとは、程遠い。佇まいこそ人の形を象っているとは言え……中身はまさに化け物である。
「アガッ⁉︎」
「そうですね……罪人は罪人らしく、絞首刑に致しましょうか? しかし、生憎と……俺は今まで人を殺したことはないものですから。仕損じて、中途半端に生き延びても……文句は言わないでくださいね……!」
容易く壁を凹ませるほどの怪力で、モホークの首を掴みかかると、その身を浮かせるグリード。先ほどから左手には何かを隠し持っている様子だが……もしかして、処刑道具でも準備してきたのだろうか? そんな事を足をバタつかせながら、モホークの方は考えるものの……ギリリと食い込み始めたグローブ越しの彼の指に、容赦はない。どうやら、彼は自力でモホークを処分する気のようだ。
(うぐ……苦しい……! あぁ、もしかして……僕はここで死ぬんだろうか……?)
鋼のように硬いグリードの手を振り解く手段は、おそらくこの世には存在しない。呼吸さえも制限されて、ジワジワと自分の命さえも諦め始めているモホークだったが、一方で……彼の生存をクリムゾンは諦めていないらしい。投げ飛ばされても尚、グリードの横腹にしがみ付いては恩赦を乞う。
「お願い、グリードさん! やめて、やめて下さいッ!」
「うるさいですよ、サファイア。元はと言えば、君が……」
「えぇ、分かっています。私が勝手な事をしたから……私が怒られるのは、当然です。ですけど……人は殺さずが、あなたの矜持ではなかったのですか? お仕置きはきちんと受けますから、お願い……。この人だけは助けてあげて下さい……」
「ほぉ? そこまで君に言わせるとなると……やはり、こいつは生かしてはおけませんね。大体……君は常々、移り気過ぎるのです。その辺りを理解していないのが、本当に宜しくない。ですから……クククク……! 君の身勝手で、誰かが死んでしまうともなれば……今後はオイタも減りますか?」
クリムゾンをサファイアと呼びつつ、グリードがいよいよ醜悪な嘲笑を漏らし始める。口元の牙も相まって、形相は悪魔そのもの。指先の力を多少緩めこそすれ、それはクリムゾンの願いを聞き届けたわけではなく、純粋に楽しんでいるだけのようだ。そのあからさまな残虐性に……自分が虎の尾を踏み潰していた事を、ようやくモホークも理解するのだった。




