モン・ラパンとタイガーアイ(3)
(結局、僕は怪盗紳士として罰せられるのかなぁ。……今までのグリードの事件も全部、僕のせいにされたら……どうなるのだろう?)
昼間の取り調べは意外にもあっさりしたもので、聴取を担当したモーリスに高圧的な雰囲気は一切なかった。しかし警部補ともなれば、それなりの手腕はあるらしい。妙に的確にモホークの事情を具に言い当てては、たった1時間弱で事情聴取をスマートに完了させるものの。穏やかではあるが、身包みを全て剥がされるような追求の鋭さは……モホークにしてみれば、恐怖すら感じさせるものだった。
(あぁ……やっぱり勇気なんか、出すんじゃなかった。どんなに窮屈でも、どんなに退屈でも。……犯罪者になるよりは、貴族でいる方が圧倒的にいいじゃないか……)
今更そんなことに気付いても、もう遅い。
モホークはあまりに世間を知らなさすぎた故に、貴族という境遇がいかに恵まれているかをおざなりに考えていた。例え、能無しだと思われようとも。例え、なんの苦労もなくぬくぬくしていると、罵られようとも。人としての自由を失った犯罪者の烙印を背負うよりは、遥かにマシだ。しかも……。
(人差し指って、生えてきたりしないよね……爪じゃあるまいし……)
痛みも治らないままの手を、窓越しの月明かりに照らしてみても。光を遮って壁に映される影さえも、はっきりと1本足りない形を示しては……モホークに残酷すぎる現実を見せつける。一昨日の今頃に戻れれば、どれだけいいだろう。ほぼ満月の月を恨めしげに見上げては……何かの記録に挑戦しているのかと思えるほどに、吐き出され続けているため息をまた増やす。しかし、そのため息に混じって、先ほどまで無音だったはずの空間にかちゃかちゃと扉の方から音が響いてくるではないか。
(……今はえぇと、深夜1時? あぁ、もう日が変わってしまったか。って……あれ?)
こんな夜更けに誰だろう。そう言えば、消灯時間はとっくに過ぎているはずだ。だとすると……音の主は留置担当官ではなさそうか……?
「誰だい……?」
「あぁ、夜分遅くに申し訳ありません……。私はクリムゾン。……彼の意地悪で、閉じ込められてしまったモホーク様を連れ出しに参りました。……さ、逃げますよ。急いで下さい」
「クリム、ゾン……?」
クリムゾンと名乗った謎の女の出現に驚く間も無く、あっという間に小さな部屋から連れ出されるモホーク。声色は忘れたくても、忘れられない彼女のものに酷似しているが。何やら猫を象っているらしい目出し帽から覗く瞳は、ものの見事な真紅に輝いており……彼の知っているヘーゼル色とは、程遠い。
「君は……? それに、彼って?」
「フフフ……逃亡者の身だというのに、随分と余裕なのですね。……彼の名を勝手に騙るだけの豪胆さはお持ちということですか?」
「も、もしかして……!」
君はグリードのお仲間なのかな?
しかし、モホークがそんな在り来たりな答えを絞り出す間も与えずに、彼の手を取っては……凄まじいスピードで無機質な空間を疾走し始めるクリムゾン。彼女のあまりの俊足はモホークの足には付いていくどころか、冷たいタイルに爪先を触れさせもしない。そうして半ば彼の体を宙に浮かせながらも……クリムゾンはあっという間に廊下を走り抜け切ってみせた。だが……。
(シッ……! あぁ、困りましたね……。この時間であれば、皆さんお休みだと思っていたのに……)
(もしかして……見張りがいるのかい?)
ようやく爪先を下ろしたタイルの冷たさに驚くことさえも、我慢して耳を澄ませば。急停止したクリムゾンの真っ赤な瞳が見据える先からは、確かに何者かの足音が聞こえてくる。
この先は確か……エントランス。出口はすぐそこだと言うのに、ゆっくりとこちらを焦らすような足音は、何かを探し求めるようにその場を徘徊しているようだ。
(妙ですね……。こんなに真っ暗だったら、普通は懐中電灯でも使っていそうなものを……)
(そう言えば……そうだよね。だとすると……幽霊、とか⁇)
(ちょ、ちょっと! そういう怖いことを言うのは、やめて下さい!)
モホークが思いがけず冗談で発したひそひそ話に、必要以上に怯え始めるクリムゾン。彼女の表情は瞳と口元しか見えないため、窺い知ることもできないが。顔を彩る真っ赤な瞳に真っ赤なルージュは、どこか蠱惑的でさえある。しかも……。
(よくよく見たら……この人、無茶苦茶スタイルがいい気がする……)
強気で強引な第一印象とは裏腹に、幽霊を怖がり始める彼女を改めて見つめれば。そのボディラインはモホークとしてはどう頑張っても初体験でしかない、クラクラするほどの曲線美を描いている。そんなことに気を取られている場合ではないのも十分、分かっているものの……無駄にドキドキしてしまうのは、健康な男児としては致し方ないことなのかも知れない。
(……行ってしまいましたか……? と、とにかく今がチャン……)
「おやおや。こんな所で人様のパートナーと逢引とは。偽物のクセに……これ以上、調子に乗らないでいただけませんかね?」
「キャッ!」
「ウワッ⁉︎」
前から聞こえていたはずの足音が消えたと思ったら。彼らの背後にまるで煙のように現れたのは幽霊ではなく、いつぞやの漆黒の大泥棒。シルクハットに仰々しいマントを着込んだ立ち姿は……暗がりでの邂逅と相まって、どこか不気味ですらあった。




