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キュービックジルコニアの嘆き(21)

 半信半疑だったが、()()が示した侵入経路とショーケースの鍵は、確かに開いていて。しかも最初から警察官の服装で忍び込めば、逃げるのも楽だと考えては……難なく獲物を偽の制服のポケットに忍ばせて、逃げ道をひた走る。


(このまま行けば、何とかなりそうかも……。この先を曲がった所に……)


 しかし、モホークは知らない。あの()()でグリードが()()()重要な情報を伝えていなかったのを。隠し部屋のトルソーに展示されていた制服を見れば、モホークの逃走手段は目にも明らかで……彼が警察官のフリをして逃走しようとしている事くらいは、自身もその手段を常用している以上、簡単に察しもつく。そして……警察官の制服こそが致命傷になる事を、グリードは敢えてモホークに伝えなかったのだ。


「そこまでだ、グリード! 既にこの周辺は包囲済みだ! 大人しくお縄につけッ!」

(えっ……えぇッ⁉︎)


 角を曲がった先の更に奥まった場所に、逃走用の馬をあらかじめ繋いでいたのだが。しかし、その経路を塞ぐようにモホークのものとは違う制服に身を包んだ警察官達が壁を作っていた。

 そう……今の季節は冬。モホークが着ているロイヤルブルーの制服は極々スタンダードな通年用の制服だが、流石にこの季節はそれでは肌寒い。なので、ロンバルディアの警察官には一律、紺色の冬用の制服が支給されている上に、今の時期は皆、揃いの分厚い警護用のコートを着込んでいるのだった。しかも……。


「ラウール……さん?」

「いいや? 僕はモーリス・ジェムトフィア……ラウールの双子の兄だ」

(う、嘘っ⁉︎ ラウールさん、双子だったの⁉︎ と、いう事は……?)


 目の前で自分に銃口を向けている彼も、あのブランネル公の孫……という事だろうか?

 今は考えるべき事でもない懸念を、頭の中で高速回転させてみるものの。絶体絶命のピンチを切り抜ける肝心の妙案は、ちっとも浮かんでこない。だが、窮地に立たされたモホークにとって……相手が到底及ばない地位にいる存在である事は、明らかな恐怖の材料になり得る。

 逃げるか生きるかの状況で、貴族の階級は無関係。しかし、モーリスの存在から連想される威圧感は、ただでさえ心細い気弱な青年の神経を縮み上がらせるには、申し分ない威力を発揮していた。


「それにしても……泥棒がラウールさん、だなんて。弟の店から宝石を盗んでおいて、何を抜け抜けと……とにかく、観念するんだ。抵抗しなければ、手荒な真似をするつもりも……」

「う、うぅぅぅぅ……うわぁぁぁッ‼︎」

「……⁉︎」


 いよいよ混乱がピークに達し、絶叫と同時に破れかぶれになるモホーク。彼の計画では万が一があっても、警察官に紛れて逃げられるはずだったのに。見慣れた制服に冬服があるなんて、完全に想定外もいいところだ。しかも、トドメと言わんばかりに()()()()()()の警察官に睨まれれば……緊張の糸と一緒に、捕まるかもという恐怖でモホークの神経は既のところで擦り切れてしまった。


「……ギャッ⁉︎」


 もしもの時に備えて、忍ばせていた拳銃を取り出して逃げ道を作ろうにも、モホークがそれを取り出した瞬間にパァン! と、耳を擘くような破裂音が木霊する。しかし、その銃声で()()()になったのは、モーリスではなく……モホークの方だった。


「いい加減、大人しくするんだ。これ以上抵抗すると……次は逃げられないように、足を打ち抜くよ」

「ひっ……!」


 銃器の扱いはラウールの方が上手とは言え、モーリスもそれなりの手練れではある。臆病で気弱なのはモーリスもあまり変わらないが、泥棒も荒事も素人のモホークよりはややマシでもあった。しかし……。


(あっ、指を弾いちゃったか……。やっぱり、この辺りはラウールには及ばないなぁ……。どうしよう、悪い事しちゃったかも……)


 相手が自分のよく知る大泥棒(グリード)ではないと分かっているので、()()()()を盾に、珍しく強引な真似をしてみたものの。冷たい石畳の上に虚しく転がる、元・人差し指を認めては……やり過ぎてしまった気がすると、忽ち後悔の念に駆られるモーリス。それでも警部補の役目は全うしようと、部下達に撤収命令を出しては、力なくへたり込む()()の手に手錠をかけるのだった。


***

(……嘘、だろう? ここ、刑務所……だよな……?)


 モホークが放り込まれた場所は、正しくは()()()である。無くなった指の喪失感もそこそこに、自身の手元を見つめては……現実と痛みを受け入れることもできない。彼が勾留されているのは、それなりに配慮の行き届いた空間ではあるものの。冷たく質素すぎる空気は否応なく、モホークの心をジワジワと凍えさせていく。この先、自分はどうなるのだろう? 明るい未来と自由を得ようと踠いた結果がこれでは、あまりに残酷だ。


(父上、母上……。申し訳ありません……。僕は、もう……)


 ブルローゼですら、ありません。

 貴族の身でありながら、怪盗紳士を騙って強盗未遂をしでかした挙句に……逮捕ともなれば。ハドソンの放蕩など可愛いものと、モホークの方こそロンダックに絶縁されてしまうだろう。


(もし、自由になれても……この先、どうやって生きていけばいいのだろう……。僕はやっぱり……衣装を着ても、ただのモホークのままだった。貴族の肩書を失くしたら……()()にすら、なれやしない……)


 青薔薇の蜜を吸って育った青虫は、それ以外の蜜を栄養にする術を知らない。蝶の幼虫が特定の餌しか食べられないのと同様に、温室育ちのモホークには……貴族であるという生活手段以外で、食い扶持を稼ぐ手段は用意されていなかった。

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