キュービックジルコニアの嘆き(19)
今夜はいよいよ満月……のはずなのに。渦中のアレクサンドリート宝飾店の店主は、随分と不機嫌ながらも余裕なご様子。警察を呼ぶ事もしなければ、集合した野次馬や物見客さえも、そのままに。何食わぬ顔をして、通常営業を通すつもりらしい。そんな中……店の前に豪奢な馬車を乗り付けて、煌びやかな衣装に身を包んだ1組の男女が颯爽と現れる。
「おや……このちっぽけな店に、こんなにお客さんがいるなんて。でも……フフフ。この店が誠心誠意、相手をするのは僕達だけさ。ねぇ、そうだろう? ヴィヴィアン」
「そうね、ハドソン。今日こそ……あのピンクダイヤモンドが、私の物になるのね!」
頼みもしないのに、わざとらしく大声でそんな事を嘯いては……さも仲良さげに腕を組んで、威勢よく店にズカズカと足を踏み入れるハドソンとヴィヴィアン。そして、怪盗紳士が狙う獲物の行方が気になる野次馬達も、彼らの動向を見つめては……ショーウィンドウ際にズラリと顔を並べ始めた。
しかし、彼らの予想では真心を込めて対応してくれるはずの店主は、相変わらず連れない態度を貫く。騒がしい上に落ち着かない状況に、タダでさえ不機嫌なのに……視界に入っただけで、神経を逆撫でする貴族様がご登場と相成れば。いよいよ、不快感も絶頂とばかりに、ご丁寧極まりない挨拶を披露する。
「……いらっしゃいませ。本日も実に冴えないお顔をしておいでですね、ハドソン・ブルローゼ様。先日も2度とお越しくだいませんようにと、申し上げたばかりでしょうに」
「全く……相変わらず、無礼な奴だ。まぁ、いい……聞いて、驚け! 今日こそは、ピンクダイヤモンドを買おうときてやったのだ! 金貨60枚で買ってやるから、さっさと私のヴィヴィアンに譲りたまえ!」
「きゃ〜! ハドソン、素敵〜! 私、あなたに一生付いていくわ!」
この方々は陳腐なお芝居でもしているのだろうか? 金(しかも所謂お小遣い)にモノを言わせているだけの、清々しいまでに格好良すぎるハドソンもハドソンだが。彼の勇姿に黄色い声援を投げつつ、付いていくのはハドソンではなく金(しかも不労所得という幻想)でしょうにと、居合わせた全員を呆れさせるヴィヴィアンもヴィヴィアンだ。……似た者同士とは、この事を言うのだろうが。彼らの組み合わせがあまりにお似合い過ぎて、ラウールとしては相手にするのもバカバカしい。
「……こちらのピンクダイヤモンドは鑑定書込みで、金貨30枚です。それ以上の金額を提示するつもりは、ありませんよ」
「おぉ、そうか! だったら、早速……」
「はい、という事で……ご購入をご希望でしたら、紹介状のご提示をお願い致します」
「は? 何を言っているのだね? 金貨60枚で買ってやると言っているのだから、そんなつまらない意地を張ってないで、サッサと譲らんかね。倍額だぞ、倍額!」
「だから、どうしたというのです? はぁぁぁぁ……本当にあなた様の頭脳がおめでた過ぎて、俺は何てご忠告すれば良いのか分かりませんねぇ。いいですか? 先日も申し上げました通り、当店は紹介制です。然るべき相手の紹介状がない限り、金貨レベルのお品物を一見さんにお譲りする事は一切ございません。宝石は資産としての寿命も長く、後世にまできちんと受け継がれるべき貴重品なのです。ですので……当店としましては、所有者にはお代金よりも品格と資格を求めます。で、あなた様には品格も資格も不十分と俺は判断致しますので……どんなに金を積まれようとも紹介状がない限り、ハドソン様にお譲りする品物はタダの1つもございませんよ」
それが当店の信頼と実績の守り方です、とピシャリと冷やかし客のオーダーを跳ね除けては……ラウールが更にハドソンを煽るように、ピンクダイヤモンドを譲らない理由をもう1つ、提示し始める。
「あぁ、それと。あのピンクダイヤモンドですが。譲渡先を決めましたので、売約済みなのです。ですから、紹介状があったとしても……ハナからハドソン様にはお譲りできません」
「な、なんだって⁉︎ ヴィヴィアンを差し置いて、あのダイヤモンドが相応しい相手がいるとでも⁉︎」
「……何でしょうね、ハドソン様は余程の面食いとお見受けしますが。正直なところ、メーニック生まれの元・キャバレー嬢にピンクダイヤモンドは勿体なさ過ぎると思いますよ? それに……見た目だけで貴族の奥方が務まる程、ロンバルディアの社交界は甘くもありません」
「はっ……? 今……なんて?」
「ちょ、ちょっと! 変な嘘を言わないでよ! 私はブランシェのトップモデルなのよ⁉︎ それが……」
「メーニック出身な訳がないと、仰るので? おや、そうでしたか? 先日、ブルース・ゴルドヴィン様からあなたの経歴をお伺いしましたけど……これは何かの間違いでしたかね?」
「な……!」
ピラリとラウールが彼女の前に掲げたのは、ちょっとした番付表が乗っている、メーニック民報のスクラップ。最後の切り抜きの日付は3年前となっており、記事自体は最近のものではないらしい。しかし、いくら昔のものとは言え……かつてのヴィヴィアンとしては鼻高々だったはずの内容は、今となっては掘り起こされたくない過去の栄光でしかない。
「ブルース様は余程、あなた様に惚れ込んでいらっしゃったのでしょうねぇ。あなたのご活躍を逐一、残しているのですから。へぇ……3年前の今頃、ヴィヴィアン様は押しも押されぬトップ・キャバレー嬢だったんだ。今も昔もトップをひた走るなんて、流石ですね〜。特に男誑しの腕前は衰え知らず、と言ったところですか?」
「……ヴィヴィアン。これ……本当なのかい? 君はロンバルディア出身で、中流貴族階級のご息女だって……聞いてたけど……」
「ち、違うのよ、ハドソン! これは……あ、そう! そうよ! 私ね、堅苦しい生活に嫌気が差して、家を飛び出して……それで……」
「でも……ここ。メーニック生まれの奇跡の美少女……って書かれているけど……」
All up with……万事休す。無論メーニック出身でも、モデルをする分には遜色はあまりないだろう。確かにメーニックはややガラが悪い印象があるとは言え……それで陰る程、ヴィヴィアンの美しさは中途半端でもない。しかし、選りに選って婚約者に経歴詐称を暴露されるのは、何よりも都合が悪かった。
「な……何よ! こんな店、2度と来ないわよ! べ、別に……ダイヤモンドなんて、いらないしッ!」
「ちょ、ちょっと、ヴィヴィアン! 話は終わって……あっ、待って! 待ってって!」
やや荒々しい対応になったが……これはこれで、問題ないか。そんな風に意地悪く考えては、慌てて逃げるように出ていく2人の背に白々しく「ありがとうございました〜」と、無愛想に呟くラウール。
(これで少しは、ハドソン様も目が醒めますかね? 後は……モホーク様の動向次第ですか?)
挑戦状を叩きつけた以上、ある程度は道筋を作ってやらねば本物の名が廃る。人知れずそんな事を企てつつ、残りの野次馬はどう遇らおうかと悩むラウール。
デビュタントの初舞台に、下品な見物客はいらない。必要なのはただただ、上質な舞台を照らす満月の光だけ。今回は役者ではなく、演出家を気取るつもりの宝石泥棒にとって……無粋な観客は邪魔以外の何ものでもなかった。




