キュービックジルコニアの嘆き(18)
いよいよ満月の夜は明日。そんな中、計画自体を練り直す事も叶わないまま……とりあえずは見取り図だけでも完成させようと、秘密の小部屋のビューローでペンを走らせるモホーク。ゆらゆらと頼りない蝋燭の明かりに照らされ、少しばかりかじかむ指先を摩っては、心細げに独り言をポツリと呟く。
「とにかく急がなきゃ……。えぇと、ここにショーケースが2つあって……あれ? このカウンターの横には……」
「あぁ、戸棚とチェスターチェア、それとアンティークのテーブルが置いてありましたね。で、その横は確か……ガレージの入り口だった気が」
「そうなのですね。ありがと……って、エェッ⁉︎」
しかし、独り言のはずの疑問にしっかりと答えを返す者があるので、そちらを見やれば。モホークのすぐ横にはいつの間にか、漆黒の面を着けた礼服姿の男が立っている。仮面越しの怪しい紫色の瞳は、頼りない明かりさえも余す事なく反射して……どこか無邪気な光を帯びていた。
「ま、まさか……」
「クククク……Comment allez-vous? こんばんは、モホーク・ブルローゼ様。今宵は明晩の勝負への意気込みを是非、お伺いに参りました。この泥棒めも、あなた様のご活躍に期待しておりますよ」
「……お、怒っていないのか? 僕が勝手に……」
あぁ、その事ですか。不気味でありながらも、何かを見通したようにニタニタしながら、漆黒の泥棒が偽の予告状について、サラリと言及する。どうやら、彼自身はその事については怒ってはいないらしい。しかし……。
「しかし……選りに選って、とんでもない場所に予告状を出しましたねぇ。あの店は、俺達の界隈では非常に厄介な事で有名なんですよ? あそこに手を出す馬鹿は、そうそういません」
「そうなのかい?」
「えぇ。何てたって、あの店主……見た目は若いですけど、あれで元軍人ですから。腕っ節も強いものだから、平和主義者の泥棒としては、最も鉢合わせしたくない相手です。その上、あの店にある宝石はどれもこれも宝石商商会にて身元を記録済み……と。そんな場所から宝石を盗み出したら、売り捌こうにもあっという間に足が着きます」
本物の方は予告状を出したことに怒ってはいないが、呆れているのは間違いなく。つらつらと悪条件を並べ立てては、アレクサンドリート宝飾店を相手取った事がいかに無謀かを説き始める。
泥棒の忠告に耳を傾けては、絶望の色を濃くすると同時に……俄然、やる気も取り戻すモホーク。何せ、彼がピンクダイヤモンドを持ち出そうとしているのは、金に困っているからではない。存在自体を損なえれば、それでいい。それはそれで、店側にしてみれば大迷惑だろうが……自分の夢がかかっている以上、そんな事には構ってられないというのが、やや自分勝手になりつつあるモホークの本音だった。
「そっか。だったら……尚の事、僕も引く訳にはいかないかな」
「おや、どうしてです? この泥棒めとしては、あの店にちょっかいを出すのはお止めなさいと……わざわざ満月でもないのに、参上いたしましたのに。何がそんなに、あなたを駆り立てるのです」
「僕にとって、あのピンクダイヤモンドは、存在そのものが邪魔なんだ。何せ……あれがあるせいで、兄上はますます取り憑かれたように意固地になって。次は倍の金額で買い叩いてやるんだなんて、懲りもせずに意気込んでいてね。だけど……それが成功してしまったら、僕はこの家から逃げ出せなくなる。兄上は父上があっさりと金貨の袋を渡した本当の理由に気付いていないんだ。……その軍資金が父上からの手切金だって事も、父上がヴィヴィアンとの婚約を絶対に認めていないって事も。だから、あのピンクダイヤモンドをヴィヴィアンに婚約指輪としてプレゼントした瞬間に……兄上はこの家を叩き出されることになるだろう」
本当に何にも分かっていないのだから……と、モホークがため息混じりで兄・ハドソンへの不満を垂れ流し始める。彼がもっとしっかりしていれば、自分はもっと自由になれるのに。彼がもっと跡取りとしての自覚を持っていれば、自分ばっかり苦労を抱え込まずに済むのに。だけど、モホークは自身の境遇の殻を破る勇気を、今の今まで持てないでいた。
「でも……僕も結局、兄上と同じなんだ。ブルローゼ家に生まれただけで何不自由なく生活してきたし、夢さえ持たなければ、きっとどこまでも気楽に暮らす事もできる。そうさ……青薔薇の甘い蜜を吸ってきたのは、僕も同じなんだ」
だけど、それじゃ意味がないんだよ。
モホークは聞いている相手が秘密部屋に忍び込んだ泥棒だというのに……さめざめと涙を流しては、全てから逃げ出したいと嗚咽を漏らす。
ブルローゼでいる限り、職業を選ぶ事もできなければ、伴侶を選ぶ事もできない。きっと生活の安寧は保証はされるだろうが、代償に自由は差し出さなければならない。だからこそ……。
「僕は多分、兄上が羨ましいんだと思う。僕も自分がしたいように振る舞えれば、どれだけ楽になれるだろう。どれだけ……苦しまなくて、済むだろう」
「……左様ですか。でしたら……ふむ。そうですね。ここは1つ、モホーク様に手助けと挑戦状をお出ししましょうか」
「手助け……に、挑戦状?」
「えぇ。この泥棒めは貴族が大嫌いでしてね。あなた様のお答え次第では、計画の邪魔をしてやろうかと考えていたのですが……ふふ。流石に少しばかり、あなた様に同情致しました。ですので、2つほど……手筈を整えて差し上げましょう」
突拍子もなく、何やら不思議な事を言い出した大泥棒。白グローブの指先でモホークが一生懸命書き上げていた見取り図を示しては、ちょっとした作戦を披露し始める。
「……先ほど、この並びにガレージへの入り口があると申しました。ですので、ここの鍵とピンクダイヤモンドのショーケースの鍵を開けておいて差し上げますから、侵入はこちらからなさい」
「え、えぇ⁉︎ そ、そんな事ができるのかい……?」
「おや、モホーク様はこの泥棒めを何だと思っていらっしゃる。現に……こうしてあなた様の秘密の場所に、参上しているではありませんか」
あぁ、それもそうだね……と、間抜けな程に妙な安心感を抱きながら、モホークが泥棒に請け負う。置かれている状況はどう頑張っても、安心していいものではないのだが。それでも、彼の言う同情の中身を根拠もないまま信用しては……モホークが話の続きを促す。
「さて。それで、無事にピンクダイヤモンドを持ち出して……あなた様が見事逃げ果せたら、素敵な夢を提供して差し上げましょう。しかし、逃亡に失敗したのなら。このグリードめの名前を勝手に騙った上に、無様なヘマをやらかした代償はきっちりとお支払い頂きますよ」
その代償とは……と、モホークが質問を投げようとしたところで、猫のように気まぐれなグリードが一方的に「Au revoir……ご機嫌よう」と呟いては、あっという間に窓の外に広がる闇へと掻き消える。一瞬の出来事でさえも、虎視眈々と輝く紫色の鮮烈な余韻を残されて……今のは夢ではなかろうかと、思わず頬をつねるモホークだった。




