キュービックジルコニアの嘆き(12)
(今日は、開くかな? キャロルさんもいるといいなぁ……)
満月の夜は数日後。偽物とは言え、予告状を出してしまった以上、それまでに計画を練り直さなければならない。その焦りも手伝って、恋も悩みも多き青年・モホークはとうとう講義を抜け出しては、アンティークショップの様子を定位置から窺っていた。
斜向かいから眺める、すっかりお馴染みになってしまった景色。白い息を吐きながら、手を摩りつつそんな光景を見守っていると……きっと朝の散歩に出掛けるのだろう。黒のピーコートに深いブルーのマフラーをしたラウールと、厳つい表情のドーベルマンとが外に出てくる。
(……そう言えば、あの人はキャロルさんとどういう関係なのだろう……?)
兄の話からするに、彼の方が不遜で傲慢な店主なのだろう。そんな店主と思しき男が背筋を伸ばして、スタスタと歩いていく姿は……改めて見れば見る程、完璧にも思えてモホークはますます焦ってしまう。
(ゔ……よく見ればあの人、もの凄いハンサムなんじゃ……? そんなのが近くにいたら、僕が入り込む余地がない気がする……)
そんな事を、あれこれ考えながらも。目の前の光景が千載一遇のチャンスでもある事に、気づくモホーク。知り得る限りの登場人物が、今まさに散歩に出かけていくのだから……店に残っているのは、おそらくキャロルだけだろう。店のプレートはしっかり「CLOSE」になっているものの、あの優しい彼女のこと。ドアを叩けば寒いでしょうと、中に入れてくれるかもしれない。
(よっし……こうなったら、当たって砕けろ、だ。それに、お店の様子を確認しない事には……計画を考え直すのも、難しいし)
少しばかり身勝手な都合で自分を誤魔化しつつ、いよいよ定位置の角から最初の一歩を踏み出すモホーク。そうして……一呼吸置いた後で、コンコンとドアを叩いてみるのだった。
***
「寒い日に頂く、熱々のコーヒーは最高です。普段のクロツバメもいいですけど、限定ブレンドの香りはまた格別ですね」
ラウールの予想に反して、キャロルの方は甲斐甲斐しく淹れたてのコーヒーを用意してくれていた。いつも通りの彼女の対応に、少しだけ安心させられたものの。……常々人の気持ちには鈍感なラウールでさえも気づくほどに、キャロルの笑顔は弱々しかったのが気に掛かる。
「それにしても、キャロルは怒ってはいませんでしたが……。元気がないのは、気のせいじゃないですよね……」
【……マチガいなく、オちコんでるな。しかし……キャロルが言っていた“サファイア ”ってナニモノなんだ?】
あぁ、その事ですか……と、ジェームズにはキャロルと一緒に暮らしている理由を話していなかったと、コーネでの出来事を説明するラウール。ついでに、彼女の作りが原因でサラスヴァティとクリムゾンを取り込んでしまった経緯を話してみれば。自分も無関係ではない彼女の境遇に、ジェームズのタンカラーが困ったように吊り上がった。
【そんなコトがあったのか。ナルホドな。だからラウールはナオサラどうすればいいのか、ワからないんだな?】
「そうなるのでしょうね……きっと。俺も最初はキャロルが普通の人間だと思っていましたし、彼女を子供だと決め付けて……保護者を気取っては、優越感に浸ってもいたのでしょう。まぁ、正直申せば、あの子をコーネの町から連れ出したのは気まぐれ以上に……カケラにされかけたという境遇に同情したついでに、気に入っていた部分もあったのですけど。それでも一緒に暮らすのは、せいぜい数年だと考えていました」
だけど……実際に彼女は最初から普通の人間ではなく、ラウール達と同じ側の存在だった。
皮肉な事に、その事実をはっきりとラウールに知らしめたのは他でもない、恋敵でもあるグスタフその人だったが。彼女の秘密を知った瞬間、今まで自分の作りのせいで諦めていた「家族を持つ夢」を実現できそうな気がして。それが取られそうになったときに初めて、彼女の存在の大きさを思い知らされて。そんな2つの衝動と、周囲に無関心を装い続けた虚構とを飲み下した結果。気がつけば……2人の関係性はキャロルがラウールに憧れる状況から、ラウールがキャロルにのめり込む状況に変化していた。
「……だから余計、どうすればいいのか、分からないのです。本当に、短い間に色々と変化しましたし。だけど、成長したのは彼女だけであって、俺の方は何1つ成長していません。おまけに、キャロルには虚勢も虚言も通用しませんし……今までのやり方で格好つけることも出来ないのですから。……やり難いったら、ありません」
【ヨウするに。イマのキョウドウセイカツは、キャロルのおナサけでナりタっているというコトか?】
「いくら何でも、そこまで絶望的ではないと信じたいのですけど……まぁ、有り体に言えば、そうなるでしょうね。カケラ同士であるという秘密を抜きにしても……彼女の優しさで今の生活が成り立っているのは、紛れもない事実でしょう」
そこまで分かっているのに、どうしてキャロルにさえも相手を傷付ける事を言うのだろうな。
あまりに情けない甥っ子の様子に、本当に不器用なのだからと……やれやれと首を振るジェームズ。ややあって、周囲の人通りが増えてきたのを認めては……無言になりながら、飼い主を不安げに見上げて鼻をクゥンと鳴らす。そうして盗み見た彼の面差しは……分かっているのにうまく出来ないらしい、悲しげで不格好な微笑が張り付いていた。




