キュービックジルコニアの嘆き(11)
【ラウール、もうイチド。だから、そうジャナイ】
「……こうですか?」
【ヴッ……。ナンだか、サラにヒドくなった……! そのエガオ、コワイをトオりコして、もうこのヨのモノとはオモえない】
「な、何も、そこまで言わなくても……」
ここまで根本的に笑えないとなると、笑顔の才能に見放されているとさえ思えてくる。そんな才能がこの世にあるのかどうかは知らないが。ジェームズが笑顔の作り方を教えれば教える程、ラウールの悪魔っぷりは加速する一方だった。
いつかのルーシャム帰りに「笑えばいいのです」と、キャロルに慰められた気もしたが。「笑う」ことさえも上手くできないのでは、ラウールの負債の精算は夢のまた夢だろう。
「俺はどうすればいいんでしょうね……。まさか、こんなにも自分がちゃんと笑えないなんて、思いもしませんでした」
【ラウールはそんなチョウシで、イマまで、どうしていたんだ?】
「どうもしませんよ。……本当に楽しくて笑うことなんて、ありませんでしたから」
ラウールの思いがけない悲しい答えに、言葉を詰まらせるジェームズ。
目の前で拗ねたように紫色の瞳を翳らせる甥っ子は、今の今まで心の底から笑えることもなかったのだろう。薄ら笑いを浮かべることはあっても、本心から大笑いをしているのは見たことがない……それはかつて同居していた、モーリスの言葉である。ラウールの最大の理解者でもある兄をして、そこまで言わせるともなれば。……その異常性は、あまりに深いと言わざるを得ない。
【ワラえないのなら、シカタない。ベツにムリしてワラうヒツヨウもないし、エガオがなくてもキモチをツタえることはちゃんとデキる。そういうモノはフシゼンにトりツクロっても、ムイミだ】
「そう、ですよね……。でも……俺も正直かなりショックでしたよ? まさか……」
自分の笑顔があんなに不気味だったなんて、知りませんでしたから……と、無慈悲な事実に打ちのめされ、項垂れるラウール。犬の視線に合わせようと、床に座っていることもあり……ジェームズには、ラウールが殊の外小さく見える気がした。
【トコロで、キャロルはどうした? ヘヤからデてこないみたいだが】
「久しぶりに時間があるので、荷物整理をしているみたいですね。兄さん達の部屋は手付かずでしたから。一緒に掃除をしてくれるそうです」
とにかく話題を変えなければと、ジェームズがキャロルの行方を尋ねれば。ラウールも、話題の方向転換に賛成なのだろう。少し暗めの表情をやや上向かせて、視線で扉の方を示して見せる。そうして、1人と1匹で扉に注視していると……何やら、興奮した様子でキャロルが元・モーリス達の部屋から出てきた。
「ラウールさん、懐かしいものを見つけちゃいました!」
「懐かしいもの……ですか、キャロル。でも、懐かしいも何も……」
キャロルがここに住むようになったのは、去年の秋頃から。確かにその間に色々あったし、彼女は1年分以上の急成長をしてはいるものの、この家にはキャロルが懐かしいと言える物はないはずである。それなのに……彼女がどこか嬉しそうに掲げているのは、1着のライダースーツ。今の状態であれば、確かにピッタリなのかもしれないが……元のサイズ感からしても、間違いなくキャロルのものではないだろう。だとすると……?
「あぁ、それは……ソーニャのお仕事着ですね。彼女が狩りに出る時は、そのスーツを着ていましたっけね。しかし……ソーニャの忘れ物がどうして、キャロルにとって懐かしい物になるのです?」
「私も昔はこんなスーツを着て、コーネを逃げ回っていましたから。サイズは遥かに小さかったですけど……」
あぁ、なるほど。要するに、キャロルは自身が怪傑・サファイアだった時のことを思い出して「懐かしい」と言っているのか。
そんなたった1年と数ヶ月前の事だというのに、ずっと昔にも思える彼女との出会いを思い出しながらも、ぼんやりとラウールがキャロルの言葉を待っていると。彼女の方は余程乗り気と見えて……突拍子もない事を言い出した。
「今の私だったら、サイズも合いそうですし……着てみようかな。それで、今夜はみんなで一緒に屋根上の散歩も楽しいかも」
「はい……?」
いや、確かに屋根の上は向こう側の大泥棒も大好きなコースではあるけれど。しかし、それはあくまでお仕事の都合上、仕方なしに選んだ出勤ルートであり、普段の散歩コースにするような気安い経路ではないのだが。
「って、キャロル? まさか、それに着替える気ですか?」
「はい。折角ですから……ふふ。久しぶりにサファイアに変身するのも、いいでしょう?」
「……えっ?」
それでは、ちょっと着替えてきますね……なんて、その発見が余程嬉しいと見えて、いそいそと自室に戻っていくキャロルだったが。一方で彼女の意外な一面に、不安を募らせずにはいられないラウールとジェームズ。取り残された者同士で顔を見合わせては、ヒソヒソと懸念事項を持ち寄る。
【……キャロル、かなりウキウキしていたな。まぁ、ジェームズはヤネのサンポでもカマわないが】
「いや、どう考えてもナシでしょう、それは。3人でぞろぞろ屋根を歩いていたら、目立って仕方ありません」
【あぁ、そうだろうな。ダイイチ……そんなコトをしていたら、トチュウでゴーフルをカうのもアヤしまれる】
「……ジェームズの懸念は、そこなんですね。ですが、一理ありますか? 屋根の上からゴーフル下さい……は間違いなく、1発で不審者扱いでしょう」
【ダロウ?】
そんな事を1人と1匹で、相変わらず床の上で話し合っていると。いよいよ着替えも無事終えて、とってもご機嫌なキャロルがやってくるが……あまりに刺激的な姿に、慄くラウール。無論、同業者のスーツ姿は見かけた事もあるにはあるが、彼女の姿はそんなものだと割り切っては、何も思うこともなかった。しかし……。
「あの、キャロル。えっと……」
「……ラウールさん、どうして目を背けるのですか? ……もしかして、似合っていないのでしょうか? 私の方は動きやすくて、気に入ったのですけど……」
「そ、そう。それは何よりだけど……えぇと、その……」
普段は体型を強調するような服装もしないせいか、キャロルの体型について考えることもあまりなかったが。こうもボディラインをはっきりと拾うような服装をされれば、確かな凹凸のメリハリ加減はどう頑張っても、大袈裟なほどに目立つ。
(いや、俺だって……それは、興味はありますよ? いつかは……というか、近いうちにもうちょっと踏み込もうとかって、思っていましたし……)
しかし、悲しいかな。兄を散々奥手だのと余裕ぶって小馬鹿にしていたのに、Birds of a feather……所詮はラウールも同じ穴の狢である。シャイボーイにしてみれば、自分から仕掛けるのならともかく……不意打ちで食らったハニートラップのダメージは未知数だった。
【……キャロル、サッしてやってくれ。ラウールはテレてるだけだ。モーリスがシャイボーイなら、ラウールはムッツリスケベ。……キャロルのスタイルがあまりにイイものだから、ムッツリさんにはシゲキがツヨすぎる】
「って、誰が助平なのです! 誤解を招くような言い方、しないでください!」
【そうムキになるなヨ、チェリボーイ。カオがマッカだぞ?】
「うぐぐ……と、とにかくキャロル! そのスーツは使用禁止です! 第一、君が今更サファイアに戻る必要性もないでしょ? 破廉恥な格好よりも、きちんと清楚な格好をしていて下さい!」
「そうですか……うん、そうですね。確かに私が泥棒に戻る必要はない……ですよね……」
でも、普段のワンピースでは思い切り走れないし……と名残惜しそうにしながらも、素直にラウールの言いつけを守ろうと、トボトボと部屋に戻っていくキャロル。その打ち拉がれた様子の背中に、しまったと咄嗟にヘマをやらかしたことにも気付くが……後悔しても、手遅れだ。
【ここはニアうよと、ホめるトコロだろう。それなのに……ハレンチだなんて、イって】
「……そう、ですよね……」
【まぁ、とはイえ……ジェームズもラウールにイジワルしすぎた。……ツギはちゃんとフォローするから、しっかりな】
「えぇ、頼みますよ。こうも空回りしているとなると……本当に色んな意味で笑えませんし」
自分が心の底から笑える日は、来るんだろうか? それこそ、今まで……必死に駆け抜けてきた中で、そんな事を考える余裕も余興もなかったけれど。今となっては、そんな当たり前の事こそ気にかけるべきだったのだと、ラウールは痛烈に思い知るのだった。




