キュービックジルコニアの嘆き(2)
急いで店に戻った……つもりだったが。アンティークショップは入り口からして、既に尋常ではない空気が充満している。どうも、注目度抜群の怪盗紳士の予告状というのは、人々の好奇心をこの上ない程に煽るものらしい。大急ぎで帰ってきたというのに、店の前にはキャロルの行く手を阻む、人だかりが出来上がっていた。
「す、すみません……通してください!」
「あ、割り込むなって! 俺の方が先……」
「割り込みも何も……ここ、私の家でもあるんです……!」
キャロルが仕方なしに、何かの順番待ちをしているらしい記者(小洒落た言い方をすればジャーナリスト、下世話な言い方をすれば聞屋)を押しのけて、ようやく店のドアを潜れば。店内はかつてない程の盛況ぶりを見せており……店主の眉間のシワがいつも以上に深いことに、キャロルは目眩を覚えずにいられない。
「あぁ、キャロル。お帰り。本当は君の話をゆっくり聞きたいのだけど……この有様ですからね。しばらく2階に避難していてくれるかな。それと、疲れているところ申し訳ないんだけど。折を見て、ジェームズの散歩に行ってやって」
「は、はい……。それは構いませんけど……えっと、待っていてくださいね。ラウールさんには、すぐにコーヒー淹れますから」
モーリス程ではないものの、キャロルもラウール検定というものがあったら、かなりの高得点を叩き出しているだろう。店主のご機嫌具合の感知スキルを搭載したキャロルにとって、今のラウールのご機嫌が非常に麗しくないことを読み取るのは容易い。そうして差して苦労することもなく彼が不機嫌で疲弊しているのにも気付いては、鎮静剤代わりのコーヒーを調合しなければと、いそいそと階段を登っていく。そんな同居人の姿をやや寂しげに見送って……一方のラウールは招かれざる客達を追い払おうと、ため息混じりで難敵に向き直った。
「……見ての通り、当店は非常に狭い個人商店です。あの怪盗紳士とやらにご指名いただけるのは、ある意味で光栄なのでしょうけど……なんで、うちなんですかねぇ。兎にも角にも、俺の方はグリードなんぞを相手にする気はありませんから、帰っていただけませんか。これ以上営業妨害をなさるようでしたら、警察を呼びますよ?」
「そう仰らずに! 例のピンクダイヤモンドとやらを見せてくださいよ!」
「そうですよ。どうせ減るもんじゃなし……」
「いいえ? あなた達のような下賤な方達の目に触れたら、それだけで宝石の価値が目減りします。それでなくても、この店は基本的に一見さんお断りです。さ、お帰りください。それで……2度とお越しいただきませんよう、切にお願いする所存です」
澄ました顔に更に深い眉間にシワを寄せて、あからさまな威嚇の顔を作るラウール。しかし、グリーンの瞳に目一杯の恫喝を仕込んで睨んでみても。彼らはネタという旨味に集るハエの如く、ブンブンとうるさく騒ぐばかりで一向に帰る気配を見せない。困った迷惑なお客人達に……いよいよ怒ったぞと、受話器を手に取れば。慣れた様子でダイヤルを回し、電話に応じた交換手に通話先を伝え、とある人物と話をし始めるラウール。
「……あぁ、お久しぶりです。ヴィクトワール様。……えぇ、えぇ。あぁ、もうご存知ですか? そうですよ。どこの誰かは存じませんが、うちにピンクダイヤモンドがあると、宝石泥棒にリークしたお馬鹿さんがいるみたいですね。で、被害者側のうちの店を取り囲んで、無粋な記者さん達が営業妨害をしてくださるものですから。……そう、そうなんですよ。ですから……例の戦車、貸してくれません? ヴィクトワール様が来てくだされば多分、不敬罪も成立すると思いますし。戦車で丸ごと、無礼者達を蹴散らすのも一興かな、と」
「戦車で……」
「蹴散らす……?」
「しかも、不敬罪⁇」
あろうことか、彼の話し相手はあのロンバルディア騎士団長のヴィクトワールその人らしい。そんな恐れ多い騎士団長を電話1本で呼び出すのも無謀だが、彼の話によれば無粋な記者達は不敬罪とやらで罰則の対象になる……という事のようだ。
「ハハ、まさか……ご冗談でしょう?」
「そうですよ。電話だけであの騎士団長様が……」
「来ますよ? この店では度々、貴族様の家宝を鑑別で預かることもございますから。もちろん、誰が顧客かはお伝えする必要はありませんが……国外の大切なお客様の品物を預かるロンバルディア公認鑑定士の店が荒らされているとなれば、国交の意味でも放置できない事案ですからね」
「はい……?」
もちろん、そのハッタリにはラウール流のデコレーションが盛大に仕込まれている。それでも、何かにつけ色んなことに首を突っ込みたがるヴィクトワールが、こんなに面白そうな事に食いつかぬはずもなし。そんな彼女の習性を利用すれば……騎士団長を電話1本で呼び出すのは決して、不可能でもない事だった。
「お待たせしました。ラウールさん、とりあえず一息入れたらいかがでしょう。あ、あと……皆さんも1杯、いかがですか? 今日は少し冷えますし……折角ですから、こちらをお上がりになってからお帰りください……」
「……キャロル。客でもない奴らにまで、気を使う必要はありません。それでなくても……あぁ、あぁ。この香りは、例のマウント・クロツバメの限定ブレンドじゃないか……。どうして、こんな勿体ない事をするのです……」
「だって、寒い中お仕事なのでしょう? それなのに、手ぶらでお帰りでは可哀想じゃないですか。話題の供給はしなくてもいいと思いますけど、美味しいコーヒーのお土産くらいは差し上げてもいいでしょう?」
難客を追い払うのに苦労しているラウールの一方で、一事が万事、どうも気配りが抜けないらしいキャロル。そうして、彼女がコーヒーを配り終えようという頃。そうこうしているうちに、いよいよ寂れているはずの裏道に似つかわしくない、キャタピラの轟音が響いてきた。
ここロンバルディアでは、今をときめく騎士団長は戦車でやってくる。囂々来来とした華々しいご登場に、これはコーヒーどころではないと……記者達が一目散に逃げ出したのは、端から見ている分には面白そうな事には違いなかった。




